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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第63回)


セットの問題


 私には、同世代のタイ人の友人が居ます。
 その彼と話合うとき、よく話題にのぼるのが、タイと日本との類似性です。
 もう十五年ほども昔の話ですが、最初に彼から、その類似性を言われた時、今から思えば傲慢なことだったのですが、 「日本とタイが似てるだって?」 と、ある反発を覚えました。つまり、 「自分は日本という “先進国” の人間であって、タイのような “途上国” のことと一緒にしてもらっては困る」 といった意識だったのです。
 さて、それがどういう類似なのか、ここでは詳しく述べませんが、先日、それをきれいに整理、分析している文章を読みました。まともな日本人――外国人を排除するという意図ではありません――には必読文献だと思いますので、ここに紹介しておきます。
 田中宇のサイトの 「
民主化するタイ、しない日本」 です。ぜひご覧ください。
 ひと言で要約しますと、日本の官僚制度の温存です。

 そこで、ということだとしますと、私のここでのテーマ、 「ダブル・フィクションとしての天皇」 ということも、そういう 「天皇制」 が孤立して存在してきたというより、日本の官僚機構のひとつとして 「天皇制」 が機能してきたと捉えるべき事柄であることが解ります。
 そうでないと、2010年5月の 「最低県外」 という鳩山発言も、民主党の反官僚政策の急沈没や鳩山から菅へのすげ替えも、沖縄の米海兵隊の移動・削減問題や小沢政治献金裁判も、すべてピンボケ、バラバラになってしまいます。そして、戦後の日本政治がそもそも何であったのかということも、おしなべてトンチンカンに終わるでしょう。
 私を含めて、日本人はお役人にどうも甘い。もともと 「お上」 思想がある上に、日本人的まじめさの根源に律儀清貧な公務員イメージがあり、さらに、左派や革新的な考え方には、国の役割に期待を託し過ぎる傾きもあります。
 そういう日本を、3・11の大震災が襲いました。そしてその後の、 「頑張れ日本」 旋風です。
 震災後の辺見庸の作品にある、震災後日本の風潮と戦中の翼賛会風潮を重ね合わせる視野――辺見は共にファシズムの温床があると言う――、とも合わせて、日本の官僚制とセットにした、 「ダブル・フィクション」 視が必要と思う次第です。

 ではそういう戦後官僚制度の土台作りであった時代の一断面、第17章 (その3) へとご案内いたしましょう。

 (2012年3月4日)


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