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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第69回)
血生臭さの 「記憶」
これは、私の個人的な告白に過ぎませんが、2・26事件に至るあたりの日本の戦前の “ごたごた” について、本当に何も解っていなかったということが、だんだん判明してきています。
それはもちろん、私の無知がゆえであったのは確かです。そうではありますが、そうした個人の落ち度に留まらず、言ってみれば、何事をも公開にはせず――むろん教えるなんて問題外――、重要なことほど隠蔽してなされるという国のそうした体質がそこに出来あがっていたからだと、しだいに気付かされてきています。
考えてみれば、天皇という、一つの有力家系の主に過ぎない存在に、一国全体が一丸となって結集する体制とは、小部族国家ならいざ知らず、一億に近い人口規模や産業社会をもった
“大” 国にとって、そうした体制に収まりきれてしまえるということ自体、あまりに不自然です。
つまり、私ばかりでなく、誰にとってもよく解らなかった戦前の 「ごたごた」 とは、その程度に意図的にウヤムヤにしておいて、そうした不自然を成し遂げた特異な無理強いが、その天皇制とか国体とかというシステムの正体であったのでしょう。
この異様性は、したがって、そんなに簡単には消え去ってくれるものではないでしょう。言ってみれば、現代の日本においてさえも、明白な刻印として尾を引いているはずです。
先に述べた、 「重層タブーの起源」 にしても 「二重 “国” 格」 にしても、いずれも、今日から観測できるその異様性の、なかなか死なない産物の一つ、ひとつです。
この訳読も、すでにその真只中に入って来ていますが、いまや、天皇派-対-反天皇派といってもよい、権力闘争の国をあげての展開の時代に入ってきています。すなわち、一方の天皇派は天皇自身とその取り巻きである大兄たちをトップとするグループで、そして他方は、まことに入り組んで、混迷しています。
後者の一角である立憲議会派は、犬養首相暗殺やクーデタ未遂事件で、効果的に潰されたと見てよいでしょう。そうして浮上しているのが、言うまでもない軍部ですが、その軍部内での天皇派と反天皇派の抗争が、
「南進派=統制派」 対 「北進派=皇道派」 の争いです。ただし、双方が天皇を掲げて争っているわけですから、見ようによっては、その天皇による “やらせ”
です。
機関説にしても、その説は当初、裕仁自身も、ヨーロッパの立憲君主制を輸入した立場から、その原理的立場は維持していました。ところが西洋のそれの場合、王と議会がそれほどに拮抗した勢力を保ち合っていたため、
「君臨すれども統治せず」 という形式上君主の形態に落ち着いていました。つまり、それほど、 “持ちつ持たれつ” であったわけです。
しかし日本の場合、議会はまだまだ未成長かつ着け刃で、1935年ころまでに、あえなく無力化と自壊化をとげてゆきました。
そしてまさに、その抗争は、今後は、軍部内の争いとなり、武力が前面に出た――その道の専門家ですから――、文字通りの血みどろの争いとなって行きます。
これは私の感覚なのですが、日本の政治論争の場合、見えない組織として、社会のどこかに、そうした血生臭いドロドロの争いを請け負う “テロ集団”
が飼われているようで、最後になればそれが動き出すといった恐怖感が湧いてきます。そして、その恐怖の起源をたどれば、どうもそれは、こうした戦前期の争いの
“記憶” ――個人的な記憶でなく、社会的な記憶――が、今なお生きているからではないか、と思うのです。むろん、単にそうした心理的構造だけなく、機関的構造としても、そうした名残を引いている。
だからこそそれは、日常生活上は、 「タブー」 といった、得体の知れない不気味な恐怖心として徘徊し、私たちの日頃の心理の中に息づいている。
それと、私の場合、 「天皇」 とか 「日の丸」 とかというイメージは、こうした血生臭い暴力沙汰と、どこか意識の底で結びつくところがあります。その心理的メカニズムも、どうやら、こうした昭和戦前期に由来する、社会的記憶のせいではないかと思えます。
では、今回で終わる第19章 「1935年の粛清」 を存分にご賞味ください。
(2012年6月3日)
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