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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第86回)


職人肌戦 vs 大量生産戦


 かくして、真珠湾奇襲攻撃は成功し、日米は文字通りの国家総力を上げた戦争に突入しました。
 二十世紀の開始と同時に、この地球上に生じた各国間の国力の差は、弱力の国や地域を腕づくで支配下に収める 「帝国主義」 の時代のピークに差し掛かります。
 そうした外圧にこじ開けられた明治開国以降、日本は 「和魂洋才」 をスローガンに、座して屈服するわけにはゆかない断固たる精神を内に、急速にその帝国主義の一員に加わってゆき、その結果としての、帝国主義同士のつばぜり合い――日清、日露戦争――
を経ての、いよいよの果し合い、つまり帝国主義国家間戦争です。
 この勃発した太平洋戦争を、日本的感受性をもとに描けば上のようになりますが、あまりにも当然に、この戦争に臨むアメリカ側の考え方は、それと同じではありません。
 真珠湾の奇襲攻撃を、事前に察知はしておきながらも、それを、あたかも “やらせ” としてあえて成功させ、それをテコとして 「眠っていた」 国民を目覚めさせ、民主主義国家のシステムを動かさなければならなかったのが米国でした。そうしてその理念に燃える米国は、思想面ばかりでなく、その国の地理的、人口的規模の大きさを始め、総産業力やそのレベル――たとえば自動車産業にみられるオートメーション生産や、産業管理法を戦争 “管理” にも導入した手法など――の格差を背景に、文字通りの “巨人と小人” との間の戦争の様を呈します。
 こうした格差こそ、日米戦争の開始には反対しながら、もしやれと命じられれば、「米英を相手とする戦争の最初の6から12ヶ月の間、私は破竹の勢いで、戦勝につぐ戦勝をとげてみせる。しかし、もし戦争がそれ以降も続くとすれば、私は成功の期待は持てない」 と明言した山本五十六の 「12ヶ月」 という数字の根拠でありました。

 こうした格差から派生したと考えられる、この戦争の具体的断面を、二カ所にわたって見ましょう。
 その第一面は、こうして取り上げるのもはばかる、今回で描写されている、香港攻略をめぐる惨事です。それは、戦争技術的に言えば、 「戦闘の無駄な持続と生命の犠牲を回避するための手段」 ということなのですが、日本軍がとった手法は、いかにも “手作業的” で、それこそ、身の毛もよだつホーラー行為です。
 四年半後の1945年8月、この同じ論理が、今度は逆に日本に対して使われた――アメリカ将兵の犠牲を最小限にして日本を降伏させる――のが、広島、長崎への原爆投下です。そのアメリカの手法は、いかにもシステマチックで、 “機械工業的” です。しかし、むろん、その規模は格段の差はあるのですが、いずれもその戦争技術上の論理の面では、このように同じものが見られるわけです。
 どちらも、人道主義上の犯罪という面で見れば、片やそのホーラー度において、片やその数の大きさにおいて、いずれも問題とされるべき行為であったと言えます。
 他の断面を見ると、それは、日米の航空力戦の主役のひとつとなった、主力戦闘機の活躍の違いを生み出した設計思想上の違いです。その主力戦闘機といえば、日本側は 「ゼロ戦」 で、米国側は 「グラマン」 です。両機の違いを端的に言えば、ゼロ戦の旋回性能の良さと航続距離の長さです。他方、グラマンの方は、その機体の重さがゆえの旋回性の悪さとその分、後続距離が短くなる特徴です。
 ゼロ戦のそうした特徴は、機体の軽さを優先させた結果のものですが、その為に犠牲にされているのが、操縦士への安全と、攻撃された場合の強固度です。ゼロ戦のこうした弱点はもちろん想定の上で、その弱点は、高度に訓練されたまさに神業の操縦士のアクロバットな操縦技術により回避されはずでした。また長い航続距離は、その飛行の往復に要する時間も長くなり、航路の選定にもそれだけの精度が必要となり、操縦士にはそれだけの負担増となったわけです。
 その逆を想定したのがグラマンです。訓練が多少不足していても、いわば誰でも操縦できるのがこの戦闘機で、その生産も、ゼロ戦の部品数の多さに較べ、グラマンは大量生産に向けてその数は格段に少なく、その工程も減らされていました。
 したがって、戦争が長引いた場合、その生産数という面ではしだいに差が出るのは当然です。しかも、そうしたゼロ戦の神業の操縦士も戦闘でだんだん消耗して減ってゆきます。そして、そのとどの詰まりが、その訓練もままならずに、最終的には機の優秀性も引き出せない訓練不足の操縦士を使って、神風攻撃なぞという、これまたホーラー手法に通じる戦法まで編み出されたわけです。
 言ってみれば、個々の人間の技量にどこまでも頼る職人肌の日本方式に対し、誰にでも、たくさんの人が使え、また作れるという、まさに、民主的なアメリカ方式であったといえましょう。
 つまり、そういう思想の違い、つまり生産方式の発展段階の差からも、日本は長期戦には向かない態勢で、その大国に立ち向かったわけでした。

 最後に、これは、読者の皆様へのお詫びと訴えですが、ひと月ほど前、本サイトが何ものかにハッキングされ、秘かにプログラムを書き換えられる被害をうけました。おかげで、グーグルからは危険サイトとしての警告をもらうはめともなり、定期あるいは初めての読者のみなさんに、不安や迷惑をおかけしています。
 そうした書換えやビールスはなんとか撤去し、もう安全なサイトには戻って
いるはずですが、グーグルの警告が取り去られるまでには、もうしばらくの期間を要する模様です。
 それにしても、いったい、誰がどんな意図で、こうした妨害や邪魔をするのか、その除去や対策に並々ならぬ作業が必要とされるばかりでなく、そういう悪意を働かされること自体に大いに憤りを感じています。
 そういう事情ですので、皆様のご理解とご協力をお願いしたいと存じます。

 それでは、第27章 南進 (その2) へ、ご案内いたします。

 (2013年3月6日)


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