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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第94回)
終わらせるための持続
私はこの訳読を続けながら、折りにつけ、ほかの著者による天皇関連の文献を参照してきました。むろん、読む密度として、このバーガミニの本ほどの傾倒は他にはないのですが、そう参照するなかで、ことに、日本人の書いたものと、外国人が書いたものとの間の違いの大きさに、あらためて驚かされています。
そして、それら間の、あたかも不連続あるいは別物とさえいえるほどの対比に、内と外でそれほどに違って見えることとはどういうことなのかと、ことさらに考えさせられるものがあります。
その違いにはさらに、国の違いはなくとも、同じ日本人同士でも、それを見る観測場所の違いも確かに影響しているようです。それは単に地理的だけでなく、人生のステージの上で、自分の生まれ育った家庭や故郷を、子供時代に見たものと、成人してそこから巣立ってから見るといった具合に、そうした両視野の違いがあるともたとえられます。
- ちなみに、そうしたギャップの一例ですが、私がこの訳読作業を続けているのと時期的に重なるようにして、 『文藝春秋』 に、 「昭和天皇」 と題した歴史小説が連載されていました。昨年の7月に完結したのですが、慶応大学教授で文芸評論家の福田和也著のものでした。
今回、戦時中の日本の文書に関し、バーガミニが英訳する前のもとの日本語表記を確認する目的もあって、その作品に当たってみました。そこで驚かされたことは、その小説の題名に
「昭和天皇」 とかかげていながら、その本文中では、昭和天皇はそうは称されず、すべて、 「彼の人」 という呼び方となっていることでした。日本人に、バーガミニにように、
「裕仁」 と “ファーストネーム” 呼びするのは無理かもしれません。そうだとしても、 「彼の人」 といったなんとも影の薄い呼び方は、故人へのものとはしても、私の知る限り、きわめて異例です。
- もし読者で、読み比べる機会を持たれた場合、そこに、呼称ばかりでなく、同じ時期の同じ場面を表現しながら、まったく緊張感も気迫も違う、二つの異なったシーンに出会うことと思います。(参考までに、今回の訳読あたりに相当するくだりは、同誌の2011年9月号掲載の75回 「ムッソリーニ失脚」 あたりです。)
ところで、先にも幾度か触れたことですが、バーガミニのこの作品で展開されている議論の真髄は、天皇は軍部に振り回されたという、 「天皇被害者説」 への反駁です。しかも、降伏準備にあたって、あらゆる戦時中の公式文書が意図的かつ組織的に抹殺されたという極めて限られた材料をもとに、そうした一種の “完全犯罪” をあばく捜査作業ともたとえられる、緻密な推論の組み立てです。
私は、この 『天皇の陰謀』 という 「捜査ものストーリー」 の読者として、捜査官バーガミニと、天皇制という犯人側組織の、知恵比べを読む興味深さを味わってきています。そうした徹底した証拠隠滅の結果、その作業は、点状にのみ残された諸事実間の 《間隙》 を埋める緻密な推論によって展開されています。
そうした思考の結論は、いよいよ本書が終末へと向かって、尻上りに濃度を増して展開されてきている通りですが、その背後には、膨大な部数の参考文献の読み込みと、結論へと至った論証の根拠を明らかにする、おびただしい数の脚注があります。
これは、私の訳読作業の売り込みともなりますが、本書の既刊の翻訳書は、こうした参考文献リストも、ましてや、その膨大な脚注もいっさい割愛しています。私の訳読は、それらを完全に、原本通りに再現しています。
私が、そうした背景作業から発見したことは、著者のバーガミニによる、そうした本文以前の水面下の推論の厚みです。
今回の訳読では、その中でもことに、天皇裕仁には、陸軍、海軍の両参謀がそれぞれが独立して分析した敗戦見通しが、すでに1943年の末までに、提出されていたことです。バーガミニは、特にこのいきさつには注目し、すでに第2章で関連して掲げた脚注を、今回でも再び、用いています。
すなわち、そうした疑いのない敗戦を知りつつも、実際の降伏までに、もう一年八カ月も、 “無益な” 戦争が持続されたわけです。ことに、南太平洋に配置された部隊については、その飢餓状態は承知の上、はるかに縮小された戦線内での持久戦構築のために、無駄な補給はしないと打ち切られ、見捨てられました。
それででは、「崩壊する帝国」(その5)、へご案内いたします。
(2013年7月7日)
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