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巻末脚注(17)
(2013年9月7日現在)
(第七部 世界終末戦争)
第二十九章 本土の崩落
(1) 本章においては、脚注した出典や参考文献以外に、以下の諸文献をその背景資料として用いた。
W. G. Burchett, Wingate Adventure (Melbourne* F. D. Chesire, 1944).
Claude A. Buss, "Inside Wartime Japan" (Life, January 24, 1944).
Dorothy Guyot, "The Burma Independence Army: A Political Movement
in Military Grab", (Paper read at Association for Asian Studies meeting,
San Francisco, April 2, 1965).
Tom Harrison, World Within: A Borneo Story (London: The Cresset Press, 1959).
A. V. H. Hartendrop, The Santo Tomas Story (New York: McGrow Hill, 19649.
Vern Haughland, The AAF Against Japan (New York: Haper and Brothers, 1948).
林 三郎, 『太平洋戦争陸戦概史』 (東京、岩波新書、1951年)..
Harold Riegelman, Caves of Biak: An American Officer's Experiences in the Southwest Pacific, with prefaces by Robert Eichelberger and Hu Shih (New York: Dial Press,
1955).
Frederic Stevens, Snto Tomas Internment Camp, forewarded by Diglas MacArthur (Limited private edition printed at Startford House, 1946).
臼井 勝美、 「急転する占領政策:大東亜会議」、 『朝日ジャーナル』、7, No. 45 (1965年10月30日)、pp 74-.
(2) Morrison, 7: Aprndix II。
(3) 同書、7: 121-74。
(4) 同書、7: 230-304。
(5) この節は、木戸 『日記』、1082-87 を基に、退役海軍司令官とのインタビューで補強。また、木戸 『日記』、104 (1944年5月1日) 参照。
(6) 木戸 『日記』、1088、林茂ほか、2: 39-46、松本とのインタビュー、Butow, Japan's Decision, 51-54。
(7) 木戸 『日記』、1089-90、杉山、2: まえがき、27-28, 32-33。
(8) 朝日新聞、1944年2月27日。
(9) U.S. Stratigic Bombing Survey, Summary Report, 9; goals、木戸 『日記』、1087。
(10) Slim, 254-95, Collier, 413-17。
(11) 小島、2: 143-59、、服部、989-93。
(12) Morrison, 7: 430。
(13) 同書、133-40。
(14) 木戸 『日記』、1011-111の1944年6月15日付メモ。
(15) Morrison, 8, Appendix II and III (参加艦船)、同書、8: 233 (損失艦船)、Inoguchi et al、25.。
(16) Inoguchi et al、27-29、Zacharias、182 (城の経歴)。
(17) 木戸 『日記』、1112-113 を退役海軍司令官とのインタビューで補強。。
(18) U.S. Stratigic Bombing Survey, Summary Report, 9。
(19) Kawabe Torashiroi, Statements, 2:67-68。
(20) Inoguchi et al、139-40。
(21) Morrison, 8: 152。
(22) Morrison, 8: 339, Otis Cary とのインタビュー。。
(23) 木戸 『日記』、1114 (7月1日)、1112-113。
(24) Toland, Rising Sun, 511-12。
(25) Morrison, 8: 336。
(26) 同書、338。
(27) 同書、339。
(28) 同書、401。
(29) 同書、364。
(30) 同書、369。
(31) 木戸 『日記』、1115-129 よりこの要約を作成。
(32) Nakajima et al, 140-41 〔この文献の詳細は不明〕
(33) 木戸 『日記』、1137。
(34) Morrison, 12: 9-11。.
(35) 同書、24。
(36) 同書、35-36, 41-43。
(37) 秦 「ノートブック」 、また、 Maj. Frank O. Hough, The Assault on Peliu, (U.S. Maine Corps, Historical Division H.Q., 1950), Appendix F, "Mission of Murai" 参照。
(38) 服部、673-89。
(39) 木戸 『日記』、1143-44。
(40) Potter Soldier Must Hang、110。
(41) 木戸 『日記』、1146。
(42) Morrison, 12: 50。
(43) 同書、104, 106。
(44) 同書、Appendix I, 113。
(45) 木戸 『日記』、1148 (1944年10月16、18、19日)。
(46) 木戸が『日記』, 1148 (10月19日付) に書いている、天皇の使いとは大西であると、退役海軍司令官がインタビューで説明。
(47) Inoguchi et al、7.。
(48) 同書、37 および注記。
(49) 同書、8。
(50) Ito 120-79、Morrison, 12: 159-338、D'Albas,301-35 、神風作戦については Inoguchi et al、47-48。
(51) Morrison, 12: 130-38。
(52) Translations, 3: No.5。
(53) Inoguchi et al、19。
(54) Morrison, 12: 242-88。
(55) 同書、那智, 239、木曽, 356、金剛, 410、熊野, 357。
(56) 同書、Appendix II (日本語)、Appendix I (English)。
(57) 木戸 『日記』、1148、退役海軍司令官とのインタビュー、Inoguchi et al、64。
(58) Morrison, 12: 397、Toland, Rising Sun, 607。
(59) Smith, Appendix H, 692, 694。
(60) Morrison, 14: 68-69。
(61) Berger, 145。
(62) U.S. Strategic Bombing Survey、Campaigns of Pacific War, 331、Appleman et al, 473 。
(63) U.S. Strategic Bombing Survey、Effects of Strategic Bombing on Japanese Morale: また、Summary Report 21。
(64) Berger, 146, 149。
(65) Coox、100、小泉とのインタビュー。裕仁はたぶん、自害も退位も、いずれも真剣には考えていなかった。しかし、彼は、彼の武士道精神あふれる家臣がそのいずれかを名誉のために期待していたであろうことは知っていた。
(66) Morrison, 13: 123-30, 193-96。
(67) 同書、196-97。
(68) Smith, 、306-7。
(69) 例えば、IMTFE "Proceedings". 14533 で証拠に挙げられている Army Asia (Secret) No, 2257
とのタイトルの電報、あるいは、同書、14725 の 「最終処分」 に関する たいこく収容所の書類、あるいは、IPS Documents No. 2697 の東京の捕虜管理局長から台湾占領軍あての 「記録なき解放」 に関するラジオ放送書類を参照。
(70) Lord Russel, 88-91。
(71) 同書、93-107。
(72) IPS Documents No. 2697。
(73) Inoguchi et al、189-90 に引用されている鈴木貫太郎。
(74) Sasaki Saburo、319 また、306, 309。
(75) 同書、302-25。
(76) Berger, 127-31。
(77) Kato, Lost War, 215, 224。
(78) Newcomb、240。
(79) Coox、24。
(80) 同書、28。
(81) Toland, Rising Sun, 744。
(82) 木戸 『日記』、1176-177。
(83) U.S. Strategic Bombing Survey、Effects of Strategic Bombing on Japanese Morale: また、Summary Report 21。
(84) Ito Masanori、184-90。
(85) 田中とのインタビュー。また、、Appleman et al, 参照。
(86) Kato, Lost War, 217。
(87) U.S. Strategic Bombing Survey、Summary Report 21。
(88) 木戸 『日記』、1225。また、Coox、126 参照。
(89) Craig, 148、Toland, Rising Sun, 824
(90) 大宅 『日本の一番長い日』、202 English version, 312. (日本語版の方が、言葉の選択などで、含みが深い。)
エピローグ 新たな衣服
(91) この1945年以降の日本の出来事の概観は、新聞記事による共通した記録と日本人との会話に基づいている。私は以下に、いくつかの特定の出典を、認知されなくなっていると思われるものの詳細を明示する。ことに私の着目点は、本書が取り上げる前に何が消え去ってしまったか後に判明したかもしれないこととの関連性を示唆する出来事の解釈――
「意見」 と言ってもよい――である。私は国家文書や日誌を引用していないが、それは、いずれも入手不可能であったためである。しかし、私は数年先、あるいは、数十年先の将来、そうした記録が次第に公開されることを期待している。
(92) 例えば、1945年9月9日付 『ニューヨークタイムス』 、あるいは、1945年11月20日、12月12日付の 『シンガポール・タイムス』 を参照。
(93) Tuji Underground Escape, 1-90 を参照。
(94) 梶浦 銀次郎退役少将とのインタビューより。
(95) K. G. Toregonning, A History of Modern Saba (North Borneo, 1881-1963), 2d ed. (Singapore: University of Malayan Press,
1965), 217-221.
(96) この節は、“Yamashita Trial Proceedings” (unpublished papers, Natinal War Memorial,
Canberra), の随所、また、Potter, Soldier Must Hang, 170-97, および、Reel, 随所、に基づく。。
(97) Potter, 180。
(98) 著者の体験、Watanabe Hiroshi, Statements, 4:448-53、また、土谷直敏 『山ゆかば草むす屍』 (大阪、ぶんしょう院、1965年)、随所。
(99) Neil Sheehan 記事, New York Times, Jan. 9, 1946. リールの手紙は、New York Times, Jan. 19, 1946. また、News Week, Feb. 22, March 22, 1946 も参照。
(100) New York Times, Dec. 1, 1945 の山下の法廷への最終声明から抽出 。
(101) New York Times, Feb. 5, 1946. 。
(102) MacArthur,Reminiscence 295-96。
(103) Potter, Soldier Must Hang, 194。
(104) この節は、“Honma Trial Proceedings” (unpublished papers, Natinal War Memorial,
Canberra), の随所に基づく。
(105) Toland, Rising Sun, 320 n.。
(106) 同書。
(107) MacArthur,Reminiscence 296-98。
(108) Toland, Rising Sun, MacArthur quoted: 298.。
(109) John Luter, Dispatch No. 284, to Time magazine。大川の乱心について、Luter は、 「ハッピー・チャンドラーを知ってるか。彼と仕事をするんだ。」 を含めている。
(110) Gayn Japan Diary, 209、Newsweek, May 13 1946, Butow, Tojo, 485 に引用。
(111) Butow, Tojo, 486。
(112) 竹田 120-23。
(113) Kase, New York Times, Sep. 2 1970. また、Journey to the "Missouri", 220-。
(114) トニー・加瀬とのインタビュー。
(115) Carl Mydans, Dispatch No. 770 to Life International, Nov. 13 1948。
(116) Faibion Bowers (a personal aide-de-camp to MacArthur, 1945-46), "How Japan Won the War", New York Times Magazine, Apr. 30 1970, 39. また、Yoshida, 59, 参照。
(117) この日本の経済的復活についての概略説明にあたって、私は、以下の文献を参考にした。
Louis Kraar, Fortune, Sept. 1970, 126. Takeshi Oka, New York Times, Jan. 5, 1970; "What makes Japanese Business Grow," Boston Consulting Group (unpublished printed material). "The Japanese Economy: A Continuing Miracle?", Interplay, Dec. 1969/Jan. 1970. James C. Abegglen, "The Economic Growth of
Japan", Scientific American, March 1970, 31.
(118) 商人と貴族との結婚の詳細については、鈴木幸夫のことに 「家系」 を参照。
(119) 引用は、Bowers, "How Japan Won the War," 3 より。米国の無視の程度は、議論の余地がある。Gen.
MacArthur's Staff, Historical Report of Operations in the Southwest Pacific Area, completed in 1951 は、将軍の視点 (vol. 1) 、摂取された書類にみる日本軍司令官の視点 (vol. 2) にのべられている。だがそれはまだ機密扱いされている。Morison, 12; ix は、それについてこう言っている。 「たった3部のみ印刷された。(だが、どこでそれを見たのか、とは聞かないでほしい。それは言えない!)」
〔松崎による翻訳〕 。
(120) Mydans, Dispatch No. 770 to Life International, Nov. 13, 1948。
(121) この節は、黒田、185- に基づく。New York Times, Dec. 27, 1967, De. 27, 1968, Jan. 25, 1970 によって補強。
(122) New York Times, Jan.13, 1968。
(123) 藤島、62-。
(124) 『週刊朝日』、1966年2月11日号、15 。
(125) 藤島、68、松本清張、「東久邇とのインタビュー」、 『文藝春秋』、1968年1月号、170- 。
(126) 室伏、247-49。
(127) 退役中将とのインタビュー。
(128) New York Times, 1967年2月11日。
(129) この節は、Donald Keene, "Mishima", N.Y. Times Book Review, Jan. 3 1971, 5、Time magazine, Dec. 7, 1979, 32-37、Takashi Oka, "Japan's Self-Defence Force Wins a Skirmish with the Past," N. Y. Times Magazine, Feb. 28, 1971 に基づく。
(130) New York Times, 1970年6月1日。
(131) 私的な文通による。
(132) New York Times, 1971年2月28日、Oka によって引用されている、Amma Takeji 三曹。
(133) 『朝日新聞』 1971年1月6日。
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