アメリカ国民が「強いアメリカ」に誇りを持つように、また、それがないと移民国の弱みがもろに出てしまうように、オーストラリア国民も「強い」自国をこよなく誇りとしています。

ただし、アメリカとは違い、その強さに軍事的色彩はありません(最近はそのアメリカを見習い始めているようですが)。その強さはもっぱらスポーツの世界で発揮されています。

ある統計によると、オリンピックで、オーストラリアの獲得メダル数は、人口比率に直してみると世界一だそうです。

もし、この比率を日本にあてはめてみると、そうとうみすぼらしいものとなるでしょう。

国が広いという事情が大きな要素と思いますが、オーストラリアでは、どんな大都市でも、市内に広大なスポーツ施設が、いたるところに見受けられます。それも、もしそれが日本なら、休日たるや大忙しで利用されているでしょうが、週末にも、けっこう閑散としていたりもします。つまり、国民がスポーツに接する機会がはるかに容易と見受けられます。

その証拠と言ってはおおげさかもしれませんが、何かの機会で、オージーとスポーツの話で意気投合、しかもそれが同じスポーツであった時など、よく「今度、いっしょにやろう」ということになります。それ自体はけっこうなことなのですが、やれ実際にやってみると、その水準の高さにびっくりさせられ、時にはコテンパンにまかされることにもなってしまいます。

労働時間も短く、休暇も多く、しかもその施設も整っているとすれば、こうした自らの「みじめさ」にも納得がいきます。

こうした底辺の広さ厚さが、上記のような統計値にも反映しているのでしょう。スポーツ ナショナリズムのおこってくる所以でもあります。

(2003.11.5)

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