「連続」のメタ体験(MOTEJIレポートNo.20)

両生“META-MANGA”ストーリー<第26話>

まずはじめに、MATSUの還暦二周目への出立に、俺もその演出になんぼか関わっただけに、心中より「おめでとう」のメッセージを送りたい。そして付け加えて、例の男「もと空」から、こう言ってくれとの伝言を預かっている。

「先には、猛暑の中を、わが寺、東寺まで足を運ばれ、かたじけなかった。」

まあ、そこまではいいのだが、この先、俺MOTEJIにはまだその意味のよくつかめない、さらなる伝言がある。こうだ。

「離言真如〔本質は言葉では表せない〕と言いながら、あのような具現像を様々に残してきたのは、今の自分としては、一見、矛盾とも映る選択であり、行為だった。建物は建立しても、中には何もない、それこそ〈空〉とする方法もあったろうが、それを護国寺とするには、あまりに突き放した格好だったろう。あるいは、キリストのように、ただ、語りの旅を続けるという方法もあったかもしれぬ。確かに、そう形あるものとして、それを独り歩きさせてしまった。」                                                                                                                                                                                                                                                                    

この伝言がどういうことか、俺にはさだかでない。だが、〈「し」という通過点〉を超えたこちら側では、次元を異とする様々なことだらけだ。それ以前には「あった」としていたことが、こちら側では、ことごとく「無い」。そうにも拘らず、連続はしているのだ。

「もと空」はその連続を、「縁」と呼んでいるようだが、このつながりは何なのか。

ちょうど、このレポートの掲載される号に、訳読版の「離身体験」も掲載されるようだが、この偶然も何やら因縁がありすぎる。それもこの「縁」の別の回路の現れなのだろうが、その通過点のこちら側では、それどころの話ではない。なにせ、時間すらが無で、あらゆるものがエンタングルしているのだから。

ここではそれを地球語にして、《「連続」のメタ体験》とでも呼んでおこうか。

ところで、このエンタングルメントについて、MATSUはまた、新たな発展をみつけたようだな。アマゾンへの新発注、察知したぞ。

 

さて、ついでだが、MATSUなりのその《「連続」のメタ体験》の産物、東寺の曼荼羅図を二点、以下に拝借させてもらう。「もと空」は、これについては、ことに何も伝言をくれなかったが、彼の構想を絵図にえがいた地図のようなものらしい。

 

金剛界・胎蔵界両曼荼羅図

(いずれも国宝)

 

 

 

 

 

Bookmark the permalink.