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第二期・両生学講座 第1回
先々月、 「両生空間」 が細胞分裂して 「私共和国」 を誕生させた際、これを機に両生学講座はその第一期を終え、その第二期のスタートを予告しました。
この第二期は、私のこのメインサイトが、かくして二つのサブサイトを持ち、いよいよ三次元の構造をもつことに始まります。
というのは、そもそも 「両生空間」 は、地理的移動をふりだしとした二次元的視差をその創造の原動力としてきました。そこに、哲学的、思想的な 「メタ」 発展をへて、 《二重底》 のアイデア、つまり、そうした平面的広がりに三次元的な上下の 「両生」 視点を加え、立体的な容積をもった 「三次元両生空間」 と、そこにおける立体的視差の世界ができあがったわけです。私はこの新たな空間による両生学を 《トリ両生学》 と、そしてその空間を 《トリ両生空間》 呼びたいと思います。
こうした空間を想定することにより、私は相当正確に、自分自身の居場所を持つことができるようになったと感じています。
私たちの生息するこの世界を、地上の 「よこせし」 ものどもの君臨にまかせていては、とても自分の生をまっとうはできません。かといって、抽象の世界に純粋をもとめても、それは一種の片手落ちか昇華にすぎず、また、超越的世界に安息を発見したとしても、それは人間世界を
「神」 の似姿にゆだねる別の君臨を意味します。
私は、少なくとも、 「今」 の生の分析装置として、このトリ両生学の有効性に期待します。ひとつの命として、余りにも脆く壊れやすい私たちが、この分析装置を持つことで、その脆弱さを保護することができそうです。そして、こうした私の道具が、若い世代の人たちにも利用され、彼ら彼女らが、人生の不必要な苦難に巻き込まれぬように役だってもらえればうれしいとも思っています。
そこでなのですが、こうした今を生きる思考の枠組みがなんとか把握できたところで、先月より、さらにつぎの段階の装置を実験中です。それが、連載中の
「相互邂逅」 です。
つまりこれは、こうした三次元的装置に、時間というもう一つの次元を加えた四次元的視差の追究の舞台となるはずのものです。たとえば、金属疲労という現象が、部材の三次元的分析に時間の概念を加えて解明されたように、この三次元装置を、時間にそってスライドさせて適用させることにより、いっそう人間世界の実相に近づけようとするものです。この発想については、すでに前回、
「私共和国第二回 立体化路線」 でも述べたとおりです。
言い換えれば、私が歴史に関心を引き付けられてきたのは、現在の枠組み内では回答不能な問題を、時間をずらすことに解明のヒントを求めていたということかも知れず、歴史とはそういう意味で、現状突破の手段、少なくともその手掛かりともいえるものです。また、これを別の角度からいえば、歴史とは、私たち個人にしてみれば
《経験》 ということにほかならず、歴史とは人類の経験といえます。つまり、歴史と経験は同次元のもので、人間ならではの縦の奥行きです。さらには、現在というこの
「縦の奥行き」 の一断面空間にあって、それが誰かにたとえ暗黒界であったとしても、将来という時間の要素を加えることにより (もちろん、過去についても同じことが言えます)、そこに明るさを灯せる手掛かりを見出せることになるかも知れません。そういう意味では、この四次元的装置は、希望の道具とも言えるかもしれません。
連載中の 「相互邂逅」 は、そうした仕組みをもって、自分の経験を 《歴史する》 こころみで、そこでは、過去の時点という過ぎ去った断面空間において、私によって書き残されたさまざまな記録を、歴史学者が古文書を手掛かりとするように、それらを採り上げ、解読し、意味を探る作業がなされるはずです。
このように、 「相互邂逅」 とは、自分の歴史学であり、同時に未来学であるがゆえ、 「相互・邂逅」 であるのです。
わたしはこうした四次元の分析装置を、三次元の 「トリ両生学」 にならって、さらに、 《テトラ両生学》 と呼ぼうと構想しています。が、まずはともあれ、連載の進行が当面の課題です。
(2008年8月20日)
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