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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第24回)
新しくなるために古きに還った
前回までの訳読で、日本の歴史についての捉えにくい意味が、にわかに浮かび上がってきているように思えます。
それは、一言でいうと、日本は 《新しくなるために古きに還った》 ということです。これはどういうことかと言いますと、1868年の天皇統治の復活――明治維新=Meiji Restoration=明治王制復古――が、西洋の脅威がゆえに日本が選ばざるをえなかった、一種の防衛手段だった、ということです。
むろん、日本の太平洋戦争の引き起こしが、西洋諸国の日本包囲に対する正当防衛だったとの議論があることも心得た上で、太平洋戦争どころか、日本の近代化の歴史そのものが、西洋と対峙することとなった結果の対抗上の手段,、即ち、防衛反応としてのものではなかったのか、という視点です。
言うなれば、地球上にはそれほどの格差や不均衡が過酷に存在しており、その力の差を活用した弱肉強食の鉄則が根をはり、誰もそれからは逃れられなかったし、今もそうである、ということです。
そして、そういう防衛手段として採用された策が、明治王制復古でした。
逆に言うと、もし、西洋からの脅威がなかったなら、むろん防衛の必要もなく、日本は天皇統治を復活させる契機をもたず、江戸末期の幕藩体制の衰退と台頭しつつある商人階級とのしのぎ合いがそのまま自然に亢進し、一種のブルジョア革命へと至り、産業革命へも移行しうる土壌すら形成していったのではないか、という――先にも述べた――見方です。ただ、もしそうであったとすると、日本がアジアでの強者となって、西洋が起したと同様なことを実行していたのかも知れませんし、実際に、明治維新をへて、日本が疑似西洋となって行ったのは、その後の歴史が演じてみせた通りです。
この 《新しくなるために古きに還った》 というべき逆説は、考えてみれば、たとえば、個人の社会的成長といった面ではよく起こることです。つまり、人が思春期を迎え他者と接触――往々にして苦い摩擦を伴う――を始める時期、その苦い体験に耐えきれない個性が、家庭内に逃げ帰り、内閉的なパーソナリティーを形成し始めるという症例と相似的です。
もちろん、思春期において、親の庇護のもとへの一時的な避難を繰り返しながら、人はやがて親から巣立ち、健全な自立した人格へと成長してゆきます。
ところが 「日本」 の場合、この家庭=親の役割としての天皇制が、その効用の大きさのあまり、時の政治家によっても、あるは、戦後の占領軍アメリカによっても、 「日本人」 をその内閉的な状態に拘束した結果の扱いやすさがゆえに、必要以上に長く、深く、残存させられてきているのではないか、という見方です。
そういう意味で、ここに、 《自閉症としての天皇制》 像が浮かび上がってきます。そしてそう捉えると、 「万世一系」 とか 「二千数百年の皇統」 とかといった神話的霊力が漂う世界が今だにうんぬんされる、その心的病理性についても、そのゆえんが納得できる気がしてきます。
ところで、岸田秀が、黒船来航から維新にいたる日本人の歴史的体験を 「レイプされた」 と喩えた話は前にも触れましたが、それは、レイプといった犯罪的行為――相手の悪さへの着想――というより、むしろ、人としての社会的発達過程上のつまずきとも喩えうる、自国としての国際関係発達上のひずみ現象だったのではないでしょうか。
ついでながら、それがもし犯罪行為に等しいものであったとするなら、その犯人はそう告発されるべきです。また逆に、国際慣行としてその体験は常態を越えるものではないと判断され、告発が無理だと思われるなら、そうした国際的
“お付き合い” にも熟達してゆくしかありません。
ここから先は、私のさらに独断的推論ですが、日本人をそうした 「お付き合い」 つまり国際的社交性において、一種ナイーブな存在とさせている原因を天皇制が作り出している、と仮説を立ててみますと、天皇制を機能させるからくりが、日本人――その列島にともあれ一緒に居住してきている雑多な人々――をひとまとめに包摂してしまえる、神話時代以来の長大な家族関係という抽象モデル像をテコとした、心的融合作用(つまり共同幻想化)を活用したものだと見えてきます。
これまでの訳読で明らかになっているごとく、「万世一系」 といっても、それが継続しえたのは、第一に外敵による征服がなかったことと、第二に、自然な経過では途切れてしまう家系を、おびただしい数の妾や養子を駆使して、たとえ太古の誉れ高き神話時代を起源にしたとしても、それとの継続性は、この程度のものです。
つまり、東洋のはずれの島国に、箱入り娘風に生きてきた 「日本人」 が、近代という西洋が主導権を握る乱暴な他者付き合い(注記)から逃げられなくなった際、その外交的にひ弱な人々をなんとかひとまとめにする、つまり、ひとつの国民国家を形成するための国家的イデオロギーとして編み出されたのが、天皇制という統治システムとそれに組み込まれた
「万世一系」 に代表される神話構造モデルであったのでしょう。言うなれば、その遠大な古きへの帰還こそが、近代化への最も有効な処方箋であったという逆説です。前回の訳読にバーガミニが書いている明治帝国憲法の発布までの過程で、長老政治家たちによって数年にわたって続けられた議論の核心も、そのあたりにあったのでしょう。言い換えれば、明治憲法は、その古きと新しきを繋ぎ合わせるための国家的
“たが” でありました。
- (注記) 「箱入り娘」と言っても、豊臣秀吉以来の日本人に根強い征韓論の存在は、日本人とて、その根底では、その西洋風な 「乱暴さ」 を、西洋によって見習わされる以前から持っていたことは確かです。
視野を広げれば、フロイトは西洋の心理学を、ギリシャ神話にまで遡ってその父権社会に潜在する心的抑圧構造の分析を出発点として組み立てました。一方日本では、むしろ顕在的な国家イデオロギーに組み上げるために、同様な神話を起点とする心的構造が活用されたのかと気付かされます。
そういう意味では、洋の東西で違いはありながら、いずれの国もその底流に、 《新しくなるために古きに還る》 神話帰還逆説――そういう壮大なこじつけ――が共に有効でありえるのかも知れません。そして、それがゆえのそうした 「心的病理」 の人為的導入によってこそ、国民国家という包摂と排除の構造、つまり 「戦争」 のための最も有効な装置を、近代という歴史が作り出したのでしょう。
ところで、今回の訳読ですが、そのハイライトは、伊藤博文の暗殺です。
私は個人的に、これまで伊藤を、腹黒い政治家で、植民地に君臨して暗殺されても仕方のない官僚首領と、漠然とながら、受け止めてきていました。しかし、今回の訳読を体験し、そのイメージはがらっと変わりました。
また、他の歴史書を再度あたってみたりもしましたが、注意深く読み直してみると、確かに、伊藤の行動には一見矛盾する両面性――リベラルな国際派と守旧な政府重鎮といった――があり、これまでの自分の捉え方の浅さを認めさせられます。
そういう伊藤が暗殺されるに至る、それはなぜ故なのか、その謎解きは、今回のくだりをお読みください。
では、今回もその訳読にご案内いたします。
(2010年5月29日)
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