連邦制度のおこり
日本人にとって、連邦制度はなじみがうすい。
歴史の早い時期から全国統一のなされた日本と、二百年そこそこの短い歴史のなかで、植民地国家として成長してきたオーストラリアでは、その成り立ちがそもそも違います。

この広い大陸に、初期の植民地は、それぞれ別々に入植をはじめ、それぞれが独立した自治体を形成しました。その送り出し国は同じイギリスでも、広大な大地に点として開拓をはじめた最初の各入植地は、それぞれ孤立し、おのおのに自領を拡大していきました。

それぞれは孤立しているから、独自の行政体をつくるしかありません。各入植地はおのおの総督(英国女王陛下の名代)をおいて、ひとつの国に等しい機能をもってゆきました。

したがって、各入植地が拡大して州となり、互いに境を接するようになると、州境界には税関がおかれ、通行に税金が課せられたりしました。今でもそのなごりというか、国内旅行なのに、果物の持ち込みができない州があります。大陸があまりに広いため、例えばミバエといった害虫の分布も隔てられているからです。

こうした歴史のため、各州同士のライバル意識もなみではありません。その象徴的な話が首都キャンベラ誕生のいきさつです。1901年の連邦国家成立の際、何かと競い合ってきたニュウーサウスウェール州首都シドニーとビクトリア州首都メルボルンが、国の首都の取り合いでたがいに譲らず、結局、その地理的中間をとって山の中の現在のキャンベラに落ち着きました。

今日でも、日本人の目から見れば、各州はほとんど独立国のようで、各々に首相もいれば、警察も各州でもっています。防衛、外交、貿易といった全国的なものは連邦政府が担当し、教育、社会福祉、道路、鉄道、電気、ガス、上下水道といった生活に密着したものは、州政府の担当となっています。

立法をになう州議会も、州によってまちまちで、二院制であるところもあれば、一院制のところもあります。

今、州政府はすべて労働党が政権をとっており、興味深いことに、連邦政府の自由・国民連合政府と対照をなしています。

こうした分権された政治システムが有効なものなのかどうか。日本では地方分権が流れのようですが、ここオーストラリアでは、現制度をよしとする意見も、二重で無駄があるとする意見もあります。 
       
 
(2003.10.29)

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