メイトシップ
オーストラリアの文化を知る上で忘れてはならないことに、支配者の立場にいる人間に対し、多数のオーストラリア人が本能的ともいえる反発感情をもつことがあります。
これは、イギリスの流刑植民地として発足した土地に、本土の社会的不平等に不満をいだいて渡ってきたプチブルジョアや労働者の自由移民が、きびしい植民地の生活に無理解な英本土の支配階級に憤慨し、やがて本国との絆をたって独立の道をえらんだオーストラリアの歴史に関連しています。
オーストラリア国民歌の「ウォルチングマチルダ」も、その歌詞は、羊を盗み警官に追われて溺れ死んだ不幸な労働者の話です。
こうした反権力者意識を土台にしたものが、「被支配者同士」つまりふつうの国民の対等な同胞意識で、オーストラリアで「メイトシップ(mateship)」と呼ばれるものです。
オージー同士の会話をよく聞いていると、よくその語尾に「mate」(「マイト」と発音する)がつくのがわかります。たとえば、「コンチハ」が good
day mate (発音は「グダイ マイト」)となります。あなたがそう言われた時は、少なくとも言葉使い上では、仲間扱いされているのです。
近年では、このメイトシップが批判される傾向もあります。たとえば学校などで、仲間外れにされるのを恐れて、生徒がぬきんでることに自らブレーキをかける傾向があるといいます。それを「トールポピー・シンドローム」(背高ケシ症候群)と呼んで、言わば悪平等を戒め、持てる才能を伸ばそうとする用語となっています。
筆者(松崎)は、このメイトシップが大判振る舞いされたシーンを目撃したことがあります。
日本の大手食品会社が買収したシドニーのある食品工場で、早めのクリスマスパーティーが催された時のことでした。宴もたけなわとなり、日本人の工場長が、くだけ始めた会場を「日本風」にまわっていました。いい気分になった一人の労働者が、工場長をみるや、ファーストネームで呼びかけていきなり彼と肩組みをし、親しげながらまさにズケズケと工場長評を説き始めたのでした。工場長のとまどった顔はおかしく、またそれだけでおわりましたが、これが日本だったらと、ヒヤリともさせられました。
オーストラリアでは、タクシーに一人で乗る時、ふつう、後部席には座らずに助手席に乗ります。これは、後ろの席に乗るのは運転手を見下げていることになるからだそうです。首相でさえ、公用車の助手席に席をとります。後ろの席でふんぞり返るのは、お高くとまっている証拠とみなされ、政治的にはおおいにマイナスなのです。
ズケズケとしながらも微妙な配慮。これがメイトシップ、あるいは、オージー「民主主義」の真髄です。
(2003年11月1日記)
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