直訳すれば「囚人の壁」(写真)となりますが、これは、オーストラリアの開拓時代当初、移送された囚人が労働力として使われ、彼らによって建設された石垣のことです。
この石垣は、当時グレート・ノース・ロードと呼ばれた、シドニー北部とハンター・バレーを結ぶ街道の一部につかわれたもので、その多くが今日でも残っていて、まだ、現実に使用されているところもあります。
シドニーの北部には、ホークスバリー川が流れ、川とその河口部の入り組んだ入り江によって、開拓当時、シドニーとその北部を結ぶ陸上交通の妨げとなっていました。
また、シドニーの北方120kmほどのあたり、現在のニューカッスルの後背地には、現在、ハンターバレーと呼ばれる土地の肥沃な地帯があり、多くの入植者を迎え入れていました。
今日なら、ニューカッスルに上陸して、陸路そこに向かうのが最も容易なアプローチですが、当時は、ニューカッスル港はまだ開かれておらず、上陸も難しい地点でした。
そうしたことから、ホークスバリー川の中流、現在でも、ワイズマン・フェリーと呼ばれる渡しが使われている地点から、山地を経て北へ向かう道路が建設されたわけです。
このグレート・ノース・ロードは、1826年からおよそ10年間にわたって建設されました。写真の石垣は、1830頃に建設されたもので、山の鞍部を渡る道路の擁壁として、道の両側に建設されました。道幅は、現在の道路の往復二車線でも十分の幅があり、この道路を行き交う交通量やその重要性がしのばれます。
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