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両生学講座 第7回(両生宗教学)
 


       東と西の《唯識



 前回で述べましたように、この唯識についての講座は、むしろ前回以前に行われるはずのものでありましたが、順序が逆となりました。
 今回、私はここで、「唯識」という言葉の意味を私流に解釈しますので、それを他と区別するために 《唯識》 と表します。
 この私流の 《唯識》 とは、本講座第5回の 両生学への序論:「疎外」との遭遇 で触れた、大乗仏教の理論である「唯識」あるいは「唯識学」を出発点としています。しかし、本稿では独自に、さらに哲学の領域にも入り込み、いっそう学際的概念としてとらえ直した 《唯識》 をおき、まだプリミティブな段階ながら、東西の哲学的、宗教的思想の読み直しをこころみてみたいと考えています。
 言い換えますと、この学際的とは、前回の 思い深まる「お墓参り」 で述べた、、「『身体と精神の分離』という思考体験」を契機とした宗教的想念や、本講座第6回の 逆算としての「ポスト構造主義」 で述べた(デカルトの言う)「我思うゆえに我あり」のその「我」にまで立ち返った「意識」というもの、そして、従来の心理学で言う深層心理の領域、そしてもちろん、大乗仏教としての唯識の本来の教義、こうした、心理学、哲学そして宗教学のそれぞれの分野にリーチをのばし、私たちの精神的働きを、よりトータルに考える概念的道具 (要するに「ごっちゃ煮」です) として 《唯識》 を用いたいと思っています。
 (さらに今後、そうした思考の “発生装置” である私たちの脳についても踏み入って見たいとも考えており、その学問=脳科学を、新たな講義テーマとして取り上げる予定です。今回に同時掲載している「『自足自律機械』しかけの私」は、そのテーマへの橋渡しの意味もこめています。)
 こうして、「我」をめぐる精神活動を捉える、そのサイズのきわめて大きな容器として 《唯識》 を用意すると、そうとういろいろなものがその中に入ってしまうのではないか、とするのが今回の議論のもくろみです。
 また、そうした対象構成をもった分野を、「両生宗教学」と呼称するなら、それは、今日の、日増しにモラル(倫理性)の欠如の度合いを高める世界的風潮にあって、その「復活学」とでも呼べる独自の役割に、一定の貢献ができるのではないかとも期待しています。
 
 「唯識」とは何か
 察しのよい読者にとっては、それでは、ここでいう 《唯識》 と一般にいう「意識」と、どこがどう違うのか、といった疑問がおこって当然かと思います。
 そこでまず、本来の大乗仏教としての「唯識」について、岡野守也著 『唯識の心理学(改訂版)』 (青土社、2005) をガイドブックに、その要点をつかんでおきたいと思います。
 まず、岡野氏によると、
 そして氏は、その代表的な古典 『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)』 をテキストに、その読み解きをすすめています。
 その唯識の「識」とは、おおまかには「心」のことでであり、つまり「唯識」とは、「すべてのことは心による」という、この学説の基本的な主張を要約した名称です。つまり、まさしく、「心理学」といってよいものです。氏の読み解きによれば、この心理学の対象とするものは、いわゆる深層心理学から、さらに、自己超越の心理学にもおよんでいるものです。
 すなわち、仏教は、ブッタ以来、心の問題に焦点をあてた思想です。しかし、原始仏教は、心を「眼、耳、鼻、舌、身」の五感に「意(識)」を加えた「六識」構造でとらえており、深層心理的な理論は展開していませんでした。
 そこに、部派仏教の展開のなかで、一種の深層心理的な洞察が進められ、唯識にいたって初めて、六識に「マナ識」と「アーラヤ識」を加えた「八識」構造として、仏教の深層心理学が確立されました。
 詳しい解説は原本に当たっていただくこととしますが、氏によれば、この加えられたふたつの意識、「マナ識」と「アーラヤ識」とは、フロイトのいう「無意識」にあたるもので、しかも、フロイトによるその発見が行われたのは19世紀末であったのに対し、唯識については、その発見が遅めに見ても三世紀のことであったことを考えれば、それは大変なことではなかったのかと提起しています。
 また、氏は、このふたつの無意識のうちのことに「アーラヤ識」は、今日の心理学でいう自己超越の段階に相当するものであるとも指摘して、その深さとともに、その先見性、あるいは現代性にも、驚異をもって注目しています。
 この自己超越のレベルについてですが、氏はさらに、現代アメリカの思想家ケン・ウィルバーの考えから多くを学び、その究極に、「全宇宙論(コスモロジー)」を展開しています。
 ことに、今日の私たちが物質主義に支配され、思想的にも、倫理的にも、生態的にも、まさに自己中心的に孤立と枯渇を深めているなかで、「コスモスとの一体感・宇宙意識・覚り」 といった、私たちのもつ至高の「意識」について、「人間の意識というのは、宇宙が自己認識をするために生み出した宇宙の自己意識器官なのではないか」 (『自我と無我』 PHP新書、p.170)、と問いかける氏の発想には、極めて新鮮かつ興味深い、ひとつの思想的突破口が見出されます。

 ゼロと弁証法
 さて、そういう岡野守也氏の考えに同調を示しつつ、私は私で、生活人として経験してきた自分なりの人生観、哲学観から、私的 《唯識》 論を提示してみたいとするのが本稿です。
 仏教でいう「唯識」の思想は、確かに、位置づけとしては、上記のような先見的視野を含んだものではありますが、その教義そのものを(私が主に接したものは岡野氏による「現代語訳」ですが)、現代の私たちの生活に溶け込ますには、その時代を経たメッセージを、そうとうに読み換えを試みないでは、有用ではないと思います。
 つまり、私には、ことに 『唯識三十頌』 (この本は今でなら「唯識の三十ポイント」とでも題される古典的ハウツー本のようです) の教義解釈は、どうしても訓詁学に陥ってしまいかねないところがあるように思えます。私にとっては、むしろ、そうした時代をくぐってきた教義以前の、それらが導き出されるところとなった、その基盤にある根底思想に興味がそそられます。
 すなわち、「無」とか「空」という、仏教の原点をなす思想です。

 よく言われることに、「インド人はゼロを発明した」、との話がありますが、それは歴史的に事実と思います。そこで私は、この発明には、こうした仏教にまつわる根底思想と関係があるはず、とねらいをつけます。
 すなわち、今日では、「ゼロ」は9の次にくる数字のひとつにすぎませんが、私は、この0には、ただの数字のひとつではすまない特別なものがあると思えます。すなわち、1,2,3 ・・・ と進む十進法による順序では、その最後に0が来て次の桁に繰り上がる、この考え方は何なんでしょう(子供のころ、この桁が繰り上がることが解りにくかったことを思い出しませんか)。
 この、桁の繰り上がりがなかったとすると、私たちは、十進法どころか、百進法、千進法とでもいった、膨大な数の数文字を発明せねばならなかったでしょう。それを、とりあえず、両手の指の数で終わらせ、「一桁上がる」という発明は、それはそれで実に画期的です。もし、人類が4本指だったら、きっと8進法が採用され、7の後が0だったでしょう。ともあれ、その、一桁上がるという、0の役割です。
 私は、仏教思想にある、「無」とか「空」という概念を、上記のような俗念と結び付けます。他にも、世紀を数えるにしても、月を数えるにしても、また一昔前、数え年で年齢を言うにしても、0からは出発せず、1 からでした。つまり、すでに存在しているものに0はなじまなかったわけです。そこに、「無」という抽象的概念をもちこむには、ただ、指折り数える具体性とは根本的に異なった発想が必要だったでしょう。
 仏教思想上、あらゆる存在に実体はなく、仮の姿で、「縁」とよぶ、ただ移り動く関係があるのみとして、ことに「我」そのものには実体はなく、それを「無」とおく考え方がその根底思想です。その一方、こうした計数上のある桁において(つまりそういう「場」に)、何もない状態を示す「0」の役割があるわけです。こうした両者は、発想上では、ともに共通した土台からきているものと見れそうです。
 私はここに、二重の飛躍的発明があったと見ます。つまり、(1)人の存在の「無」という哲学的な発想それ自体と、さらに、(2)この人の存在の「無」という極めて抽象的な発想と、そのカウント上の具象的なものとを、その途方もない隔たりをものともせずに結びつけたという発明です。この二重の発明なくして、私たちの今日の文明は絶対にありえなかったでしょう。

 ここでさらに、私は、学生時代に親しんだ、弁証法という哲学思想を思い出します。「正、反、合」といったり、「止揚」といったりした、あの弁証法です(古代ギリシャにも弁証法はありましたので、「ヘーゲル以降の弁証法」と特定すべきと思います)。つまり、西洋の哲学のひとつです。
 ただこう言うと、いかにも衒学的と思われそうですが、私はそれ以来、人生の節目ごとにこの考え方を思い出し、あるいは、ある困難を乗り越えた後に振り返って、この方法の有効性を確かめてきました。たとえば、一定のステップを踏んである段階に達していたものが、壁にぶつかったように、にっちもさっちも行かない状況に陥った時、その突破口へと導いた発想は、すべてをいったん「ご破算」にして、文字通りいったん「ゼロ」に立ち返り、そこから考え直すことでした。つまり、「止揚」です(数字の「桁上がり」とそっくりです)。
 またさらに、本講座第5回 「両生学への序論:『疎外』との遭遇」 で [歴史疎外」として述べたように、疎外の概念は、歴史的には旧約聖書の偶像崇拝の是非にまつわる論争までにも遡ることができました。そして、その偶像崇拝とは、結局は人間のつくった「偽者」あるいは「固定物」の崇拝にすぎず、それこそが「歴史疎外」の原因でありました。私は、こうした、確立して不動なものに疑問を呈する認識を土台として「弁証法」のアイデアは導きだされてきたのではないか、と見当をつけるわけです。
 ちなみに、ヘーゲルの言う、「全世界が不断の運動・変化・発展のうちにある」との観点や、第5回に引用したゲーテの「生成し生きている理性」と「出来上がり固まった知性」の区別という視点などは、ともに、こうした動的な視座を強調するもので、思想的兄弟とみなして間違いないでしょう。
 つまり、そのように、ヨーロッパにおいて、近代への萌芽が共有されていたのでした。

 こうした西洋思想界における動的視座の強調と、東洋思想界における「0」での桁上がりや、ことに「無」の自覚へと導く考え方とは、もちろん、同一の思想ではありませんが、しかし、それぞれに異なったアプローチをとりつつも、同じものを追究している方法論上の違いにすぎないもの、と言えると思います。

 そこで、この、追究している「同じもの」とは何かですが、それこそが、世界のゴールであり、人類の到達点であるわけです。そして、それが何かを提示できるものがあるとするなら、それは「神」と命名されるべき存在によるのでしょうが、この「神」をめぐる、偶像排除の重要性については、すでに述べた通りです。
 戦前に西田幾多郎という哲学者がいました。西洋と東洋の哲学を研究し、日本の文化を土台にした和製の哲学思想を切り開いた稀有な哲学者です。終戦直前、日本の無条件降伏調印日の一ヶ月前に亡くなくなりました。私も学生時代、その難解な議論に挑みましたが、その著作のひとつに『善の研究』がありました。上述のコスモスな到達点を獲得した人間の生き方を「善」とよんでいるものです。
ルビンの壷(サイト「だまし絵」より)

 ウェブサイト書評、「千夜千冊」を書いている松岡正剛は、西田幾多郎について述べながら、こうした東西の哲学の特徴を、「西洋の『有の哲学』」と「東洋の『無の哲学』」と対比させています。
 つまり私流に言い換えれば、右の「ルビンの壷」と呼ばれている錯覚画の、壷の部分―有―を見るのか、それとも、向き合う横顔に見える影の部分―無―を見るのか、の違いのように思えます。
 もちろん、違いはあって、たとえば、もし戦争となった時、有を武器とする世界のほうが無を武器とする世界よりめっぽう強いでしょう。しかし、心の問題となった時は、無の世界の奥行きの深さ、そして手にとれないものに親しむその姿勢に軍配があがるのではないでしょうか。
 こうした「有」「無」の違いこそあれ、それぞれの思想方法について、それを「東と西の 《唯識》 」と呼称してみると、両者のアプローチの違いも、同じ器におさめられるほどのものと納得できてきます。

 (松崎 元、2006年2月13日)
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