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もうひとつの「両生」生活
こんど引越しした先は、四階建アパートの最上階北東角(日当たりの面で、南半球の「北向き」とは北半球の「南向き」のこと)に位置していて、ほぼ周囲にさえぎるものもなく、しかもその寝室は東向きです。
毎朝、ベッドにいながらにして、日の出を見ることができます。早起きさえすれば、まさに、大自然が演じる壮大なドラマを、思いがけない感動をもって味わえます。
ただそんな贅沢も、ふだんはもったいなくも放棄され、そのドラマも閉じられた窓のブラインドの彼方で静かに繰り返されるだけです。ただ、自然は寛大にも、私のそんな身勝手を許してくれています。
しかし先日は、まだ暗いうちに目が覚め、ふとした予感からブラインドを巻上げてこの専用シアターを開幕し、そのドラマを鑑賞しました。
暗く沈んでいた闇から淡く白みだした空が、やがて深い茜色に染まりはじめ、濃い赤みから無限のグラディエーションをもってオレンジ色に変じ、そしてそれにさらに白明さを加えて、ついに、スカイラインがまぶしく輝きはじめた瞬間、待ちにまった太陽が姿をあらわします。
ベッドに座してその旭日に面し、宇宙空間と大気をわたってきたその暖かさを受け取るやいなや、大きな安堵にも似た、私の内の生命の力への点火がおこります。そして刻々と強さをます陽光とともに、何か、からだの心底から湧き上がるような、エネルギーの発動が感じられます。
これは、天文学上では、銀河系にある太陽という恒星とそのひとつの惑星である地球との関係によって生じる、天文現象のほんの一幕なのでしょうが、こうした感動的な鑑賞をつうじ、そうした宇宙の偶然関係の無数の産物のひとつである私の生命は、この恒星といかんとも動かしがたく結びついていると、確かに感受させるに充分なものがあります。
話は飛びますが、すし職人の徒弟修業に入って二ヶ月と少々がたちました。
前にも書きましたように、これはパートタイムの仕事で、多忙時を除き、夕方から夜にかけての時間帯の勤めです。
そういうわけで、最近の私の日課は、午前中は、読書や研究、執筆などの精神労働にあて、夕方からこの 「フィジカル」 な労働にでかけます。両者の間には、明確な対比がありますが、私にとっては、一対をなす車の両輪です。
また午後の時間は、午睡や家事・買い物など、日々のルーティン作業に費やされるのがふつうです。
こうして私の毎日は、ふたつの中心をもった楕円の形状をなしています。そして、この二つの中心間の移動は、物理的には30分ほどを要する自転車通勤で行われているのですが、精神的には、時に、何百、何千キロにも相当するかと思う、膨大な距離を感じます。
この自転車通勤については、もともとは、運動のためと取り入れたものですが、こうした二大要素間の精神的ギャップをスムーズにする、思わぬ効果を発見しています。なお、この詳細については、今回の講座で扱っています。
このようにして、私の楕円状生活の二つの中心は、午前中の片やは、思索的でとみに抽象世界に親しんでいるのに対し、夕方からの他方は、たとえば、料理の盛り付けの一つひとつといった、まさに詳細で具体的世界とのかかわりです。
ことに、後者のこの詳細性・具体性は、「食」 つまり栄養摂取という意味で、人びとの生体維持に直接にかかわり、「職」 つまり収入源という意味で、私自身の生存の一必須要素であるわけです。
さらには、上記の日の出のまぶしさと暖かさに発動される生命力も、こうした詳細性・具体性に支えられる、身体的健全さにもとづいています。
また、このふたつの中心をひとつのメタファーとして捕らえれば、「《健康》という『年金』」 でも述べましたが、「心身」 の両立や均衡といった見方にも通ずるところがあります。
思い起こせば、そもそも、こうした二項対立は、私の 「社会生活」 の出発点で、学業を終えて働き始めた時以来、私を捕らえつづけている問いです。
「『疎外』との遭遇」 に書いた 「 『辞める』 ということ」 にかかわる煩悶も、こうした対立をめぐってのものでした。総じれば、疎外との、切れない縁です。
その意味では、還暦を前にしたいま、またしても、問題の 「振り出し」 に舞い戻ってきているわけです。
リタイアメントとは、充分な年金受給を基盤に、あたかも、こうした対立からの逸脱が可能かのような制度的設定でありましたが、日本のそれは、いまや、制度として破綻しつつあります。もはや、年金には頼れない時代に入りつつあり、充分なる自前年金が用意できている高収入者でない限り、その逸脱は、画餅同然になろうとしています。
まぶしい朝光の暖かさに発動し、ふたつの中心を往復しつつ繰り返される日々の起伏。この楕円状の二中心性を、さらに、もうひとつの 「両生」 生活と呼んでみたいと思います。
(松崎 元、2006年5月14日)
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