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両生学講座 第28回
日本の最大の因果転倒
今回のテーマをあえて分類すれば、 「日本学」 と呼んでもよいものなのですが、それはまた、一種の “故国” 学とも呼べるものです。つまり、私の場合では日本学ですが、オージーの場合ではオーストラリア学、韓国人の場合なら朝鮮学、ともいえる、そうした分野についてです。
それを、もちろん両生学という角度で見るわけですが、この日本学あるいは故国学という視点と、両生学という視点は、のぞむ姿勢という意味で、互いに反対を向いた、逆ベクトル同士ということができます。言い換えれば、 《求心力と遠心力》とでも言える、相対立する働きです。
つまり、前者は、日本やオーストラリアや韓国という国や民族性の特徴に焦点をあて、そこに向ってそのユニークさを追究するものですが、他方後者は、その自国を出発点に、そこから外へ、外へとむかう方向性をもつもので、そこでは、移動にともなう両眼視を武器に、定点観測では得られなかった動点観測ならではの立体視像が、方法的な梃子として用いられているものです。
この、大げさに言えば、身を引き裂くような働きをもつ双方向作用は、それだけに、一点への盲信を戒め、いわゆる 「島国根性」 を諭す効果をもたらしてきたとは言えますが、他方、それが定住性に背を向けるという意味では、郷土感覚を鈍らせたり、デラシネ
(故郷喪失者) な孤雁と化すおそれも合わせ持ちます。
そこでですが、この、日本なり、オーストラリアなり、韓国なりの、国というアンビバレントな対象への迫り方のひとつとして、歴史という視点があります。
そしてその歴史には、二つの切り口があります。
ひとつは、 「歴史とは勝者の歴史である」 といわれるように、敗者は敗者となった時点でその歴史的使命を終え、以後は表舞台から消え、歴史には勝者のみの記録が連ねられることです。
ただ、敗者は、敗者となった時点でこの世から完全に抹殺されるのかというと、必ずしもそうではなく、影響力を失っただけのことで舞台裏はあり、その内輪では臥薪嘗胆の気概をたぎらせつつ、それなりの記録は保存され、持ち前の伝統も維持されるのが常です。しかし、世の天下をとったものはいるわけで、その勝者、つまり支配者は、その支配を永続化、最大化するために、自らの記録を絶対、神聖化し、近代においては、それを後世にも引き継がせるため、教育にもその介入を持ち込もうとするわけです。これを《支配者の便宜》と呼ぶこととします。
こうした、勝者か敗者かといった平面的な切り口に対し、歴史の第二の側面として、垂直な切り口があります。つまり、各々の時代にあって、それを垂直に切断してみると、その断面には、支配者と非支配者という地層構造がにじみ出てくるはずです。このうち非支配者は、その属する一団がたとえ勝者となった場合でも、決して歴史の地表面に登場してくることはなく、永遠に日陰者とされ、地層深く抑圧され続けるには変わりありません。そういう意味では、歴史の舞台には決して登場しない、歴史的に不可視の構成者であります。むろん、勝者、敗者にかかわりなくです。
ここに、視点をさらに絞り込んで――科学でいえば顕微鏡観察の視点――、「私」という存在に焦点を合わせます。つまり、現代という歴史の壮大な流れの中の一断面にあって、そこで微粒子としてではありながらも、「私」は確かに存在しており、またその「私」には、おそらく、読者であるあなたも含まれていると思います。この、「私」たちは、支配者の都合によって採り上げられる際には、「庶民」とか 「大衆」とかと呼称される一群で、上記の、永遠に登場しない不可視、あるいは日陰者の構成者にも連なっているわけです。(もちろん、こうした庶民のうちの一部が、時に歴史の舞台に祭り上げられるという流動や変則がないわけではありませんが、それは特殊例として、ここでは採り上げません。)
こうした 「個民」 としての視点を定めてみると、たとえそれが偉大な支配者であろうと群れなす庶民の一人ひとりであろうと、一つの命に支えられた一回きりの人生という身には違いはなく、私は、そこに、上記の《支配者の便宜》に対置しうる、《個者の視点》の意味がありうると信ずるものです。
両生学を両生学たらせる柱に、生活者という視点を重視してきていますが、それと、この、《個者の視点》 とは、互いに重なり合うものでもあります。
ちょっと逸脱しますが、先に量子力学に関連して 両生学のあるアングルを探りましたが、その量子力学の対象とは、物質を構成する微粒子でした。そして、その微粒子の探究が、従来の物理学を古典物理学として分離させ、いわゆる
「客観性」 と言われてきた学問的岩盤に風穴をあける結果をもたらしました。一方、本稿では、歴史の構成要素の、やはり 「微粒子」 として、 「私」
あるいは《個者の視点》というものを対象としようとしているのですが、この微粒子も、量子力学でそうであったように、従来の歴史観の岩盤に風穴をあける役目を果たすかもしれません。
実は、歴史、つまり、その時その時の諸登場者のおりなすドラマに関し、こうした《個者の視点》の重要性をはばかりながらも実感してきたのは、ことに、別掲の 『ダブルフィクションとしての天皇』 とタイトルした 「訳読」 に取り組みはじめてからのことです。
この翻訳作業は、まだまだ、そのとば口にすぎないのですが、私には途方もなく膨大なこの歴史記述に取っ掛かり、そのひとセンテンスひとセンテンスを、山路をたどる歩みのように、一歩一歩、踏みしめるように訳読してくるうちに、著者がなぜこの作品を著さねばならなかったのか、その真意が次第しだいに迫って感じられるようになってきました。
つまり、著者のバーガミニは、「著者より読者へ」 に述べているように、彼が年少期を日本で過ごして実感した、「物静かで、思慮深く、思いやりがあって親しみのもてる人々」である同じ日本人が、後に彼が中国やフィリピンで目撃し、自らも受難体験させられたように、「おぞましくも、また、もっとも不可解にも、変貌をとげ」、野蛮な暴挙を繰り返したという、そうした日本人の持つ「二重性」というなぞの存在でした。
戦後、再び日本に移り住み、数年にわたるそのなぞ解き作業をへて、彼はひとつの結論に達し、この「著者より読者へ」の結末に、以下のように述べます。
- 私は本書をむしろ、ただ、単純で、古くからの問題にささげたい。つまり、歴史は無目的な経済的、人口学的な要因によって決定されるものではなく、また、間違った大衆意識が演ずる役もほどんどなく、ただその責任は、第一義的に、政府の責務を専任して負う、少数の意図的個々人に帰されるものである。小さな都市国家の民主主義や無政府主義の餌食となる瓦解社会を別として、国民は政策立案には関わらない。政策をつくる指導者たちは、その個人的な先取性を国の利益と合致させてしまう没頭した愛国者であると、私は見る。
私は、先に、2005年8月の小泉総選挙に関し、歴史への不審をこめて、二つのエッセイ (「郵政解散」総選挙に際しての両生風視界
、総選挙結果への両生風視界)を書きました。そのように、歴史とは、その時代の支配者によって意図的に作られた恣意的産物で、その内容は、庶民たる個々人は何らあずかり知らぬ、《支配者の便宜》になる贋造物である、との持論を展開しました。そして、この訳読作業を通じても、日々、この思いへの確信をいっそう深めてきています。ことに、戦争は、そのあずかり知らぬ責任の片棒担ぎを強いられる
(支配者は決して戦死せず、死ぬのは「不可視」民ばかり)、庶民にとっては最も割に合わぬ贋造物の骨頂です。
さて、そういう日本の歴史についてなのですが、そこで注目されることが、バーガミニも書いているように、「日本人は、有史以前からその同じ国土に住み続け、外敵によって一度も征服されたことのない、この地球上で唯一の人々である」(第三章冒頭)
という事実です。そして、それが事実という意味では、日本と天皇制との関係を、「万世一系」として表現するのも、理由のないことではないと思われます。
ただ、私は、そうした日本の持つ独自性が、ことに自国の国際的な孤立が際立ってくるとにわかに顕著になる 「復古主義」 の姿勢――古い昔に自分たちの拠りどころを見出そうとする――と結びつく時、一種の 《原因と結果の転倒》が発生していることに注目させられます。つまり、日本の「万世一系」的な特徴は、その 「一系」 である天皇家系が存在したが故にではなく、外敵によって一度も征服されなかったが故に、その結果としてその 「一系」 が生じえたことです。もし日本が、島国でなく、大陸の一角に位置する陸続き国であったなら、その二千年近くの歴史の中で、外敵による征服は幾度もおこったはずで、その度に、既存支配勢力は抹殺され、新たな支配血統が導入されていたことでしょう。
ところで、歴史におけるこうした被征服体験による混合こそ、日本以外の非「一系」諸国にとっては共通要素であり、常識でもあります。日本が、今日でも、国際関係の舞台において、その政策や振舞いや交渉などに、国の規模には不似合いなナイーブさを漂わせているのも、こうした混合体験の希薄さに由来するものでありましょう。
かく、日本の「万世一系」 は結果であって、派生物です。つまり「万世一系」 の成立要因は、外敵による征服が困難であったという、地理関係を含んだ自然条件がゆえにです。そこで日本学として、この乱されたことなき歴史に注目し、それを「一系」 と特徴付けるのであれば、それは天皇家はもとより、日本の民衆そのものが「一系」 であることを意味します (これが日本の 「均質性」 の基盤でしょう) 。そして、「一系」 が特定家族にのみ結び付けられて語られるのは、日本の長い歴史の中での、それを必要とした、折り重なる《支配者の便宜》 の累積した結果がゆえにとも気付かされます。
確かに、古代にあっては、どの国の支配者も、一種の神性をまとい、そうした神的権威が国の統治の要でありました。ことに、そうした神性の統一性は、日本の場合、この乱されたことなき史実ゆえ、その現世の出来事や自然条件に求められえたわけです(これが日本的宗教の特質でありましょう)。ところがそれが大陸の諸国となると、現世は征服、被征服入り乱れる混迷の地であり、そこにその神性の統一性は求めえず、その征服度が高くなればなるほど、それはこの世のものではない絶対神の創設に求められたのでありましょう。
しかし、その「万世一系」がゆえにその神性も共に継続しているとするのは、この乱されたことなき歴史に便乗する、日本支配者の最大の便宜主義にすぎず、ましてや、現代の私たちの存在の拠りどころを、そうした古代神性に結びつく何かに見出そうというのは、一種のこじつけに類する、知的萎縮――それが作為か無作為かはさておき、そういう支配者へのすり寄り――のもたらす産物でありましょう。
歴史にさかのぼり、今日の私たちの由来を探るのは健全な知的働きと思いますが、それが因果転倒した復古主義と結びつくとき、根拠のない過去に、根拠のないアイデンティティーを求めるという、歴史の道行きを過つ、大きなボタンの掛け違いの始まりとなります。
そこでなのですが、こうして認められる、日本の乱されたことなき歴史について、それは果たして、今日においても、事実なのでしょうか。
明らかにそうではないでしょう。なぜなら、そうした日本の長い歴史も、1945年の敗戦と降服の結果、アメリカという征服者を受け入れ、日本史上初めて、外敵による統治を体験したゆえにです。つまり、その「万世一系」 は、その存続をその征服者の寛大な庇護の下にゆだねられて今日に至っています。というより、先月号の 『ダブルフィクションとしての天皇』 の第二章(その4)に詳述されているように、その「万世一系」 の存続は、天皇を頂く日本の支配者層による降服条件の取引きの結果であり、ひき続いて日本の支配者であることが許されることを条件に、アメリカへの降服を受諾したことによるものです。つまり、敗戦を目前に、純度高く日本の「万世一系」 を信ずる者らが徹底抗戦を主張したように、もしその「万世一系」 が日本の乱されぬ歴史と一体不離なもの、つまり根拠ある史実であるとするなら、アメリカという外敵への降服とともに、その「万世一系」の根拠も消え (万世の“二系”化)、純粋 (つまり 「一系」) は亡び、、それこそ舞台裏で臥薪嘗胆の思いを胸に再興を誓ったはずです。もちろん、日本は滅亡せず、その 「万世一系」 の主も恥ずことなく生き残り、今日に至っています。
このように、日本の 「万世一系」 の精神は、少なくとも1945年の時点で、その心魂を捨てたのは確かで、その後は、新たな支配者のもとでの形骸、すなわち、へつらい根性――良く言っても妥協心――に成り下がりました。それがいまだに「万世一系」 を主張しえるという卑屈な厚顔さの出どころを知れば、戦後の日本が、いかにアメリカに従属せねばならなかったのか、その日本の精神構造のなぞも解き明かされるというものです。
いうなれば、日本の大衆、私たちは、天皇制という第一のフィクションの下に支配されながら、その支配構造を壊すことなく入れ子細工のように温存したまま、それごと、新たでより高位な支配者すなわちアメリカに支配されるという、二重の支配のもとにあることです。「ダブルフィクションとしての天皇」の今日でもの意味はこの二重性にあり、その二重構造を見えにくくする目隠しとして天皇制が機能し、またそれをねらいとしてアメリカは天皇制の存続を許したのです。因果転倒した錯誤が存在する弱点を逆用した、二重の擬制の創出です。そして、この二重性があるからこそ、二重否定が肯定になるように、そのアメリカが日本の旧制度をたたけば、私たちはアメリカを、あたかも 「解放者」 のごとく見れたわけです。
このように、現代の日本人にあてがわれた認識上の錯誤は、乱されたことなき歴史を持つという特異な日本人性についての仮説を一方に、他方、グローバルつまり無国境と呼ばれる時代要請――国際標準と称して特定価値観の世界への押し付けが図られている――という、非対称な共存、つまり 「二極性」 の飲み込まされにあります。
これを、冒頭に書いた 「故国学」 という視点で言うならば、どこの国民も持つであろうその 「X X 人性」 (いずれも仮説性が高い) も、やはり、今日の無国籍な時代と向かい合い、それぞれ個々の脈略において、同種の 「二極性」 に苦悩しているはずです。
かって日本人が展開したアジア・太平洋戦争も、9.11以来のテロリズムに対する戦争も、その意味では、このように信奉される「X X 人性」 と時の国際標準との摩擦という、共通する原因を背景に、意図もつ支配者が捏造した、双方からなる策謀の産物です。
そして、一旦、こうした両生学的見地に立てば、上に述べた、日本人のもつ 「二重性」 というバーガミニの指摘についても、彼が米国側の《支配者の便宜》に影響された――結局は日本人と同じ轍にはまりかけている――同類の、故国学的錯誤を感じます。つまり、かっての日本人に類する非人道的行為は、今日においても、いったん戦争となれば、少なくとも幾つかの先進国が露呈させている、必ずしも特異ではない共通事象であることです。
そこでなのですが、私たちは、果たしてそれほどに、こうした 「二極性」を身に引き受けなければならないものなのでしょうか。
実は私自身も、冒頭に述べたように、両生学と日本学という、「二極性」 をかかえています。
国際的次元の問題はともかくとしても、その私個人の問題をどう解決すべきか、私はいまだ模索中です。ただ、私は、またしてもここに、一見、二者択一すべき問題であるかのごとく、この「二極性」にのぞもうとしている自分を発見しています。つまり、それが果たして本当に、 「二極」 であり、そのいずれか一つを選ばねばならない問題なのか、繰り返された
「同種の思い込み」 を見出そうとしています。ひょっとして、これもまた、押し付けられた 「あずかり知らぬ責任の片棒担ぎ」の反映なのではないか。
すなわち、先に私は、「両方を選ぶ二者択一」というタイトルで、「二択」に見える問題の本質的解決は、それを「二択」 あるいは「二極」とは見ない視野の形成にあると述べました。もしそうであるとすると、両生学と日本学といった「身を引き裂くような」双方向の働きとは、それらがすべて一体におさまる視座の形成の可能性があると教えるサインなのではないでしょうか。あるいは、両生学とは、そうした自らと対極という両者をも 「両生」 化しうる、あらたな包括する次元を示唆しているのではないでしょうか。
この三月後半、私は三年ぶりに日本に帰り二週間滞在します。しかし、今回の帰国は私にとって、従来のそれとは同様にできない何かがあります。それは、三年という我が人生最長の故国不在期間に加え、こうして至った「二極性」にさらされているからだとも言え、あたかも、「故国を外国として」訪れようとしているかの自分を感じています。この、故国感も外国感も、上記の脈略で言えば、ひとつの何かの両側面なのでしょうか。
(松崎 元、2008年2月11日)
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