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私共和国 第4回
私の62歳誕生日の5日前の8月15日、私にとっての最初の年金が私の銀行口座に振り込まれていました。いよいよ、私も年金受給者となる世代となりました。
去る3月、日本に一時帰国した際、そろそろその手続きをしておこうと最寄の社会保険事務所を訪れ、それを済ませました。その時の担当者の話では、60歳からの支給がたまっているので、最初の支給額は50万円を超えるが、63歳までは年額27万円少々、65歳までは同47万円ほど、65歳以降から同80万円ほどとなるとの説明でした。年80万円になったとしても月にしてなら6万6千円、まして現在の受取額は2万2千円で、とてもとても、年金に頼る生活など考えられません。
転職を重ね、無職の時期もあり、しかも長い海外生活で、国民年金の定める最低負担期間の300ヶ月にプラスする1ヶ月と厚生年金の十年程の期間しか納めてこなかった私の人生の、いわばその帳尻がこれです。
三年前、還暦があと一年と迫った段階で、来る将来の生活の見通しを追い立てられるようにして考えました。その際、上記のような年金状況は明らかに予想できましたので、そこでの所与条件のひとつは、年金に頼らずともまっとうであれる
「老後」 生活のビジョンでした。
用意周到な人なら、こうした行く末はもっと早くから見通され、それなりの自前の資産蓄積をしてきているのが当り前なのですが、そうした思慮にもおよばない、お金についてはとんと無頓着な、ある意味では、あえて背を向けるような路を歩んできた私にとって、その報いを自分で背負うのは、あまりに当然な結末でした。
その二年ほど前の2003年から、私は自分のビジネスとして 「リタイアメント オーストラリア」 を手掛けてきていましたが、それが利益を上げるには程遠い状況になりつつあり、用意していた事業資金は食いつぶされる一方で、深刻な行き詰まりに直面していました。
また、友人とともに行ってきていたビジネスコンサルタントの会社も、他人のあこぎな金儲けの片棒を担ぐような仕事に嫌気がさし、また、そういうビジネスの中で上手く立振舞う能力も気力も欠く自分もよく解っていましたので、これとも一定の距離を置くようになってきていました。
そういう次第で、当時の金銭的なひっ迫度はそうとう危ない状況に至ろうとしており、自分自身でも、いよいよとどの詰まりにやってきたかなと、尻をまくった気分にもなっていました。
そこに、一緒に暮らす相棒からは、涙を流して、なんとかしてほしいとほだされ、また、自分でも、まだ、何かの余力がのこされている気持ちもあって、再度、振り出しにもどって、世間でいう意味とは相当に違っているのですが、
「リタイアメント」 生活を組み立て始めたのでありました。むろんそこには、還暦という年まわりも、新たに何か違ったことを始めるにはいい節目となってくれました。これが、私の言う、人生の
「二周目」 の始まりでした。
つまり、そこでの 「リタイアメント」 生活とは、年金なしの、自働自稼のそれで、まあ外見上は、あたかも定年後でもの 「再就職」、とでもいえるようなものでありました。
そうした再スタートへの意気込みや方向付けは、先に、 「ボケ防止への一次プロジェクト」 に書いた通りです。
こうした際どいカーブを曲がりながら今日に至っているのですが、私はこうした自分の人生航路を追認するようにして、年金制度の無用論者になりそうなのです。ただ、気構えでは 「無用論者」 といっても、上記のような小遣い程度の給付は実際にありますので、それはそれとしていただいておく、 「半・無用論者」 でありますが。
で、その 「無用論」 の部分なのですが、年金はその名の通り、お金のやり取りですので、それは商品のひとつである、というのがその結論です。
年金は、半生かけて支払い、半生かけて受け取る、一種の商品です (たとえ税金がからんでいるとしても)。ただし、私がここでいう商品とは、金融商品という意味ではありません。金融商品ということなら、すでに民間金融機関が売り出している自前積立の年金預金があります。しかし、私のいう意味はそういうこと、つまり売り買いする対象がお金である、そういう商品ではありません。
私がここで言う売買の対象は、自分の人生です。もう少し厳密に言えば、労働する人生です。すなわち、この商品は、日本の国民年金制度で言えば、その一番安いものが、300ヶ月つまり25年間の労働人生という値段で買う、その後の死ぬまでの不労働人生という
(実際は小遣い付き減労働人生ですが) 商品です。
こういう商品を、上にまとめたような私の人生航路から見てみると、それは、理不尽な労働を我慢させて飲み込ませる糖衣錠なのではないか、ということです。いわば、
「今の仕事はいやだが、我慢して勤めあげれば年金がもらえて、後は安楽に暮らせる」 といった生き方をモデルとして意図されている商品制度であることです。
こうした狙いの商品には、二重のすり替え―― 「搾取」 と言ってもいい――があります。
いずれも、お金がそのテコとなっているのですが、その労働人生で、本来の自分を犠牲にして支払い続けた負担の量と質が、はたして、将来に約束されているはずの不労人生の、その量と質に十分みあうものであるのかどうか。
第一に、お金を得るため、労働として自分を商品にする際、永遠に返ってこないものも売り渡してしまったのではないかということです。たとえば、すこやかな発想、深い親しみ、ふさわしい良心、限りない関心、あふれる情愛、そして、最悪の場合には自分の心身の健康などなど。
第二のすり替えとは、その商品を受け取る時期となった際、そこそこな額の年金が支給されたとしても、それはもちろん、お金での支給です。つまり、お金で獲得できるのは、商品として売られているもののみです。すなわち、お金で、治療は買えても健康は買えません。面白みのある享楽商品はあまた流通していても燃え尽きてしまった意欲はどこにも売っていません。労働はしなくてもいいですが毎日が日曜日です。暇つぶしは可能でも生きる意味には触れられません。
つまり、この商品とは、今のマイナスを将来のプラスに変換しうるかの建前をもって、ひとつの人生を加工してしまう仕組みです。
畢竟、生きて生活しているとは、今の時間を、今、充実して過ごすことであって、時間を預けておける銀行はありません。仮に、時間をお金に置き換える変換式あるとしても、そこに係数として何が含まれているか。あったとしても、ただの数字です。
それにかてて加えて、今日の、天井もなければ底もない、実もなければふたもない、腐りに腐った制度的、政治的問題です。
これについて一点のみに触れておきますと、私は就職したてのころ、年金は積立方式で運営されていると説明された記憶があります。つまり、「君たちが支払った年金負担額は、長期に積み立てられ、君たちが定年退職した時にそれが大きく成長して払い戻される」、とされていました。それが、いつのまにやら、年金支払いは、現在の現役世代の支払いによる賦与方式によるとされています。一体、私たちが若いころから積み立ててきたお金はどこに行ったのでしょう。私たちの世代の積立総額が丸々消えてなくなったかの――実際にそうなのでしょう――ような議論です。
振り返ってみますと、私は、そうした年金制度の枠組みからは、もっとも外れたコースを生きてきました。ですから、その恩恵からも害毒からもそれだけ外れていますが、私はこの因果を、それでよかったと受け止めています。むしろ、あきらめようにもあきらめきれない年金額を手にしなくて、そうしたお金の加工力の圏外にあれて、幸運であったと思っています。また、若いころに、自分の我儘を先も判らないながら通し続け、よくぞやったと褒めたくも思っています。なぜなら、そのために、どこで自分に頼り、どこで社会にならうべきか、そこのところの線引きができるようになったからです。でなければ、まったくの、オール、オア、ナッシングにならざるをえなかったでしょう。
お金や商品とは魔物で、かつ、今日、それなしでは生きてゆけませんが、それに頼っていては命の胆を抜かれます。世に言う悠々自適な生活とは、そういう魔物に乗っ取られた生活のように見受けられ、そうならなくて本当に良かったと、痩せ意地を張りたく思っています。
(2008年8月25日)
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