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 連載

相互邂逅




 僕は、当時のノートを読み、その当時の自分に再会しているのだが、そうした若き自分の表現法に、一種のパターンがあるのに気づく。というのは、そのほとんどが、自分への問いや疑問とそれへの回答という、自問自答の形となっている。つまり、その時の自分への負荷や否定に対し、そう答えることによって、必死に自分で自分を支えようとしていることがうかがえる。
 ちなみに以下の詩篇をみてみよう。そのインデント(行頭の文字のひっこみ)に注目してほしい。
 このように、インデントした最初の二段落に続き、インデントなしの最後の段落となっている。まさに、引っ込んだ自分を再度奮起させ前に押し出そうという気持ちが、そこに形としても表現されている。さらに面白いのは、最初、そのようなインデントの扱いを意識せずに書き始めているのか、後半の、インデントなしの 「押し出し」 部分が期せずしてやってきたのか、ノートの綴じ目ぎりぎりにまでおよんで、窮屈そうに記入されている作品も見られることである。
 ともあれ、そのようにして、前半の、自分自身についての描写を通じてそれを客観化し、後半において、そこからの飛躍を獲得している。いわば、各々の格闘のさまがそこに見られる。

 ところで、僕にとって、この還暦も越えた長旅にあって、その最初がいつだったのか定かではないのだが、繰り返し思い出される原体験のような風景がある。なんでもない、日常の些細なシーンなのだが、不思議なことに、決して忘れ去られてしまわないのだ。そして、それを確かこの頃に、一度書き留めたことがあると思い出し、それらのノートのページをくりながらも、それを探していた。
 あった。それは、この、僕がもっとも底をさまよっている頃の記述の中だった。
 それは、こんな風に描写される風景である。
 このノートの当時、そろそろアルミ製のものも出始めていたが、古い我が家の窓の建具はまだ木製で、太い桟に溝が刻まれ、そこに30cm角ほどのガラスが一枚いちまいはめこまれていた。その溝はガラスの厚さより少し広く刻まれていて遊びがあり、風が吹くと、各々のガラスがその溝の内を揺れ動いた。その度に、幾枚もはめ込まれたガラスのすべてが一斉に揺れるので、カタン、カタンとけだるい音を繰り返すのであった。もちろん、その後のアルミ製のサッシにはそうした遊びはなく、たとえ強い風でも音も出さない。したがって、こうした私の追憶を、現代の若者たちと共有するのは難しいかも知れない。
 ついでの話だが、シドニーのこのおんぼろアパートに引っ越す前に住んでいたほぼ新築のアパートは、下町風情の周囲には似合わず、ちょっとこったデザインが施されていた。軒下にはハロゲンのスポットライトが一定間隔で埋め込まれていて、日暮れとともに自動点灯し、その建物はまるで著名建築物のように夜通しライトアップされていた。そしてその窓は、僕がこうして体験した昔日の窓枠のように、小さな区画に桟で分けられていて、一見、クラシックな雰囲気をかもしていた。そのある日、窓をみがこうとしてその窓枠をよく見たのだが、なんとその桟は、一枚の大きなガラスに、きゃしゃなそれがただ貼り付けられているようで、まったく構造上の意味はないただの意匠であった。お陰で、窓ガラスみがきには邪魔なことこの上もなかったし、なつかしい音を思いださせてくれることもなかった。

 上の記入がなされたページに続いてノートされているのが、以下のメモである。

 1970年の末、私の 「ワンゲル」 時代の良き同僚でありライバルで、それ以降、深く交友を続けてきた T が、国境を越える旅に旅立った。
 当時、小田実がやってみせたいわゆる 「世界無賃旅行」 は、一種の熱病となって我々の世代を掻き立てていた。こんな、矮小な島国とその現実を後にし、広い世界に自分の足で踏みだしてみる、それがどれほどに魅力にとみ、勇気をふるいおこさせていたことか。そうした緊張とときめきに、僕らは誰もが捕えられていた。
 その夕、東京、竹芝桟橋から出航する貨物船に乗る彼を、田町の喫茶店で会って見送った。彼は、山行きに使い古したザックひとつに、透明なビニール傘を一本もつだけで、その後、幾年にも渡るその旅にたって行った。
 僕は、喉から手が出るほどに、旅立つ彼がうらやましかった。僕も、決心ひとつで、そうした旅は不可能ではなかった。ただ、そういう自分の飛躍が、それをさせなかった。飛躍する自分に不連続を感じ、それに自分を任せることに抵抗があった。
 その後 T からは、最初の寄港地シンガポールから第一信が届き、間を置きつつではありながら、陸路、マレーシア、タイ、ビルマ、インドと旅を続けるその地その時の、苦労と感動をつづる熱い手紙が送られてきた。
 かくして、僕の1970年は暮れていった。

 つづく
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