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 連載

相互邂逅


10

 時は五月の下旬になろうとしていた。僕の 「居続ける」 生活はなおも継続されていたが、僕たちの関係は着実に進展していた。
 だが、そう記しながら、ノートはこう続く。
 そして僕はこう亀裂して行く。
 このようにして、僕の内的生活は、外見上のロマンティックな発展と裏腹に、融合感と亀裂感の両端間を揺れ動く、定まりのない毎日を生みはじめていた。そして、片や具体性のもつ真実味に歓喜しつつ、他方、自分を無視して押し進む自分の無責任をも思う日々を繰り返していた。そう、僕は、それまでの非行動の自分から、行為はあるものの、もはやそれを欺瞞とも内部矛盾ともよぶべき日々を送りはじめていた。
 たとえば、 「欺瞞」 とはこうだ。
 そして 「内部矛盾」 とは、たとえばこういうことであった。
 それを 「抽象」 とよぶ僕の内の思考界は、かく、人類の問題へとも、その直観を延長していた。
 このような肥大化をとげる僕であったのだから、こういう僕と出会ってしまったことは、彼女にとっては、まさに受難とでも言うべきであったが、こうした私の不遜と逡巡を包囲するように、時代はさらに僕を、あらぬ方向へと牽引していた。
 こう若き僕がノートした時から37年を隔てた今、僕は62歳となって、こうその僕と再会している。
 忘却の霧のむこうに、霞みながらも思い出される自分は、もっと温和で親しみのもてる、お人よしな自分であったと、少なくとも、この再開を体験するまで、そう暗黙裏に信じていた。
 自己像とは、どうやら、 「自分」 という定点観測の視野からでは、その一面を知りえるのみのものであるようだ。それがまるで他人の行為のように受け止められても、このノートは私が残したもので、その筆跡も明らかに僕自身のものだ。他人の介在の余地はまったくない。証拠として、これ以上確かなものはあるまい。それは、若いとはいえ、僕自身である。どうやら、自分が自分である、自分が自分に統合されているというのは、そういう、霧にかすむ世界でのことであるようだ。

 その夏、僕は確かに、彼女と、ある島に数日のキャンプに行ったのだが、それは、僕の友人の二人を加えた男女3対1の4人組という奇妙なグループとしてであった。
 また、二年後に実際に、与論島ではなかったものの、沖縄のある離島に二人だけで行くことになったが、それは、そんな事態がやってくるとは予想もしていなかった、きわめて別の生活環境においてのことであった。

 つづく
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