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連載
時は五月の下旬になろうとしていた。僕の 「居続ける」 生活はなおも継続されていたが、僕たちの関係は着実に進展していた。
- 昨夜、裸のお前を抱き、僕はほんとうに嬉しかった。お前の肌が僕に暖かく、お前の体が快く重たかった。お前の小さな乳房のふくらみが、僕の胸に軽い圧迫感として感じられ、お前の恥骨の硬さが神秘な贈与を僕に伝えていた。ああ、今になってもお前のにおい、お前の容積をありありと思いだすことができる。僕は腕の中にしっかりとお前の体を抱きながら、裸の肌と肌を通じ、何かが通い合うことを願っていた。僕らがそんなにも欲し、少しのウソだって見つけ出せないそんな僕らの間で、そのような行為がただの体と体の触れ合いで終わってはしまわないはずであった。行為みずからの持つ意味が、きっと僕にそしてお前に微妙な変化を与え、その変化が、つらく、暗い溝によってさえぎられている僕らに、無言の言葉を与えるにちがいないと、僕は心から念じていた。
だが、そう記しながら、ノートはこう続く。
- 裸の僕と裸のお前、そんな僕らは、こんなに色々ちがった重みを負ってしまっている僕らのうちで、いちばん近くあれる二人と思っていたのに、だのに僕は、深夜、お前のところを後にしながら、執拗にからみあった後味の悪さを噛みしめていた。そうする僕を明らかに拒否している僕が冷たく眼を光らせていたからだ。
そして僕はこう亀裂して行く。
- そんな僕の唐突な願いに、お前は素直に従ってくれた。 「ウソはない」 とはっきり言ってくれた。ところが僕のなかに居座っている僕は、それほどのお前すら、受け入れてやれない、それほどまでに背を向けた僕なのだろうか。僕はこんな僕さえいなければと本当にそう思った。ただただけな気なお前を、それではまだいけないのだと、冷血にも傲慢にも無理強いする、そんな僕の存在がこれほど恨めしかったことはなかった。
- 僕の中の僕よ、こんな僕を、男女の傾きに溺れ込む、欲とエゴに奔走する、女々しい僕だと、どうかどうか決断しないでくれ。そんな、もしもそんなことがおこるのなら、僕はきっと裂けてしまう。潰れてしまう。二つに離れ切った僕を負った僕は、一体、どのように生きれて行けるのか。
このようにして、僕の内的生活は、外見上のロマンティックな発展と裏腹に、融合感と亀裂感の両端間を揺れ動く、定まりのない毎日を生みはじめていた。そして、片や具体性のもつ真実味に歓喜しつつ、他方、自分を無視して押し進む自分の無責任をも思う日々を繰り返していた。そう、僕は、それまでの非行動の自分から、行為はあるものの、もはやそれを欺瞞とも内部矛盾ともよぶべき日々を送りはじめていた。
たとえば、 「欺瞞」 とはこうだ。
- お前は私からの贈り物を両方の手で胸にあたためながら、その思いもかけないプレゼントに感動し切っている様子だった。目には熱いものを押さえきれないにじみを表し、手はまるで宝物を扱うかのようで、言葉つかいはぎこちがないほどたどたどしく、身体はすべての感情をその合掌した形の両手のなかに納めているようであった。
「ほんとうに、どうもありがとうございます」
一人の老人が道行く人に、受け取った何かの親切へのお礼として返す、短い他人行儀な言葉のように、お前はぴょこんとおじきをしながらそう言った。
- 私は、胸中をすぎる、またしてもあの拒絶に似たものを感じていた。それはその、何ともとってつけたようなぎこちなさに、あらゆる配慮を与える寸前に感じてしまう、あの、どうしようもない私の声であり反応であった。
- 私は別にそのようなねらいが万分の一でもあった積もりではなかったのに、しだいに形成されてくる一段おごり上がった自分を感じていた。これほどのことにそれほどにも心を動かすお前がいじらしくもあったが、それほどの感動を、とある私の思いつきによって起こしうるそのコントロールを、私は確かに実行していたのだ。またその効果をそうして試していたのだ。
- 「よしなよ、そんなおじき。まるでどこかのバアさんみたいだぞ」 と言う私に対し、お前は照れくさい表情を浮かべながら、またしても、同じ調子で、同じ言葉を繰り返していた。
- 「こういう時は、うれしさのあまり、抱きついたりするんだよ」 。私はそう言いつつ、お前をひとつのコースに誘っていた。
そして 「内部矛盾」 とは、たとえばこういうことであった。
- 自己の抽象的世界への異質の侵入として意識に上ってきたもの、それはまず、自己の生命維持に関わる生活の問題だった。その次は、ひとりの女性に接するうちに見出した自己の肉体の発動の問題だった。それら、思考によって整合されえない対立物は、だのに、それほどに身近であり、私の内に生じる矛盾として、見過ごして通るしかないもののごとくおこってきた。
人類の持つ巨大な矛盾は、かく、まず個体の中にその一存在形を顕在化させる。人間は、その自己に内在する矛盾に対しては、結局、このように避けて通っているのだろうか。それは、そこまで行った地点では丸のみする以外にそれ以上の前進はありえないのだろうか。であるとするなら、人類は、まだかくも、自己の生存と肉体の問題に、こんな地点で留まっているのだろうか。
それを 「抽象」 とよぶ僕の内の思考界は、かく、人類の問題へとも、その直観を延長していた。
このような肥大化をとげる僕であったのだから、こういう僕と出会ってしまったことは、彼女にとっては、まさに受難とでも言うべきであったが、こうした私の不遜と逡巡を包囲するように、時代はさらに僕を、あらぬ方向へと牽引していた。
- 告発者とみずからをそう呼ぶ人々から、私へ向けられる視線を感じるのは、それは私の影であろうか。
現実の問題を忘れ、
己の中へ中へと、
貝が殻を閉ざすように。
そこはもはや、
そこにへと至るどのような弁明がありえたとしても、
全てを個の問題に帰してしまう、
世間に、巷に、ウヨウヨしている、
体制擁護論と、
何の区別もつかぬ土質だ。
告発者は、うすい笑いを口元に浮かべてこう語りはじめる。
「では、最後に君の弁明の機会を与えよう。もし、君の論理がそれらの体制擁護論との間に、厳密な区別があるのならば、それは今、我々の前に実証されなくてはならないだろう。あらためて言っておくが、今や必要とされているのは具体的作用だ。君の
“出来ない理由” ではない。まして心情的シンパシーなどではないことは言うまでもない。ここに居そして同時にそこには居られない具体であることの明晰さにおいて、君はそのどちらを選ぶのか。」
こう若き僕がノートした時から37年を隔てた今、僕は62歳となって、こうその僕と再会している。
忘却の霧のむこうに、霞みながらも思い出される自分は、もっと温和で親しみのもてる、お人よしな自分であったと、少なくとも、この再開を体験するまで、そう暗黙裏に信じていた。
自己像とは、どうやら、 「自分」 という定点観測の視野からでは、その一面を知りえるのみのものであるようだ。それがまるで他人の行為のように受け止められても、このノートは私が残したもので、その筆跡も明らかに僕自身のものだ。他人の介在の余地はまったくない。証拠として、これ以上確かなものはあるまい。それは、若いとはいえ、僕自身である。どうやら、自分が自分である、自分が自分に統合されているというのは、そういう、霧にかすむ世界でのことであるようだ。
- この前の夜、アパートへの帰宅の道すがら、お前は言った。
「ほんど、脱出しない、この夏」
そしてさらに、 「あなたをさらっていってしまいたい。どこか遠くの島へ。ヨロン島がいい」、と付け加えた。僕は最初、この 「ほんど」 が 「本土」
とは聞こえず、 「ヨロン島」 と聞いて、沖縄の先の与論島のことを言っているのだとさとった。
僕は一瞬、亜熱帯の太陽がふりそそぐサンゴ礁を僕ら二人が歩いている光景が、何百分の一秒か、目の前に映じられたように思った。そしてその光景に、僕は何とも言いきれぬ拘束の匂いを感じた。僕は反射的に拒絶している何かを、その時、僕のうちにとらえていた。
「行けない」 、その声は告げた。そしてまた同時に、 「どうして行ってやれない」 と別の声は告げ、二つの声は頭蓋の球状をした暗い閉鎖空間を、互いに交錯しながら反射しづづけていた。
その夏、僕は確かに、彼女と、ある島に数日のキャンプに行ったのだが、それは、僕の友人の二人を加えた男女3対1の4人組という奇妙なグループとしてであった。
また、二年後に実際に、与論島ではなかったものの、沖縄のある離島に二人だけで行くことになったが、それは、そんな事態がやってくるとは予想もしていなかった、きわめて別の生活環境においてのことであった。
つづく
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