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修行第二十八風景

ギックリ腰を契機に


                              その一
 いやはや、まいりました。この私の図体が、まるで木偶の坊と化して、役立たず同然なのです。
 というのは、先週の土曜(2月21日)のことでした。忙しい日となることが予想され、通常より多い仕込み仕事に精を出していた時でした。
 作業台の下にある何かを取ろうとこごんだその時、腰に痛みが走りました。
 「やばい、ギックリ腰か」、と思ったのでしたが、痛みはさほどでなく、そのまま仕事を続けました。ただ、この日は、担当者が休むというので、その代わりに揚げ物の係りにつき、一晩、天ぷらやフライ物を揚げていました。
 この揚げ物の仕事は、やや低い位置にあるフライヤーに向かい、ずっと前かがみの姿勢を維持しなければならず、ことに週末のように多忙な時は、注文も殺到、連続して、姿勢を変える暇もありません。具合が悪くない時でも、ひと仕事終えた後は、腰や肩の凝りを強く感じさせられるのが常です。
 案の定、この姿勢が悪かったらしく、店を終えるころ、その腰の痛みがひどく悪化していました。
 
 その、腰に走る鋭い痛みのため、あとたった10センチほどなのに、足が上がずベットに入れない。
 ほんの50センチほど先にあるだけなのに、手が差し伸べられなくてそれが取れない。
 前かがみになれなくて、靴下もパンツもはけない。
 ペンを床に落としても、それが拾えない。
 こうして、日ごろ、何ともなくやれた数々のことが 「ないないづくし」 となる、 「要介護」 の生活に入らされたのでありました。
 おそらく、この障害はいずれは回復はするでしょうが、この先の将来、いつかは必ずやってくるであろうその回復のない事態にそなえ、その予行演習のつもりで、この不自由に取り組んでいます。
 これまでだったら、狭い、狭い、と思っていたこのアパートも、このできないことずくめの体験を通じると、広すぎる荒野のようにも思えてきます。
 こうして、店には二三日休むと連絡し、おかげで手に入った時間を活用しようと、鎮痛剤でその痛みを和らげつつ、今、この3月7日で三年目を迎える、その先のことを考えています。

                              その二
 医者(カイロプラクティク)に行き、X線写真ではっきりした背骨間の軟骨の収縮を修正してもらい、お陰で痛みも軽減して、今週、金、土と仕事にもどりました。都合、3日間、店を休みました。
 こうして、店にはもどりましたが、まだ、腰は本調子でなく、危なげです。そこで店の若者たちに、腰に負担のかかる仕事はできないからと、彼らの協力を求めています。
 すると、興味深いことに、「Hajime-san, you are old man, now.} と言いながら、彼らはとっても協力的なのです。どこか、私を年寄り扱いすることを楽しんでいるようでもあります。
 そうしたこともあり、また、三年目を迎えた節目の月でもある三月を迎える来週から、これまでの週5日の労働を、週4日に減らすことにし、店の了解ももらいました。
 この一日余分に出来た時間を、別掲の記事のように、とかく時間を要する英語表現のために用いたいと計画しています。

 そのような次第で、三年間の第一次プロジェクトの予定は満了しましたが、いましばらく、週4日のペースで、店の仕事を継続してゆく積もりです。

 (2009年2月28日)

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