「両生空間」 もくじへ
「共和国」 もくじへ
HPへ戻る
三年ほど前でしたか、 『文藝春秋』 に一年をかけて、 「 『京味』 十二か月」 と題した連続記事が掲載されました。作家の平岩弓枝がその京料理の老舗の主人、西健一郎の作る四季折々の料理を食して対談する、文字通り、味わい濃い記事でした。
その記事の中で、 「ぐじ」 という魚が話題にされていました。私はその名を初めて知ったのでしたが、甘鯛の関西での呼び名がそれということでした。ことに京都では、地元、若狭湾であがる
「ぐじ」 が珍重され、昔から 「若狭ぐじ」 という固有な名まで与えられているとのことでした。
まあ、そんな特別あつらえの名があるほどに、煮ても、焼いても、刺身にしてもうまいというその 「ぐじ」 という魚との出会いを、それ以来、私はどこかで期待していたようでした。
その後、ある料理の本でその写真は見かけたのですが、鯛にしては細身で、顔もどこか馬面で、真鯛のようにきりっとした面立ちではありませんでした。
それが先日、私がこちらでなじみとする魚屋で、たしか 「Thread Bream」 という名で、見知らぬ鯛風の魚が並べられていました。それを見た瞬間、
「あれ、これって、あの “ぐじ” じゃないか」 との思いが頭をよぎりました。見たところ鮮度も上々、ヤマカンふんぱつ、さっそくそれを二尾買い求めました。
その晩、刺身と塩焼きにして食べてみたのですが、まあ、そのうまいこと。上品に脂がのって、刺身の味はとろっとしながら歯ごたえがあり、焼いたそれは、食べる前の香ばしいにおいの段階から楽しませてくれるといった味わいでした。
もちろん、ここはオーストラリアのシドニーで、たとえ同種の魚であったとしても、その味は日本産とは微妙に異なります。まして、この新たな出会いの魚が、果たして本当に
「ぐじ」 あるいは 「アマダイ」 であるかどうかは大いに怪しいのですが、しかしその名はどうであれ、その味は絶品でした。
そこで、私はこの魚を 「シドニーぐじ」 と名づけることにしました。
さて、ここで話は訳読の 「ボケずに生きる」 へとジャンプするのですが、前回の第4章のテーマは、認知症にならない食べ物でした。
結論を急ぎますが、前回の訳読をしてみて、特に最新の医学的知見は、魚を食べることが、いかに健康に良いか、それがこのオージードクターによって強調されていることを知りました。
つまり、肉や乳製品が中心の西洋的食生活が、いかに健康によくないかを西洋人が強調しているとも言えます。そこで突然に、 “大和魂” に立ち戻って言えば、最近の話題である “メタボ” にしても、それというのも、西洋風生活スタイルのもたらした一産物じゃないの、とでもインネンをつけてみたくなります。
ともあれ、この訳読本の原著者はオーストラリア人で、本の話題も当然、オーストラリア社会を下地にしています。いわば、オーストラリアという一西洋社会のもつ欠陥や悪弊を、健康回復という面から指摘している本とも言えます。そういうこの本が、健康な食生活に向けたひとつの例えとするモデルが、シーフードを豊富に取り入れている
「地中海風」 食生活です。
しかし、それは、西洋人同士の解りやすいたとえ方としてはそうなのでしょうが、私にしてみれば、それはまさに、日本人の食生活もその通りであり、ある面では、さらに進んでいるとも言えそうです。
上の 「ぐじ」 の話ではないですが、その名はどうであれ、私たちの健康やおいしさにとって、いいものはいずれにあってもいいものだと、世の東西を越えて、再発見されてきているのでしょう。
《追記》 その後、この 「シドニーぐじ」 がもう一度食べたくて、魚屋を物色しているのですが、どうしたことか、その後さっぱりみかけません。
「シドニーぐじ」 は、その時だけの幻の魚だったのか?
(2011年9月30日)
「両生空間」 もくじへ
「共和国」 もくじへ
HPへ戻る
Copyright(C)、2011, Hajime Matsuzaki All rights reserved. この文書、画像の無断使用は厳禁いたします