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第三期・両生学講座 第14回
以下は、いつもの私の飛躍気味の議論ですが、今回のそれは、そのウルトラ版です。
と言いますのは、今回別掲の 「ボケずに生きる」 の第9章 を訳読し、世界の資本主義――ことに 「新自由主義」 というバージョン――は、現在進行中の欧米日を中心とした世界規模不況を契機に大きく退勢に陥るだろう、との着想を得たというものです。それは、1991年のソビエト連邦の崩壊と社会主義イデオロギーの退潮にも匹敵する、歴史的な転換を意味するものにもなるだろうとの私的
“憶測” です。
とするのは、まず、この第9章では、 「脳の変化の意味」 のセクションの末尾で、私たち人間の身体のもつ、私の見るところの、 《二本立て構造》 にハイライトが当てられています。
そしてその構造が論じられているのは、身体的運動が認知症の予防に役立つとの臨床上の効果は確かめられるものの、それが人体において、どういう生物的メカニズムが働いてそうなるのか、とのくだりです。
そこで登場してくるのが、表題の 「中枢的」 と 「身体的」 という、二系統の身体の働きです。むろん詳しくは本文に当たっていただくとして、そのさわりのみに触れておきますと、人が環境に適応して変化してゆく過程で、脳からの指令で、言わば
“上意下達” 式に、身体の各部に変化を起こさせる系統と、身体の各臓器や部位のそれぞれから、言わば “ボトムアップ” 式に情報が伝達され、それに基づいて身体中の変化が促される系統からなる、
《二本立て構造》 です。
前者のそれは、構成厳格な軍隊や機能本位の企業組織といった剛構造を連想させ、後者のそれは、さまざまな人たちが手作業で情報を交換しあう直接民主主義コミュニティーといった軟構造を連想させます。私はこの後者に注目します。
また、前者のそれは、私たちの主観的認識になじみやすい 「我思う故にそう信じる」、言わば既存思想体系に対応していそうです。他方、後者のそれは、近年の生物学や医学における精密分析や測定・画像技術の発達で、身体の中に生じている微細な物質や現象の観察が可能となり、身体各部の無数な働きがそれぞれに解明されてきた結果の、現在進行形かつ分子的な発想に連なっています。
さらに別の角度から連想してみると、前者のそういう意識や価値観の働きは、個人主義や自由主義の土壌になりえ、後者の数え切れない粒子的動きやその全体としての潮流は、今日のネット時代の
「ネチズン」 (ネットとシチズンをくっつけた造語) のあり方やその大気として呼吸に取り入れられそうです。
これを今日の報道記事を拝借して言い換えれば、 「グリーディー(強欲な)」 グローバル企業CEO、対、自らを 「We are 99%」 と受け止める世界庶民、とでも表現できます。
そして以上を煮詰めれば、栄華の頂点を越えて下落に転じた資本主義、対、それに疎外されつつある、圧倒的多数の全世界の 《自分を売るしかない人々》
――これをハート=ネグりは 「マルチチュード」 と呼んでいる――と言う対比です。
医学的、生物学的知見と、社会的、経済的知見とを直接に結びつけることの無謀さは承知していますが、その一方、時に歴史が、地動説しかり、ダーウィニズムしかりで、ある特定領域の知的達成から大いにインパクトを受けてきたのも事実です。
ゆえに、私たち誰もの命のメカニズムが、一人の例外とてなく、そうした 《二本立て構造》 に拠っていることが判明してきている以上、その人間の世界がその構造と無縁であれるはずもなく、そのいづれかにのみ拠って立つ偏りは、もはや本当の命取りにもなりかねないでしょう。
ここに、 「ボケずに生きる」 の原著者がひとつの結論として引用している、ある教授の発言を、私なりにもじってみました。
- 長い間、運動とは社会を変革し、個人の権利と社会全体の変化を促進して、ただ社会の制度的健康にのみ働くと考えられてきました。90年代の中ごろから、こうした見方は疑われ始めました。現在では、運動は、個々人にも、互いの交換を増加させ、意思交流を高め、つながりを生むという多くの効果を与えることが知られています。運動はまた、学習を向上させ、ストレスを和らげ、そしてうつ病への対抗力を作ります。それでいて、運動は同時に社会全体を整えるのです。つまりある意味で、私たちは全面的なものを得るわけです。運動は、社会と個人の健康を作るため、周辺的および中心的の両面釣り合いのとれた働きをします。そのいずれもが不可欠で、その総計は各部分の加算合計を上回ります。私の見るところ、このメカニズムはその統合性において実に優れています。それは、個人と社会の結合の最高の実例です。
こんなもじりも、ただの言葉の遊びを越えて、何かを示唆している時代を迎えているとの気付きです。
話を私的経験に戻しますと、私はいつしかから、自意識や自己主張の背後で、か細いながらも、それでいて持続する別の自分の声のあることに留意するようになりました
(たとえば第31回講座 「こちら側とあちら側」 参照) 。それは、往々にして、エゴのなす旗幟鮮明な勢いにかき消されがちなのですが、 「自分の声に耳をかせ」 とそれをキーワード化し、自分のバランスを保つ必須の要素としてきました。
今になって思えば、それは、ここで言う、 「身体的」 系統でありました。
(2011年12月6日)
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