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 両生学講座 第4期 第5回


日本精神分析


 この第四期の両生学講座では、その第一回から三回までで、個人と天皇制に関わって、主に個人レベルの 「精神分析」 を試みてきました。それを、前の第4回で、 「昭和文学の可能性」 として、戦前の社会レベルでの文学論争に焦点を移しました。
 その後を受けて、今回のこの 「日本精神分析」 です。
 そして、今回の議論のねらいは、これまでの考察が明らかにしてきたように、天皇制にまつわる 「重層タブー」 が、天皇制だけではなく、日本の歴史全体にも及んでいるのではないか、とにらむものです。ことに、日本の歴史の出発点である古代史にかかわるあやしさです。
 そういう次第で、今回のタイトルは 「日本精神分析」 としました。
 ただし、このタイトルは、柄谷行人の 『日本精神分析』 (講談社学術文庫) を借用したもので、今回の議論も、ほぼその内容を下地とした、私なりの再組み立てと発展です。
 そこでまず、 『日本精神分析』 が結論として述べているくだりの引用から始めます。
 電車のキセル乗車ではありませんが、こうして結論だけを見てしまいますと、途中経過が省かれて、日本という 《偶然》 と、味も素気もないものとなってしまいます。しかしそれでは、柄谷の 『日本精神分析』 を、要約したことにもなりませんし、むしろ重要なのは、そこに達したその道中です。また彼自身も、 「日本人の経験を、自民族中心主義に陥ることなく、普遍的に意味をもつようなかたちで提示したい」 ( 「学術文庫版へのあとがき」 )、と明言しているように、上記の結論だけでは、その意図をはしょり過ぎになってしまいます。
 前回、 「昭和文学の可能性」 ででも述べ、また、私が二十歳代に経験していたテーマとは、実は、 《転向》 の問題にほかなりません。つまり 「自我の社会化」 とは、それがどのような思想であったにせよ、そういう自分の基準と社会的規範とのぶつかり合いに生じる “ゆらぎ” すなわち 《転向》 の問題に、自分なりの解答を見つけてゆくプロセスです。そして、この問題が、きわめて、 「日本的」 問題であったことです。
 もう少し具体的に言いますと、1917年のロシア革命以来、日本では大正デモクラシーが起こり、昭和の初期までに、マルクス主義あるいはプロレタリア文学が、日本の知識人の間に急激に広がりました。柄谷は、その時期の芥川龍之介の自殺をとりあげて、こう述べます。
 ここで柄谷は、芥川が示した、日本のもつ、この 「造り変える」 力に注目します。つまり、かっての仏教にせよ、その後の 「キリシタン」 にせよ、日本はそれらの外来宗教を、それに取り込まれるのではなく、改造してしまったのだ、と言うのです。つまり、そうした外来物を、排外するのでも、蹂躙されるのでもなく、自らに飲み込んでしまうのが、日本であるというのです。そして、その “魔術” を可能とさせているものが、日本語が、漢字と仮名を併用し、漢字に音読みと訓読みを与えているところだとします。すなわち、漢字の言葉つまり中国語を、そのままの発音と日本での発音とに区別して、二本立てで併用してしまうのです。このようにして、外国の意味や発想は取り入れながら、しかし、それ自体が日本語となるのではなくて外来語のまま認識、保存され、その柔軟な使い分けを可能とさせてしまうのです。さらに、こうした古来からの文化は近代になっても引き継がれ、西洋からの外来語は、片仮名となって定着しながら、しかし本来の日本語とは区別されて併置されているのです。
 こうして、外来的なものの外来性がどこまでも保存され、それに応じた一定の異化や反発を取り込みながらも、逆に 「やまとことば」 の独自な世界を暗黙に浮かびあがらせることとなります。そして柄谷は言います。 「三種の文字を使って語の出自を区別している集団は、日本のほかには存在しない。しかも、それが千年以上に及んでいるわけです。こうした特徴を無視すれば、文学はいうまでもなく、日本のあらゆる諸制度・思考を理解することはできないはずです」 。
 ですから、これを外国人から見れば、こういうこととなります。フランスの精神分析医ラカン――日本の音読みと訓読みに注目した上で――は、「誤解を恐れないで言えば、日本語を話す人にとっては、嘘を媒介として・・・、真実を語るということは日常茶飯の行いなのです」 (上掲柄谷書より)、と指摘することとなります。つまり、ひとつの言葉にこうした二重の意味があるのなら、一方が真実なら他方は 「嘘」 にちがいないというわけです。言い換えれば、もし、日本が外敵に征服され、完全な外国語の使用が強制された場合、その外来語の発想や論理構造は、日本人の独自の精神構造を変え、ことにその潜在意識に 「去勢」 ――否定――を強い、深い 「抑圧」 を与えたでしょう。しかし、日本人は幸いに、外敵の征服を受けず、漢字と仮名の併用によるそうした 「嘘」 の効果により、外来文化による精神的試練を回避しながら、かつ、その実用面のみは取り入れるという “二足わらじ” を可能としてきたわけです。まさに、 「和魂洋才」 です。
 これは私の解釈ですが、これを精神分析的に言えば、無意識を意識化する音声言語化(客観表現化)を経ない――少なくともそうしにくい――という、自我形成上の弱点を持つということとなります。言うなれば、無意識という、意識の照射を経ない分野からの作用を受けやすいということとなります。それが、日本語には主語がないとか、日本人には西洋人のような明確な自我を欠くとかという通説となり、ひいては、その由来を求めて、古代への遡及にたよってゆくこととなります。しかし、柄谷は、そういう必要はなく、日本語の持つ顕著な特徴、つまり、漢字と仮名の併用――音読みと訓読みの両用――が、その原因であると論じているのです。
 私個人としても、これまでに物書きのまねごとをしながら、自分の考えを表現する上で、漢字で表された言葉のもつ “便利さ” は経験してきました。つまり、それはあたかもひとつの絵のようであり、象形文字として発達してきたその表意文字の有用性を実感をもって体験してきました。逆に言えば、そういう漢字の力が作用して、私の自我の形成に、ある規範を与えてきました。むろん、漢字ばかりでなく、片仮名書きによる外来語も、同じ効果をもっていました。そういう意味では、私は、外来語が持ちこんでくる、一種の規範効果によって、自分のやわな部分が鍛えられていたようです。平ったく言えば、日本語には、どうやらそういう、ヤスリで磨き上げるような働きの弱い、 《やわらかな》 性格があるようです。私が先に、日本の近代の発達を 「未成年」 と指摘したのも、そうした視点と関連するものでありました。
 さらに私の個人的経験を採り上げますと、オーストラリアにやってきて以来、オージーの親しい友人を獲得し、彼らと接するなかでじわじわと発見してきたことですが、端的にいうと、英語の世界には、 「転向」 という言葉がないようだ、ということです。もちろん、辞書には、たとえば 「conversion」 という相当する言葉はありますが、どうもそれは、日本語でいう 「転向」 というより、むしろ 「改宗」 に近い言葉のようです。
 たとえば、私のオージーの親友は、若い頃はオーストラリアの共産党員だった男ですが、どこから見ても、そうした自分の思想的変転に 「後ろめたさ」 は伴っていません。というより、それは、強制されて―― オーストラリアでは1950年代に共産党を非合法化する動きはありましたが不成功――そうなったのではなく、自分の判断でそう選択した、といったものです。つまり、オーストラリアでは、歴史的にも、物理的、暴力的脅迫を伴った日本のような政治的弾圧はなく、思想的立場の変更は、あくまでも “自主的” であったからのようです。
 そしてこれは、そうした私のオーストラリア経験から導かれた結論ですが、日本とオーストラリアは、同じ 「法治国」 同士とは言っても、法に対して国民が抱くイメージや信頼度において、あきらかな違いがあります。オーストラリアの場合、法は、地方なり中央なりの議会で決められた 「ルール」 です。スポーツで言う 「ルール」 とほとんど同じ感覚です。言い換えれば、自分たち国民は、たとえ権力者からであろうとも、その 「ルール」 に基づかないいかなる強要もない――もしあったら、それは 「アンフェアー」 だ――、といった明快な常識が通用しているように私は感じています。
 そうした私的オーストラリア経験も含めて言えば、天皇制にまつわる 「重層タブー」 感も、その根っ子には、こういう物理的強要による恐怖感やその記憶――ことに社会的記憶――が、今もなお存在しているからではないのか、と思えるのです。
 柄谷は、アメリカの日本学者(思想史)、ハリー・ハルトゥニアンを引用して次のように言います。
  「・・・日本の社会が忘れたのは 『満州の戦場』 だけではありません。(中略) 大正デモクラシーと呼ばれた時代は、実際は、その 〔日韓併合とか大逆事件〕 ような暴力を隠すことにおいて形成されています。」  つまり、ある意味では非常に明快単純なことで、そうした一連の物理的暴力を隠すことで天皇制は維持され、それにまとい付く 「重層タブー」 も生んできているのです。そしてその隠蔽が今日までも目を覆いがたくも尾を引き、 「南京虐殺有無論争」 や 「慰安婦有無論争」 が幾度も蒸し返されるというように、それに派生する諸問題を正視しえず、外から指摘されてもなお、頑なに開き直らざるをえない墓穴を掘ってしまっているのです。
 日本は、外敵による征服を経験しなかったこと――ただし1945年の敗戦まで――により、世界でも珍しい社会的、文化的、民族的均質性や歴史的連続性を持っていることは疑いありません。しかし、そういう歴史的息の長さと、近世での西洋という強力なライバルとの遭遇がもたらした、異型な産物である近代天皇制とは、そうは簡単には同列に置いたり結びつけたりはできない、互いに別の問題であるのです。

 (2012年7月5日)
 
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