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私と現憲法は、一歳違いのほぼ同い年です。
私が1946年8月20日生まれ、憲法が翌1947年5月3日の施行ですので、憲法は私より一歳年下の弟分ということになります。
つまり、私の世代は、まさに、現憲法とともに生きてきたわけです。
とは言っても、国のもっとも頂上に据えられた法規を、日常的にそれほど意識して生きてきたわけではありません。ある意味で、どこか遠い存在の、自分とは無関係なもののようでもありました。
そういう憲法を、私が、それとはっきりと意識されられたことは、これまでの生涯で、二度、あります。
一度は、中学生の時――1961年――の社会科の授業で憲法を取り上げる時間がありました。それを教えていた先生は、やる気バリバリの若い教師で、私に歴史の面白さを教えてくれた先生でもありました。どういう内容の授業だったのかはもう覚えていませんが、暗記させられた憲法の前文の一部は、それから50年以上もたった、物忘れの目立つ今でも、すらすらと思い出せます。
- そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者ががこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する・・・・
二度目に私が憲法を意識したのは、ずっと後で、1984年にオーストラリアに渡ってきて、一年ほどたった時でした。この時の体験については、私はこのサイトにも、一本の記事にまとめたことがあります。
「日本人に生まれてよかった」 というタイトルで掲載されているものです。それは、私と同世代のオージーたちが、徴兵によりベトナム戦争に行く義務があった一方、私は日本人で、ベトナム戦争反対運動には参加しましたが、兵士としてその戦場に駆り出されることはありませんでした。その時です、その分れ目を作っていたのが、日本国憲法であったことを覚りました。
さて、そういう現憲法が、年齢65歳にして、その改正議論の俎上に乗せられようとしています。
たしかに、65と言えば、人間なら、もう現役世代ではありません。時代に合わない部分はあるはずです。
しかし、その改正の方向は、どうやら、現行の自衛隊を軍隊へと正式昇格させる、上記のエピソードで言えば、日本の若者が兵士として海外へ派遣されることも当然となる改正を意図したものであるようです。
ところで、すでに別掲の 『天皇の陰謀』 の訳読で、克明に戦争とはいかなるものかを見てきていますが、そういう繰り返されることの許されることがあろうはずもないような惨劇をかいくぐって、その結果に制定されたのが、現憲法であり、その戦争放棄の第9条です。
それは、いくらそれから65年が経過したからといって、移り変わった時代といっしょにできるようなレベルの問題では決してない、そういう忘れられてはならない体験の産物のはずです。
おそらく、改訂論議では、表面上には、そうした大枠の精神は出さずに、技術的な項目で、事実上の戦争行為を可能とする改訂が行われるのではないか、と個人的には予想します。今回の段階では。
ともあれ、現在の政治状況では、そうした改正は実行に移される可能性が大きく、その意味で、その議論は避けては通れません。
その憲法の誕生とその定着、そしてその 「福利を享受」 して生きてきたものとして、私たちの世代は、次の世代に、述べておくべき何がしかは持っているはずです。
このシリーズでは、それを扱ってゆきます。
(2013年5月21日)
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