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     <連載> ダブル・フィクションとしての天皇   (第5回)



 この 「訳読」 の作業を始めて、今、複雑な気持ちを持ち始めています。と言うのは、先にも書いたように、このバーガミニの 『天皇の陰謀』 は、すでに一度邦訳されていて、もう、三十年以上も前に出版 (いいだ・もも訳、れおぽーる書房、1973) されています。言ってみれば、もう誰かが済ました仕事を、もう一度、繰り返していることを意味します。
 そこでなのですが、その既刊の翻訳を完全に無視してこの訳読をするのもひとつの方法なのですが、正直いって、やはり、そうした既存の仕事は気になりますし、どうせ再度の仕事なら、生意気に、何らかの蓄積も志したいと思います。そこで、先にその古本を取り寄せまして、その仕事を参考にさせてもらいながら、この訳読を進めています。
 先行者というものは気の毒なもので、常に、後続者に自分の背中を見せつつ進まねばなりません。いわば、その背後から、何が飛んでくるかわかりません。以下は、この後続者の利点の上での話で、(また、そうした仕事を 「けなす」 といった意図も毛頭ないと断った上で)、ある私の感想を表しておきたいと思います。
 もちろんこれは私見にすぎませんが、この先行の仕事を翻訳技術の点でいうと、その出来具合はあまりよくないと言わざるをえません。たとえば、意味のとれない生硬な訳が、そうとう頻繁に出てきます。むろん私のそれも素人クラスですが、それでも、比較の労をいとわない読者には、少なくない箇所で、もう少しは意味の通る訳をみつけていただけるはずです。
 おそらく、翻訳者であるいいだ・もも氏 (翻訳は本業ではなかったはず) には、出版を急ぐため、あまり細部に拘泥せず、議論の骨格の訳出を重視する姿勢があったと考えられます。それに、同氏による「訳者後記」も、30ページにわたる大振りのそれとなっていて、「訳者後記」というより立派な「解題」となっています。そこには、氏自身の天皇制批判の概要も述べられ、氏のこの翻訳の仕事への動機がうかがえます。また、いわゆる「新左翼」の勢いの猛けだけしかった頃の雰囲気がそのまま漂っており、そうした時代を共有した私にとって、ある「なつかしさ」も見つけてしまっています。
 思い出話はともあれ、私の見るところ、日本における天皇制は、私たちの意外な深層にも根をおろしており、そうとう丁寧な議論を経ることなく、そうした奥所に達することはできません。そういう意味で、この先行の仕事は、せっかくの機会を充分には生かしきれていないように思います。
 私の訳読の仕事が、その失われた機会の少しでもの穴埋めとなっていることを願い、遅速ながら、この作業を継続してゆきたいと思います。


 先月、一回、休みを置いての今回ですが、「原子爆弾」と題した第二章を全編カバーできず、そのおよそ半分が訳読されているのみです。
 それでも、この比較的長い章における、興味深い箇所は随所に見られます。

 今回の最大のハイライト部は、私たちの天皇認識についての、コペルニクス的 《逆転》 をもたらすべきストーリーです。つまり、従来、(昭和)天皇は平和愛好者で、戦争は軍部の突出にひきずられたものにすぎず、不承々々に巻き込まれたもの、といったものであったと思います。ところが、それは、作り出されたイメージであるという、著者の論点です。「アジア・太平洋戦争」を先導してきた彼が、敗戦必至といたった時、降伏の一年半も前からそれを準備し (当然、その間、二発の原爆投下や繰り返された大空襲など、多くの生命が無駄な犠牲となって)、上記のようなイメージを脚色して、戦後天皇への道ならしを行った結果のものであることです。いったん火をつけた大戦争を消火しなければならなかったわけですから、その辻褄合わせに、それくらいのフィクションやコストは当然視されたようですが、詳細、緻密に検証されている今回が扱う議論は、それだけでも、日本人として、それに同調するかどうかは読者自身の判断としても、少なくとも、一度は聞いておくべき議論ではあると思います。
 先にもコメントしましたが、著者のバーガミニは、そうした議論がどうして可能なのか、その根拠、つまり出典を、著者注記もうるさいほどに入れつつ、一節々々ごとにこと細かく示し、実に丁寧にそのいわれを開示しています(それでも、不足をまったく感じないわけではありませんが)。

 上記の既存翻訳版では、参考文献や著者注記は、「訳者後記」に解説されている以外には一切割愛されています。
 この訳読版には、そうした原本にある詳細の割愛は一切おこなわず、すべて訳出してあります。その作業量は、本文の翻訳に匹敵するほどの “余分” なものですが、そうした余分なほどの背景への認識なしでは、原著者の真意の理解も、道半分であるかと思います。
 また、従来の 「本」 では、そうした注記や文献録に当たるのは、本の中を行ったり来たりして実に面倒なものでしたが、このデジタル 「本」 では、そうした 「当たる」 作業は、クリック一発ですますことができます。

 では、今回、翻訳したページへ どうぞ。


 (松崎 元、2006年11月15日)
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