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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第18回)
付き合い下手
歴史に 「もし」 をつけるのは無意味なことだと言われます。
どうも、こうした歴史観をもちやすいのは、世界に君臨して他を蹂躙した西洋側の人々のようで、それに泣かされた東洋側の人々は、その逆で、 「もし」 を付けたい心理に捕らわれやすいところがあるのではないかと思われます。
そんなよしみで、日本の歴史にも 「もし」 をつけてみたいのですが、 「もし、日本が鎖国をしていなかったら」 との発想です。
日本史についての 「もし」 に関しては、すでに、太平洋戦争に勝利していたら、とのSF風な試みはいろいろされているようです。しかし、私の知る限り、鎖国に 「もし」 をつけた本格的取り組みはないようです。
そこでですが、私がそれを試してみると、この 「もし」 ストーリーの大詰めは、日本は東洋の英国となりました、ということになりそうです。
ただ、私のこの 「もし」 には、西洋世界が存在しなかったらとの、もっと大きな 「もし」 も含んでいるのですが、前回にも書きましたように、私は、自分の論文の考察で、江戸時代、日本の発展は、おおまかに言って、英国の1世紀から1世紀半の遅れで、同様な道を進んでいたと見ました。ですから、もし西洋がやってこなくて、日本が独自のコースを延長させていれば、遅かれ早かれ、日本でも産業革命がおこり、西洋の東進ではなく、その逆の、東洋の西進がおこっていただろうとの話です。
つまりは、それが何処であったかは別として、いずれにしても、発展の格差があるかぎり、その優位を活用する国と、受け身に回る国は出ざるを得ないわけで、たまたま受け身となった国に、大なり小なりの
「鎖国」 は不可避であったでしょう。
そこで思うのですが、人間社会に、力を先に得たものがその持続を望み、後発のものがなんとかその先発者をくだそうとするのは、どこにでもおこる相克かと思われます。
そうした争いが、時や場所をさまざまにして起こり、相互に複雑に絡み合ったのが歴史なのでしょう。
日本の場合、その争いの絡み合いに、その地理的な偶然性によって、比較的少なくしか巻き込まれず、国内での先発者つまり天皇一族に、その優位を維持する条件がより多く存在していたのでしょう。そのため、そうした相克の国際版に巻き込まれるのは江戸時代になってからで、それまでは、国内版のその争い関係の中で、結局は、どちらも損をしないような、談合の文化が育ってきたのでしょう。
そうして、いよいよ西洋がその力を掲げてやってきて、鎖国か否か、との騒ぎになったのですが、それでも、談合の文化は維持され、そこに西洋の列強がさまざまに干渉してくることとなりました。
今回の訳読では、そうした複雑な国内状況をかなり要約して述べており、いろいろな意味で、日本史の花でもある江戸時代の分析としては、少々、物足りない気にさせられます。ことに、江戸の文化面についての認識には、ある偏見があるようにも感じられます。
ともあれ、地球はそれほど大きくなく、隣近所や訪問者との付き合いを避けるわけにもゆかず、箱入り娘の日本も、世界の清濁を合わせ飲まなくてはならなくなりました。おかげで、そうした箱入り娘の伝統は今日にまでも残存し、相変わらずの付き合い下手であり続けているのが日本でしょう。
では、今回の訳読へとご案内いたしましょう。。
(2010年2月28日)
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