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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第22回)
低すぎる評価
今回の訳読をしてみて、岩倉具視があたかも幕末から維新への変化の中心人物として描かれていることは、私の無知を別としても、日本社会の一般的な受け止め方――五百円札の肖像画の人物――としても、著者バーガミニによるちょっと意外な描き方のように思われます。
その扱い方が正しいのかどうかの評価は私にはできませんが、もし、このバーガミニの描き方にも一理あるとするなら、岩倉具視は、五百円札相当どころか、幕末・維新期の内外ともの複雑な情勢を見定め、日本の進路についての国家戦略をもっとも妥当に打ち出していた唯一の人物、ということになります。
現代の私たちは、その後の政治――その国家戦略の受益者あるいは僭称者――の影響下にありますから、五百円札程度とされるその評価にも慣らされています。
しかし、このバーガミニの見方に刺激されて、考え直させられることがあります。つまり、今日まで、あまたの詳細な幕末・維新史の物語が無数に語られながら、全体としては、ただの成り行きに任されていた――日本人の誰ひとりとしてその押さえ所を押さえていなかった――かのような、一国としていかにもふがいのないあり方を見てしまうのですが、実はそうではなく、五百円札どころか “十万円札” クラスの人物がいたのだという、差し込む一条の光を見るような気持ちがしてくるということです。
先にも言った「 『二元論』 の向こう」 を考えるにあたって、こうした人物の存在は――つまり、バーガミニの見方が正しいとするなら――、少なくともその当時は、そんな 「二元論」 などには陥らない、誇り高き精神が存在していたということとなり、その謎解きの大きなヒントとなります。
訳読にあるように、岩倉具視は下級公家出身です。「ウィキペディア」 してみると、彼は小さい頃から偉才を放ち、公家社会には納まりきれない人物であったようです。つまり、彼の生まれは、どの藩にも属さない、細々と落ちぶれはしながらも、中央権力の一端にあったということであり、そういう意味で、日本全体を考えうる血筋や環境にあったと言えるかと思います。
ここから先は私の拙論ですが、ここで司馬遼太郎をさっとおさらいしてみます。
彼の 『「明治」という国家』 を開いてみますと、「 “青写真” なしの新国家」 という章が見られます。まず、上のような認識から行きますと、この 「 “青写真” なし」 という見方にひとつの違和感を見出すとともに、この章に限らず、この本全体のなかでも、岩倉具視は、彼の率いた欧米使節団の団長としてのみしか取り上げられておらず、彼の行った行動には一切触れられていません。不思議なほどの無認識です。
そこで思うのですが、日本人には、天皇制に関わる議論――ことにその批判――については、意識的にも無意識的にも、それをタブー視する気持ちからどうしても抜けきれません。そこで、どうしても賑やかになりがちなのは、そうした “天” からの視点ではない、下からの視点のひとつとしての、たしかに具体的で資料も多く、しかも多彩でストーリー性にも富んだ藩レベルの話ということとなります。むろん、そうした “地上” レベルの話なしに、幕末・維新の動きが展開したわけはではないのですが、ただ、そうした詳細談だけで事態が動いていたわけではないだろうということなのです。
そうした次元で、全体を見通すスケールの大きな政治家の存在はどうしても必要なわけで、そういうレベルのかけひきにおいては、やってきた西洋諸国の方が、思想的にも経験的にも上を行っていました。だからこそ、かれは欧米視察団の団長であったのです。。岩倉具視は、そうした次元での政治家であったと思います。
バーガミニは、岩倉具視を 「天皇殺し」 とも解釈し、日本人の生身な常識からは余りにどぎつい見解を提示しています。その一方、今回の訳読の 「奇跡」
のくだりにあるように、日本人が当時、他の国ではなし得なかったような奇跡的な変化を成し遂げたことをも描いています。これは、見方の肌理こそ違え、たとえば司馬遼太郎が描く、それぞれの藩レベルの、登場人物も具体的で多彩な物語が描く内容と、同質の捉え方だと言えると思います。
ともあれ、こうして、バーガミニは、日本人自身ではなかなか踏み込めない領域に勇敢に入ってくれています。そこが、この訳読の味でもあります。
では、そうした 「味」へと、今回もご案内いたします。
(2010年5月1日)
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