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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第25回)
歴史の変わり目だった
前回の当 「訳読」 では、明治天皇と伊藤博文の日露戦争をめぐる駆け引きが圧巻でした。
そこでまたしても、私の空想論を述べるのですが、日露戦争の勝利は、どうみても、日本は勝たせられたと見るのが妥当で、それをさせたのは、もちろん、英国のバックアップでした。
いくら明治天皇が優れていたとしても、親であり頑迷な旧主派だった孝明天皇からたった一代で、国際情勢の的確な分析と、戦争勝利という国際関係上の過酷な実力処理が出来るまでの進歩がしえたとは考えにくい。
むしろ、当時の西洋列強が張り合う帝国主義抗争の中で、日本という極東の新勢力を、彼らがどう利用しようとしたのか、そういう視点にどうしても関心が向います。
当時世界は、第一次世界大戦前夜とも言うべき情勢において、ヨーロッパにおける英国、フランス、ドイツ、そして後発ながらロシアという、諸勢力の競い合いがポイントでしょう。
すでに幕末期、幕府の背後にフランスが、薩長という反幕革命勢力の背後に英国がついて、日本に生じ始めていた内乱の西洋勢力による利用合戦がありました。そういう意味では、明治維新は、英国が一歩先んじたと言えましょう。そこに、ドイツは日本に政治体系のモデルとしての影響力を売り込みます。また、ロシアは、西ヨーロッパ諸国間の相克を尻目に、陸続きの強みを生かして、海路からではなく陸路により、新領土獲得合戦地としてのアジアへの進出をはかりました。南中国での足場を確保し、北進を進めていた英国に対抗し、シベリアより満州へと南下してきていたのがロシアでした。日露戦争での敗北の後、ロシア中央では革命が起って国は大混乱に陥ります。これも明らかに、英国の勝ちです。
この日露戦争前夜の時、ロシア皇帝が伊藤博文からの働きかけに応じ、日本を英国側に追いやらぬよう、日露間の同盟関係を結んでいたならば、その後のアジア情勢は根本的に変わっていたでしょう。
その結果は、伊藤が構想していたように、北部満州はロシアが取り、朝鮮半島、南部満州は日本が取るという東アジア地図の塗り分けとなります。むろんそれでも、西ヨーロッパでの大戦争は起こっていたでしょうから、日露は、そのユーラシア大陸の反対側での騒動を尻目に、ともに中国国土の南への進出をはかり、ひょっとすると、二国で中国全土を割拠してしまったかもしれません。
しかし、やがて欧州戦争が終焉し、西洋列強との対峙線はアジアのどこかで形成されることにはなったでしょうが、ヨーロッパ勢は戦争疲れから後退し、第一次大戦で無傷で残った者同士として、アメリカとの極東をめぐっての争いは、世界恐慌をきっかけとする第二次世界大戦として、その緊張に点火はされたでしょう。ただしそれは、日、露、米という三つどもえの戦争です。むろん、三者同士の戦争はありえませんから、一者がどちらに付くかで勝負は決まったでしょう。
以上はもちろん空想ですが、ただ、それが示唆するのは、外交政策の重要さの不可避性です。もはや地球は、一国をひとり静かにはさせておけるほど、充分に広大ではなくなったということです。
ところで、今回の訳読ですが、いよいよ、天皇裕仁の誕生です。
そして、、私流に言えば、 「究極の私営」 体制の準備が始まります。要するに、それは、親戚寄って集まっての国家の首脳体制つくりです。だから、やっぱり、異様です。
では、今回もその訳読にご案内いたします。
(2010年6月14日)
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