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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第84回)
文化の衝突
アメリカ海兵隊員ジャックと、
日本人子守り きのさんへ捧ぐ。
二人は、文化の衝突、避けられたかもしれない野望と
誇り高き欺瞞、そして両サイドの多くの人々の怠慢な
無知によって、その命を失った。
私も含め、おそらく読者のおおかたも、上記の 「献辞」 にはあまり関心は払わなかったのではないでしょうか。つまり、この言葉が、著者のバーガミニが原著の冒頭にかかげて、著者自身としての本書執筆の動機と感慨を表しているものです。
と言うことは、バーガミニが本書執筆によって到達した地点がここだ、ということだとも言えるかと思います。
また、今回の訳読の最後のバラグラフに注目ください。やはり、ここでも、バーガミニは、 「二つの文化は悲劇的に衝突した」 と書いています。
この戦争を、前回の本稿で見たように、それを 「はめられた」 ものと 《国家間ヘゲモニー紛争》 として見るのではなく、このように 《文化間の衝突》 として見ると、また違ったものが見えてきます。
たとえば 「真珠湾」 についてですが、その奇襲作戦は、戦争技術上では、明らかに日本の勝利です。ですが、戦争戦略上では、日本はそれにより、日本文化上の筋は貫徹し、日本人の武勇な誇りは、たとえ最後は敗北したとはいっても、傷つくことなく維持されました。まさに
「赤穂浪士」 そのもののストーリーです。
そうなのですが、それを仕掛けられたアメリカ側にとって、それは 《国際紛争解決の手段》 以前の、あってはならぬ、言語道断で卑劣な出来事として
“演出” されるべきことでした。
というのは、アメリカにとっての 「真珠湾」 は、今回の訳読で明らかなように、完璧な “不意打ち” ではなく、その作戦計画のそうとうな部分まで、暗号解読によって察知しえていたものです。それを、一旦はそうさせるに任せ、あたかも
「皮を切らせて骨を切る」 ように、民主的議会主義に立つ国として、多民族国家の多様な国民性の一致を形成するための “火付け” として活用されたものです。ただしそれは、むろん戦争に関わる話で、実際は、米国首脳陣にも完璧な意志一致はなかったようです。そこで、一応の用心として、その警戒措置はとられ、空母は一隻残らず、真珠湾から退避されました。
米国民にしてみれば、すでにヨーロッパで火の手が上がっていても、それはまだ彼岸の火事でした。しかし米国首脳には、ヨーロッパの兄弟の災難を傍観する――つまり 「孤立主義」 をとる――ことが道義的に許されないとの判断もあったはずです。ただ、そうであるにしても、戦争という、国民にこれ以上のものはない痛い犠牲を強いる場合、その決定を 「民主的に」 取り付けるには、相当の準備なりインパクトがなくては不可能です。特にアメリカという “人工” 国家の場合、それがゆえの “人為的” 工作が必要です。
他方、日本の場合、そういう国家的一致という意味では、日本は “自然” 国家であり、自然的にも民族的にも (当時では、台湾、朝鮮を 「併合」 し始めていましたが)、自然的境界と国家の国境がほぼ一致していました。また、甚大な自然災害を数十年に一度は経験する国でもあって、そういう国家的一大事の体験は、ある意味で
“慣れ” ており、挙国しての動員もしやすい国民性がありました。
つまり、そうした土壌が育む 《文化》 は、いずれの国においても、選択以前の所与の条件であり、その国の自意識上では余りに自明でありながら、他国からは極めて理解の困難な要素です。それがゆえに、戦争という国家同士の衝突の場面にあっては、思わぬ、つまり、政策的計量をすりぬける、影の主動因にさえなりえる可能性があることです。
日米間に限らず、いずれの国も、こうした文化を含め、政治的、経済的、社会的な 「国是」 をもって、自国を永久に繁栄させてゆくべき使命があります。それが、近世以降の狭まるこの地球によって、そうした
“地方性” に危機が訪れていました。
そして、ペリー来訪以来、日本は、それまでのローカルな安泰を、拡大してくる西洋によって脅威にさらされます。
一方西洋は、同士間ライバルティーの結果、ファシスト国家という、自らの毒ともいうべき内部からの脅威にさらされます。
東洋にあっては、日清・日露戦争を経て半西洋化した日本が、その西洋の毒を近似性がゆえに見習って、アジア版ファシスト国となって、半東洋・半西洋的脅威をふりまく道にはまり込んでゆきます。それが、15年戦争と言われた 「中国・太平洋戦争」
の実相です。つまり、この戦争では、日本は、方や、西洋の仮面をかぶって中国に侵略し、他方、地顔ともいうべき東洋の顔でアメリカと戦ったわけです。
ところで、以上のように見てくると、真珠湾奇襲を計画、達成した山本五十六という人物について、その能力と特性が浮かび上がってきます。
彼は、ハーバードに二年間留学し、日本に帰国後も、あの黄色枠表紙の 『ナショナル・ジオグラフィック』 誌を愛読し続けたというアメリカ通です。しかも、ロンドン軍縮会議では、日本の国際的立場――ことに日米関係において――を有利に導いた国際的戦略家(軍事的立場からではありますが)です。そういう彼だからこそ、将来の戦争での航空機の役割の重要性を見抜き、並みの、つまり、伝統的な戦略家の着想では考えも及ばない大胆な構想が可能でした。おそらく、このレベルの思考ができたのは、日米両国においても、彼一人であったのはないかと推察されます。だからこそ、暗号の解読までし、日本の奇襲計画の輪郭までつかめかけていたにもかかわらず、アメリカ側にそれを読み切れる戦略家はいませんでした。それがゆえの、勝負としてみれば、真珠湾での完璧なほどの負けっぷりであり、それは、
「火付け」 として黙認できる範囲をはるかに超えた、甚大な損失と強烈な脅威を残したのでした。
そうした山本の傑出度は、真珠湾後、その脅威の根源である山本個人の殺害――作戦としては実に異例――を狙った、米太平洋艦隊司令官レベルでの特別計画が設けられたことからも推量できます。そして、それが成功して山本は、1942年4月18日、ソロモン諸島のブーゲンビル島上空で撃墜死させられます。暗合の解読で、彼の動きはつぶさにつかまれていたのでした。つまり、山本を生かしておけば、いつまたアメリカが出し抜かれるか、そういう戦略頭脳上の脅威を、こうして消し去ったということです。
私は今回、この訳読を通して、山本五十六という人物のみならず、真珠湾計画の卓抜さ、そして、彼の日本軍部体制の中での活躍ぶり――真珠湾計画を実行までに持って行くこと自体、日本軍部体制の中での戦いの成果だった――をたどってきてみて、そうした日本側での戦略的効果の一方、その見事過ぎるほどの成功ぶりがゆえに、眠れる獅子たるアメリカを、極大限に目覚めさせてしまったという、戦略レベルの “反作用” も見逃せないと思うのです。だからこそ、おそらく、真珠湾なくしては、米国民が対独戦に立ち上がらなかった――少なくとももっと時間を要した――のは間違いないでしょう。そして、その強烈に刻印されてしまった日本への恐怖と反発がゆえに、最終的には米国に、広島・長崎への原爆投下をも正当化させたのではないか、とも考えられるのです。
ひっくり返して言えば、日本に凡庸な戦略家しかそろっていなかったとしたら、日米戦争はおおむね互いの読みの範囲で終始し、むろん国力差がゆえの平凡な勝負はついたでしょうが、日本の戦略も南方方面に集中し、対決もそうした互いの出先の戦場が中心となり、アメリカの出方ももっと穏やかであったかも知れません。つまり、アメリカの日本本土攻撃がない段階で、和平交渉へと移ったことも考えられます。
それにしても、松岡元外相にせよ、この山本にせよ、こうした日米両社会に通じた傑出した日本人を、自らで最大限に使いこなせなかったのが日本だった、ということは言えるかと思います。そして、この点で言えば、バーガミニは今回、貴重な指摘を含めています。それは、裕仁の母親が、真珠湾攻撃に際して、その反撃をおそれ、田舎に引っ込んでしまったという指摘です。ということは、皇太后は、アメリカの反発を充分に予想していたということになります。
日本は、女性をもっと登用すべきだったという歴史的教訓なのでしょうか。
それでは、第26章 真珠湾 (その3) へ、ご案内いたします。
今回をもって26章とともに第6部が終わります。続く第7部のタイトルは、なんと、 「世界終末戦争」 とあります。
(2013年2月7日)
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