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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第92回)
罪意識の共有
本訳読も、いよいよ大詰めに差し掛かってきている感が回ごとに深まってきています。といいますのは、本書の原著者のバーガミニは、本書執筆の動機となった疑問について、これまでの膨大な論証に立って、いよいよ、その核心部の述懐というべき、その問いへの回答を、一つひとつと、述べ始めているからです。
まず、彼がこの本を書く動機となった疑問を改めて確認しておきますと、彼は、本書のイントロにあたる 「著者より読者へ」 で、以下のように述べています。
- ・・・私が少年へと成長する間、私の周囲で接した、物静かで、思慮深く、思いやりがあって親しみのもてる人々は、いま、おぞましくも、また、もっとも不可解にも、変貌をとげていた。ここ戦場では、日本兵はただ戦闘をしていただけでなく、えばりくさって人の横っ面を張り飛ばし、飢える人から食料を、家を失った人から寝具を、貧乏人から銅貨を徴発し、少女を強姦し、妊婦の腹を裂き、赤ん坊を空に放り上げて銃剣で突き刺し、拷問による告白以外の真実を認めず、その統治は脅迫以外の手段を持っていなかった。私は、どうして日本人がそのようなことをするのか理解できなかった・・・
著者バーガミニにとって、この本の執筆は彼の 「ライフワーク」 と言ってよく、さらにはそれが、彼の、ある意味での “命取り” にもなった、日米両国にとっての歴史的証言となった作品です。
そして、彼にそこまでの強くかつ深い動機を与えたのが、上記に述べられている、日本人に関する疑問、つまり、 《日本人の残虐性》 への問いです。そしてこの問いは、もっとねじれた形で、私にとっての “あえては問いたくはない” 問いでもありました。
先に私は、「二つの 《 拡大主義》 」 で、この 《日本人の残虐性》 について、バーガミニが一つの解を出していることを取り上げました。すなわち、「各部隊をそうした行為に関わらせることで、もし自分たちが降伏した場合、それが次はわが身の運命となると教え込み、決して降伏しない強靭な日本軍をつくるための手段であった・・・」という彼の発見です。
それに加える彼の次の発見は、今回の訳読の初めの部分にある、 「罪意識の共有」 という国民操作です。つまり、開戦一年にしてひそかに始まった敗戦準備の中で、これまで、勝利を信じさせられ、そのための多大な犠牲を強いられた国民が、今度は、その同じ天皇の名において、いざ敗戦と告げられれば、国民の驚きと落胆と、そしてそれが反転した怒りが天皇に向けられてくる。しかるに、それを避ける前準備として、国民に、
「罪意識を共有」 させ、天皇に向かう怒りを内向させ、国民自身の内部の罪意識にさせねばならぬ、という判断です。すなわち、こういう判断に基づけば、 《日本人の残虐性》 については、そうであればあるほど効果的である、ということとなります。
私は、私自身に限らず、日本人のほぼ誰もに、この 《罪意識の共有》 は、実に効果的に樹立され、今日までもそれは、消え去ることなく生きて残っていると思っています。そういう意味で、この一連の実に狡猾かつ陰険な工作は、戦争以降の日本人の最大の隠れた
“同一性” とすらなっているのではないかと考えます。
それは喩え話で言えば、魔法使いによってかけられた呪文が、それが呪文であることすら隠滅されてしまったため、その呪いから永遠に覚めることのできなくなった人たち、そんな風にも言えるのかと。
と言うのは、私は、日本人であるならば誰も、読んだり、聞いたり、学んだりして、戦争中に、肉親や、同朋や、あるるいは先の世代が行った残虐行為について、その心のどこかに、正視はできないものの、決して拭いきれない、なんとも扱い切れない後ろめたさとして――人によってはそれを抑圧したその全否定として――、それを自分の中に宿し続けているものと思っています。この、深層心理化した、誰もが触れようとしない、それこそ、日本人同士ならば誰しも読まなければならない “空気” こそ、こうして形成された、《罪意識の共有》 の産物なのではないかと思うのです。
たとえば、中国からの、あるいは韓国からの、日本へ向けられた批判や攻撃に対し、日本人が、実にかたくなに反目し、理性を越えるまでもの反発を抑えきれないのも、このようにして形成された、この重苦しい共有意識のもたらす、まるで条件反射のような、心的メカニズムの現れではないかと思えるのです。
そういう意味では、日本人は、こうして植え付けられた 《人為的トラウマ》 を、あたかも自分たちの国民性のごとくに引き受け、それを担って、戦争以降これまでを生きてきているのではないでしょうか。まさに、 《自縛》 として。
ところで、バーガミニの論述の今回のこの部分は、ある明快な歴史的証拠を示して立証しているというより、これまでに集積してきた詳細な個々の断片の証拠を総合した、総括としての
“発見” になるものです。そういう意味では、形式的には “解釈” と言えるものですが、私は、この 「解釈」 こそが、彼の仕事の骨髄であり、そもそも、敗戦に向かって徹底的な証拠隠滅が計られた存在しない戦争資料を相手に、まさしく、こういう
“解釈” 作業なくしては、その実相は決して浮かび上がってこない性格のものです。
上にあげた喩え話で言えば、その呪文の解き方は、そういう方法をもってしてのみ、発見できるものでありましょう。いうなれば、日本人は、それがたとえ推量であろうとも、なんとかその呪文を探り当て、その縛りを解かねばなりません。
著述はいま1943年前半の段階です。すなわち、敗戦まで、これからまだ2年以上もあるわけです。
今後、バーガミニによって述べられてゆくと思いますが、そのように戦争はあえて長期化され、国民の誰もが、もうたくさん、何がなんでも終わってほしい、と思い込むまで、続けられてゆくこととなります。
では、「崩壊する帝国」(その3)、へご案内いたします。
(2013年6月5日)
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