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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第95回)


究極の使い捨て道具


 今回より、最後の第29章――エピローグの 「新たな衣服」 を除いて――に入ります。そのタイトルも 「本土陥落」 です。この15年間の戦争の時代を、単に、「明・暗」 として二分するなら、いよいよ、これから、その最暗部に入ってゆくこととなります。
 著者のバーガミニは、この章の冒頭に、 「削がれる国土」 と題したセクションで、彼の推論した、戦争終結へむけた天皇裕仁の思考と判断を再現しています。
 むろん、これは彼の見解で、それが実際に天皇裕仁のものであったかどうか、こと思考内容についてですから、本人自身の正直な独白記録でも公開されない限り、証明のしようのないものです。そうではありますが、これまでの記述の積み重ねのその頂点に立って、これくらいのことは考えられていたはずだという、まさに、著作行為であるからこそ可能な裕仁像の再現です。しかも、現在においては、それは軍部によるしわざであったと、完全に歴史から消去されてしまっている部分です。
 そこでですが、このセクションの記述のなかで、以下のような表現があります。

 言うまでもなく、これは軍人について語った部分です。私は、この一連の訳読をして来ながら、軍人とはなんとも切ない職業であるな、と思わされてきました。徹底して自分を国家の道具となることを極めた存在、それが軍人です。そして日本の場合、その最高司令官である天皇を頂いた組織や思想ごと崩壊したばかりでなく、失政を含むあらゆる災厄の責任までもとらされて葬られたわけです。いうなれば、究極の使い捨て道具とされたわけです。そうです、忠誠とは、かくも切ないものなのです。
 そういう意味では、その象徴的典型であった東条英機の、その残された家族は、さぞかしやり場のない、深い理不尽な思い――あるいは膨大な合理化――を噛み締めたのではないかと想像します。
 私事ですが、私の父方は、大祖父は武士階級で、祖父はプロの軍人、父も若い時は陸士入学を志したといった血筋です。幸いと言いましょうか、敗戦によって日本の軍部は消滅し、我が家のこうした伝統も消え去りました。ですから、時代が時代なら、私も軍人となった可能性はおおいにあります。自分でも、軍人に向いている部分があるようにも思う時もあります。これも、戦後に生まれてよかったと、感慨深く思わされる点です。


 それででは、「本土陥落」(その1)、へご案内いたします。

 (2013年7月19日)

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