ダーウィン
カナナラ
オーストラリアで、いま、一番活気にあふれている町といえば、それはダーウィンです。町は建設ブームでわきかえり、ビルの工事現場が目に付きます。不動産の値上りも、めざましいものがあります。
この活気の引き金となったのが、今年2月に開通した、アデレードとダーウィン間、3000キロを結ぶ鉄道です。
戦前にアデレードとアリススプリングス間には鉄道が敷かれていましたが、その北、アリススプリングスとダーウィン間(上の地図の赤点線部分)が、幾度も計画にはのぼるものの、なかなか着工にまでいたりませんでした。
ところが、ダーウィンは、いわばオーストラリアのアジアに向けた玄関口。近年のアジア経済の急激な発展とともに、増加し続けるアジア・豪州間の運輸量をさばくため、高くて時間のかかる内航運輸を鉄道輸送に切り替えようとする機運がもりあがり、政府、民間共同出資の計画が立ち上がったのでした。
また、この開通を記念して、乗客用列車「ザ・ガーン号」【写真下】も運行を開始、週一便ながら、アデレードとダーウィン間を二晩三日、47時間を要して走ります。(ザ・ガーン号の詳しい案内は www.australia-train.com/gsr/gh.html へ)
ダーウィンと日本は、実は、苦い歴史を思い起こさせる関係があります。太平洋戦争初期、真珠湾攻撃からまだ間もない1942年2月19日、日本軍はダーウィンを激しく空襲、町を壊滅的に破壊しました。いまでも町の中心には記念碑が建てられ、
BombingRoad (爆撃道路) という名すら残されています。(ダーウィン空襲の詳細については、「ダーウィン爆撃から60年」を参照。)
(2004.8.11)
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