地球をタテに旅すること
地球をたてに移動することの利点は、なんといっても時差に悩まされることがないこと。体の無理のきかなくなったご同輩、この地理的現実の効果は、想像以上に大きいものがありますぞ。(詳細記事)
メルボルンから西に約100キロあたりから始まる海岸線ドライブコース、グレートオーシャンロード。そこからさらに西に150キロほど走ったところに、「12人の使徒」とよばれる奇岩群の海岸線に到達します。(詳細記事)
「12人の使徒」
「旅の達人」竹内テリーの旅行講座
タスマニア州 クレイドル山
山好きな人にとって、オーストラリア本土はちょっと平ったすぎて物足りないところがあります。そうしたお方におすすめなのが、タスマニア。オーストラリア大陸の東南下に位置する逆三角形の島です。(詳細記事)
《おすすめの旅先》
タスマニア西岸の町 ストローン
タスマニア西岸第一のスポット、ストローン(Strahan)。かつては、鉱山や森林資源の積み出し港としてにぎわったこの町も、いまは北欧の港町の雰囲気を漂わせる落ち着いた観光町となっています。フランクリン・ゴードン天然河川国立公園の入り口でもあり、森林ツアーの基地ともなっています。(詳細記事)
● 旅行・地理 |
4月8日から10月11日まで、浜松市で、浜名湖花博(しずおか国際園芸博覧会)が開かれています。この花博の「目玉展示」が、オーストラリアからやってきた、世界最古の木であることは、ご存知でしたか?(詳細記事)
キンバリー
オーストラリアの中で、もっとも人里離れた地域、キンバリー(Kimberley)。オーストラリア大陸の北西角、西オーストラリア州の北端に位置します。その西の玄関ブルームは、首都キャンベラから直線距離で3500キロ。西オーストラリア州首都パースからでも1700キロという遠さです。3500キロといえば、東京とベトナムの首都ハノイ間ほどの距離。キンバリーがいかに遠隔の地かがわかります。(詳細記事)
前回の記事に書きましたように、ブルーム (Broome) は、キンバリー地域への西の玄関です。人口は1万3千ほどの小さな町ですが、歴史ある真珠産業と近年は観光のまちとして知られています。(詳細記事)
ブルーム
ダーウィン
オーストラリアで、いま、一番活気にあふれている町といえば、それはダーウィンです。町は建設ブームでわきかえり、ビルの工事現場が目に付きます。不動産の値上りも、めざましいものがあります。この活気の引き金となったのが、今年2月に開通した、アデレードとダーウィン間、3000キロを結ぶ鉄道です。(詳細記事)
ダーウィン(その2)
前回に続いて、今回も、活気にあふれるダーウィンについてです。アデレードとダーウィンを結ぶ列車、ザ・ガーン号については、前号でも触れましたが、現在の週一回の運行が、その人気の高さにより、来年には、週二回の運行に増強されそうです。(詳細記事)
カカドゥー国立公園
カカドゥー国立公園は、北部準州の首都、ダーウィンの南東およそ200kmを中心とする実に広大な氾濫原野やその辺縁区域からなり、その面積は約2万平方キロメートル(ほぼ四国に相当)におよび、日本最大の湿原、釧路湿原国立公園と比べてみても、その10倍強の広さです。(詳細記事)
場所によっては三年連続の干ばつのため、オーストラリアの農業は危機的な状況におちいりつつあります。下図が示すように、記録的な干ばつの影響をこうむっている地域は、オーストラリア全土の半分を優に越え、救援を求める農業経営者の割合は44パーセントにものぼっています。(詳細記事)
このサイトの「おすすめの旅先」でも紹介した「12人の使徒」(ビクトリア州沿岸の名所のひとつ)のうちの「一人」が、この7月3日の日曜日の朝9時20分頃、突然に崩壊して、右の上下の写真のように、波間に消え去ってしまいました。
外務省 によると、2004年10月1日時点で、オーストラリア在留日本人の数は49,029人で、一年間に5.1パーセント増加し、国別ランキングでは、米、中、ブラジルについで4位です。世界の在留邦人は合計で961,307人(同5.5%増)で、2005年中には100万人の大台に乗るものと予想されています。
オーストラリア在留邦人数4.9万人、ランキング4位
オーストラリアへの旅行者は、今年中ごろよりマイナス成長を続けており、その減少率の低下はみられるものの、今後の見通しはかんばしくありません。今年9ヶ月間(1〜9月)の統計で、日本からの旅行者は、4.7パーセント減となっています。
オーストラリアへの旅行者、減少傾向
シドニーっ子には日々の生活の手足として欠かせないハーバーブリッジが、この3月19日で、満75歳を迎えます。毎年大晦日には、その身体を花火で飾り、シドニー市民が新年を迎える恒例行事としても親しまれているハーバーブリッジが、あと一ヵ月半で、75歳という高齢を迎えるとは、ちょっと驚かされます。(詳細記事)
カウラの悲劇
下の写真をご覧ください。墓標にある没年月日がどれも、1944年8月5日となっています。終戦まであと一年と十日のこの日、オーストラリアNSW州の内陸、シドニーより西へ約250キロのカウラ (Cowra) にあった戦争捕虜収容所で、日本人捕虜数百人が集団脱走をはかり、そのうちの170名が自決しました。この墓標は、その死亡者たちのうちのお二人のものです。(詳細記事)
「旅の達人」竹内テリーの旅行講座
その2(2010年2月1日)
◆◆◆3年前の記事を改定した最新情報の連載です◆◆◆
2008年豪日最新航空情報(No.2)
直行便料金の比較 (詳細記事)
2008年豪日最新航空情報(No.1)
ディスカウント航空券時代 (詳細記事)