オーストラリアの投票率は「100%」
今、オーストラリアでは、今年末とも予想されている連邦総選挙をひかえ、選挙談義が日増しに盛んとなっています。与党の自由・国民連合が四期連続の勝利をえるのか、あるいは、労働党が政権奪還に成功するのか、ことに一月末に開かれた労働党大会で、新しい指導者となったマーク・レイサム氏がデビューし、新生労働党の動向が焦点となっています。
労働党新指導者、マーク・レイサム氏(42才)を「次期首相か?」と報道する地元大衆紙
こうした政治の表舞台をめぐる報道とは裏腹に、オーストラリアの選挙制度では、投票が強制(投票に行かないと罰金が科せられる)となっており、事実上100パーセントの投票率を維持していることは意外と知られていません。
専門家にたずねてみると、この罰金が科されることは実際には少ないようです。というのは、投票に行かなかった人には、後日、選挙管理委から審問の手紙が送られてくるのですが、それに容認される理由を書いて返送すれば、それで許されるからだそうです(「忘れてました」では罰金!)。
ともあれ、病気や負傷(という理由)で投票に行けなかった人や、移転などのため選挙人登録が済んでいなかった場合などを除き、96〜97パーセントの有権者が投票をするそうです。また、不在者投票も広く行われています。
このように、ほぼ全員の有権者が実際に投票をするオーストラリアの選挙。その結果は、数パーセントのいわゆる浮動票が選挙結果を左右するといってもよく、日本とはちがって、選挙予測がみごとに外れて想定外の政権交代がおこるといった興味深い結末ともなるのです。もちろん、それで国が滅びるといった事態にも至っていません。
つまり、これほど政治家に厳しい制度もないと言えるでしょうし、投票する国民の側も、自分の投票が結果にもつぶさに反映されることが多いので、より強い関心を呼び起こします。ちなみに、オーストラリアの投票権は18歳から発生します。
こうした制度の是非について、当然に議論はあります。その代表的なものは、強制投票は愚民政治におちいるというもので、米国や日本のような(もののわかった人々による)自由投票制を主張します。
しかしそれとてもあまり盛んとは言えず、この制度が社会に広く受け入れられているように見受けられます。選挙民を愚民よばわりしなければならない議論は、まかり間違えれば、選挙民の反発をかって、政治家には自殺行為にもなりかねません。
また、オーストラリアでは、プリファレンス制(投票の際一人を選ぶのではなく、立候補者の全員に順番をつける)というユニークな方式も採用されており、あわせてオーストラリアの選挙制度の特徴をなす二本柱となっています。
こうした投票制度により、いつもは個人主義に徹している国民も、いざ選挙となれば、文字通り社会全体で国や政治を考える機会が(制度的な強制ながら)提供されることとなり、各々の考えを一票に託す行動を定着させてきているとも言えます。
これは私見ですが、「強制」という聞こえの悪さとは別に、実際の効果として、政治家を緊張させ、有権者の<全員>に自身の意見を問う習慣を根づかせてきたこの制度は、オーストラリア社会の伝統である、イガリタ二ズム(平等主義)とフェアー精神をつちかう、制度的いしずえになっていると思います。
(2004.2.12)
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