すでに既報のように、2007年11月24日のオーストラリアの総選挙において、野党労働党は地すべり的勝利を獲得してほぼ12年振りに政権を奪還、他方、ハワード政権は、接戦ながら首相自らが落選
(現在も開票集計中で最終公式結果は未定) という恥辱的結果も伴って、事前の予想を越える大敗となりました。
11年8ヶ月と、オーストラリアの史上二番目の長期政権をほこり、しかも、その間、経済はかげりのない成長を持続させたという輝かしい実績を樹立しながらも、オーストラリア保守政党史上はじめての大敗北をきっした理由は、その実績への安住に加え、前回選挙で上下両院での過半数を獲得、国会の完全支配を獲得するなかで、選挙公約にもあげていなかった労使関係制度の根本的改変を実施し、企業側の権利を大幅に広げ、労働者側の権利を極端に制約したところにあります。そのため、政府の支持率は大きく低下し、ことに昨年末に労働党がラッド党首を選んでからは、ハワード政権の慢性的な不人気が続いてきました。
選挙後の報道によれば、9月上旬のシドニーで開催されたAPECサミット会議の際、その背後で、政府の主要閣僚からハワード首相に、来る選挙をひかえ、その退陣を求める共同の見解が表されたにも拘わらず、首相はそれを断固として拒否し、今回の選挙に臨んだといいます。
その持ち前の頑固姿勢を固持し、首相に長く留まり過ぎて国民の反発を買い始めていることに、自身の党内からも懸念が明らかに表わされていたわけですが、それを聞く耳を持たず、自らの歴史に残る実績をも台無しにして、墓穴を掘ってしまったような結果でした。
今後は、新政府の閣僚構成を皮切りに、労使関係制度の再改変など、公約の実施に入ってゆくわけですが、この総選挙で同時に実施された上院の半数の改選結果を加えても、上院は労働党だけでは過半数に達しません。そのため、新法案を通すには、キャスティングボードを握る緑の党や他の小党の協力を求めて行かねばなりません。
ところで、確かに、オーストラリアの政治情勢の分析としては、上記のような諸点が、今回の選挙結果には重要なところでありました。しかし、以下は私見ですが、こうした 「地すべり的」 大敗といっても、集計上では、有権者の投票は、わずか6パーセントが、政府支持から野党支持に移っただけの結果に過ぎません。
つまり、この結果は、オーストラリアでは投票が強制で、事実上、有権者の全員が投票するために、それだけの支持の変化でも、政権の交代にまで結びつくという結果を生むわけです。これが、日本のように、有権者の4割や5割もの棄権を容認する選挙制度のもとでは、仮に、6パーセントの人々の気持ちの変化があったとしても、それが政権交代に結びつくような、直接の票数の変化に表れることはまず起こりません。
私は、オージーの政治議論好きは、こうした選挙結果の繰り返しが、有権者にとって選挙を油断のならぬものとし、一人ひとりの関心を呼び起こすことに繋がっているからがゆえとにらんでいます。「強制投票」
とか 「自由投票」 とかという、その名称だけに目を奪われていては、たとえば、今回の選挙結果の本質は判りません。
かって、機会があり、当時の日本の民主党のある議員 (その後、“暗殺”されてしまいました) に、オーストラリアの強制投票の話をしたことがありました。しかし、彼の返答は、「あのソ連では、投票が強制であった」 との返答でした。
(2007.11.30、松崎記)
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