《翻訳》 日本経済の診断: 客観的視野から
日本の概況
スパイク・ミリガン 〔主にイギリスで活躍したコメディアン、作家、俳優〕 の墓石にはこう刻まれている、「俺は病気だって言っただろう」。日本は経済音痴ではないが、その経済は、ほぼ四分の一世紀にわたって病気を患い、今なお回復の兆しはない。日本は、スパイクと同じ道をたどる運命やも知れぬ。

その国民は高齢化し、移民は受け入れず、国家負債は国内総生産の二倍超へと十倍に膨らみ、いまだに進行中だ。それは、人々の用心深さと膨大な預貯金がゆえ、円が高過ぎる状態が続き、製造業の輸出を行詰らせているからだ。

バブル経済がはじけて以来24年間、日本は断固として薬の服用を拒否してきた。バブル直後の期間は、今選挙で政権復帰した自民党によって公共投資に余念がなく、
税金が癒着慣行を通じてインフラ事業に投下され、同党に群がる支持母体の建設産業を太らせた。

こうして国の借金は膨れ上がったが、経済に安定した基盤を築くことにはならなかった。他方、 一世紀以上にわたる政府内紛争である大蔵省と日本銀行間の暗闘は、政策論争の両雄の様を成してきている

20年前でも、大蔵省(歴史的に政府を牛耳ってきた)は、経済にいっそうの流動性注入、いっそうのインフレ化、いっそうの支出増を望んでいた。だが日銀はタカ派で占められ、インフレ暴走(1930年代に経験)の恐れから、デフレの居座りに目をつぶってきた。バルブを開いて経済に資金が注ぎ込まれても、日銀が別のバルブからそれを抜き去る有様だった。

この永年の消耗戦は、阿部晋三新首相が遂に何か決定的なこと――欧州や米国の中央銀行が行うようにお金を印刷するとか、2パーセントのインフレ目標を設定するとか、(日本の製造業が歓迎する円安を誘導するとか)――をなすだろうと、欧米の期待を担って登場するまで続けられた。

すると、円は実際に、阿部の選挙中から直後にかけ、その期待から弱まりはしたが、それは、丁々発止の通貨戦争や、ましてや通貨弱化政策の結果ではなかった。

そして、いよいよの時がきた。1月23日
(ママ)、日本の 「ニューディール」 が公表された。これまでインフレ策に反対してきた日銀のタカ派は、何をすべきかを阿部より通告された。彼らはそれを引っ込めた。

彼らは、国債購入にお金を印刷するという 「打開策」 の類の提起はいわずもがな、ことさらにそうした取組みに否定的であったばかりでなく、相変わらず、日本の政治家――この一世紀、小泉純一郎を例外に、そうする腹構えがなかった――に、構造改革のカセを科してきた。

サボタージュ能力
3Tコンサルティングの信用を持つアナリストのシーン・ケアンがクレジット・スイス銀行の顧客に提供した報告に、日銀を 「使命に応えていない」 と表現している。円は即座の弱さでなく強さを見せることで、彼の正しさを証明し、その株式市場を早々とよろめかせている。

ケアンもやはり、日銀は 「阿部首相に応諾するふりをみせることで、〔使命に応えていない〕 事実を巧みに隠そうと画策した」 と述べ、内紛の生々しさを指摘している。

日銀が示したことは、今年、資産購入〔つまりお金の印刷〕に関しては変化はなく、2014年案でもその増加はわずか10兆円だ。

「この程度の増加は2012年の25兆円の増加より実際に少なく、2013年は34兆円との計画だ」 とケアンは言う。 「その程度の数字なら、阿部の特に急いだ経済変革の試みに応じた中銀の政策として、変革と言えるものではない。」

さらに、日銀が主張する構造改革――日本の硬化した規制と産業構造、そして、女性と外国人労働力の明らかな活用不足への対応とのかねてからの指摘――は、 「日銀はインフレ率を上げる重要な力だと明瞭に信ずる阿部やその重鎮と共有されたものには見えない」 とケアンは注視する。

「双方はつまり同じことを言っていながら、そう言う目的を達成する、行動可能な合意があるようには見えない。」

日本問題に間違いは許されない。日本は、世界第二の経済の地位を浪費し去ったものの、まだ、第三位である。日本はもはやオーストラリアの最大の輸出相手国ではないが、大きな輸出先であることには変わりなく、東北大震災と福島原発のメルトダウンによる原発産業の崩壊がゆえに、オーストラリアのエネルギーの購入国として再登場している。

したがって、ミクロ経済改革へのまさしく革命的経済政策と不屈の精神をもった政治が、小泉ほどではないとしても、巨大な成果をもたらしうる。しかし、日本のサボタージュ能力を過小評価してはならない。

日本経済は回復する
日本を厳しい目で長く観測してきた欧米人の一人、アンドリュー・スミサーズは、アベノミクスを、欧米の悪い助言――それでも見捨てられるべきではないが――への別の返答であると解説している。彼の最新の報告、 『日本: 円安は大いに助けとなるが、インフレと金融刺激策は逆』 において、円安は意味があるが、インフレは危険で、もしそうなったら、円安の恩恵を吹き飛ばしてしまう。金融刺激策は、このリスクを増大する。

「過去20年間、日本は巨大な財政赤字と金融刺激で経済の再興をはかってきた。だがそれは役に立たなかった。共有されている見方は、財政および金融刺激策は、規模が足らぬということだ。意味ある見方は、政策は、問題に関わるなということだ」 とスミサーズは言う。

GDPの二倍を越える政府負債をかかえ、国債市場崩壊の恐怖は、目先の恐れではないにしても、理性的なものだ。 「金融刺激策は、需要不足が危機的な場合のみ有効だが、日本の問題は構造的なのだ」 とスミサーズは指摘する。

多くが同意することだが、スミサーズはこれを日本のデフレ対策における手法的問題――むろん重要だが――として見る。つまり、バブル経済の崩壊は、企業分野にもおよんで継続しているということでありり、ミクロ経済改革の取組みはもっと広げられる必要があるとの見方もできるということだ。

スミサーズは日本については強気で、 「その経済は来年には回復する。円安は成功し、その金融とインフレの愚策が、少々長期のダメージをもたらすだろう」 と目下の結論を述べている。

しかし、阿部の本当の問題はアベノミクスにあるのではなく、本物の改革への政治的勢いが、日本人を貯蓄へとではなく消費へと導き、将来へと投資し、結婚して家庭を築き、朽ち果てるようなノスタルジア――税金を瀕死で無用な農業セクターに浪費したり、建設やひどくは原発セクターの同輩に流し込んだりして――を捨て去るようにできるかいなかにある。

ある潜在的論点をあげれば、日本では富の破壊と経済失策の規模の巨大さがありながら、欧米諸国では夢のような、単なる経済的沈滞で終わっていることがある。失業――過小統計としても――は、ゆうに10パーセントを下回っている。社会不安は存在せず、日本に高齢化はあっても、健康の結果と寿命の長さで世界を先導している。

それにこの十年で、日本は、ノーベル受賞者を11人も出しており、進行する創造性と刷新性の文化の指標ともなっている。

病気の日本
だが、もう一人の日本の長期観察者であるアダム・ポセン――ピーターセン国際経済研究所々長であり、元英国銀行の財政政策委員会委員――は、このほど、日本はまだ危機を脱してはいないが、応分のコストを払ったものだ、と述べている。

「日本が、そうした間断のない借金を顕著な危機を免れてやってこれたのには、四つの理由がある。第一に、日本の銀行は多額の国債を繰り返し買うよう強いられてきた。第二に、日本の家計は、そうした銀行の国債購入を原因とした恒常的に低い預金利率を受入れてきた。第三は、国債の外国保有の低さ(総額の8パーセント以下)と日銀が売れ残り国債を買う可能性が結合した限られた市場圧力、そして第四に、日本の総所得額を占める税と政府支出の割合の低さ」 と彼は書いている。

当然、こうした各政策はコストを伴う。 「国債購入による銀行のバランスシートの硬直化は、営業貸出を抑制している。適正な医療や災害復旧に必要な社会投資やファンドは、負債返済のために締め出しをくっているわけだ。」

先週の政府と日銀による共同声明は、市場には失望されたが、いい出し物ではあった。IMFが警告するように、「刺激先導の景気回復は短命で、負債見通しを顕著に悪化させる。」

日本問題はもう20年越しの物語だ。しかし、その核心は、それが日本の問題であり、病気としか言いようのないことだ。

 (2013.1.26)
 
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