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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第3回)
今回の 「訳読」 から、いよいよ、「南京強奪」 の醜い部分へと入ってゆきます。
すなわち、いわゆる 「南京大虐殺」 のその場面の記述に入って行くわけで、正直言って、訳読するだけでも、苦痛を伴わないでは終わらない作業です。時には、気が重く、放っておきたい気分にもなります。
日本人にとっても、中国人にとっても、極めて重大な歴史的問題であるこの 「南京事件」 (ここではまず、ニュートラルにそう呼びます) について、その 「事件」 そのものの記述でありますので、訳読といっても、そうは容易には通って行けない部分です。
本論に入って行く前に、少々、私の体験談を。
実は私、1999年5月、この南京を訪れたことがあります。
9日間をかけ、上海から、黄山、九華山をへて、南京に立ち寄り、再び上海に戻って帰路に着いた時のことです。
その南京で一泊し、その短い滞在の間、あえて選択して、虐殺記念館 (正式には 「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」 ) を訪れました。
写真のように、同記念館は、その正面壁に、館の名称の代わりに、「300000」 の数字が大きく描かれた、ちょっと独特のデザインが施され、市の南西のはずれに位置していました。長江(揚子江)の川岸に近い、昔なら相当さみしそうなところです。多くの死体が発掘されたその場所の上に建てられたとの説明がありました
(翻訳を読んでいただくと判るように、そこがなぜその場所であったのかと符合します)。そして、実際に、骨が半分埋まった、発掘現場そのものが展示場として組み込まれていました。
入り口には、同館を訪れた日本人の記帳や記名リボンがあり、修学旅行らしい学校名も見られる中、首相村山富市の名もありました。
当初、私は、その館の性格柄、あまり込んではいないのではないかと予想していました。ところが、いざ出かけてみるとそうではなく、たくさんの入場者が見られ、ことに、土曜の午後だったせいか、若い人たちのカップルが目につき、一種のデートの場となっているような雰囲気さえありました。
ともあれ、私にとって、物見遊山な気分では決して行けない、しんどい場所でありました。
今から69年前、私の生まれる9年前の、1937年12月9日、その南京への総攻撃が始まります。
著者バーガミニの描写は、その惨劇を一日ごとに詳細に追ってゆきますが、それでも彼は、それは要約だと言いたげです。その描写と、私が7年前に接したその街の風景との、はるかに隔たった時間的距離を埋めようと、些細な符合を探るように、同じ場所でおこったことに想像力を集中しながらの訳読です。
そこで私の関心が強く引き付けられるのは、南京攻落の作戦が、あたかも、二系統の命令下で実行されたかのような著者の記述です。中支那方面軍司令官の松井大将の発する命令に対し、前線の指揮官に向けて、あたかも横から差し入れられたかのような別の命令です。
明らかに、松井大将の命令は、南京の陥落後におこる可能性のある兵士の軍紀の乱れを予想した先手を打ったものでした。それに対し、この松井命令を無視した無軌道な命令が前線で実行されます。
想像するに、この松井命令が遵守されていたら、おそらく、後に「南京大虐殺」と呼ばれるようになる惨事は生じなかったと思われます。
ことに、大量の捕虜の扱いについて、著者は、「全員を殺せ」 との極秘命令が、その非松井系の命令として出されていたと書いています。著者によれば、その命令の主は、この総攻撃の7日前に昭和天皇によって前線司令官に任命された朝香宮です。
前回に書いたように、私は、この訳読を進めるにあたり、自分の認識の不足を補うため、できるだけたくさんの資料に目を通すよう努力しています。その中で接した今日の「南京事件」の諸研究においても、この二重の命令系統の存在は注目されており、それがなぜ生じたのか、いろいろな解釈がされています。ただ、バーガミニが書くように、それが朝香宮と断言しているものは、私の知る限り、彼以外にありません。
そうした事実関係についての最終判断は、翻訳に目をとおし、読者自身で行っていただくとして、それにつけても、司馬遼太郎が指摘し、私が幾度もとりあげている、「鬼胎」 (あるいは 「奇胎」 ) の存在が、またしても、日本の昭和史の重要な場に登場しており、それが今度は、日本軍組織の中と、より絞り込んで認められるわけです。
私は、この第二の非松井系の命令系統を、まだ訳読の始まったばかりの今の段階では、それが何かとは断定はせず、とりあえず、 《ルートX》 としておきます。
改めて指摘するまでもなく、「南京事件」の発生や、「鬼胎」のうごめきは、この 《ルートX》 と密接に絡んでいることは確かで、したがって、繰り返しますが、もしそれがなかったとしたら、日本の昭和史の様相は、根本的な違いをなしていたと想像されます。
以上、日本軍に関心を当ててきましたが、以下は、日本から目を転じて、アメリカに関してです。
それは、この訳読をしていて発見したことなのですが、今回の翻訳部分の 「パナイ号事件」 のくだりをご覧ください。アメリカの第一次世界大戦への参加を決定付けた 「ルシタニア号」 沈没事件の記述があります。すなわち、しぶるアメリカ国民をヨーロッパ戦線へ駆り出すために、1915年5月のこの沈没が、ドイツ海軍潜水艦による、国際法を無視した一般商船への攻撃により、多くの米国人が残酷にも犠牲となったと宣伝することで、アメリカ国民の怒りに火を付ける役目を担わされた事件です。
ところが、調べて見ると、この商船は、外見はそうであったようです (軍艦に改造する計画もあったようです) が、その時の航海には、173トンの弾薬を積んでおり (海事保険契約書で確認されている)、それをヨーロッパへ運ぼうとしていました。つまり、国際法上、攻撃をうけてもやむをえない航海であったわけです。
そうした積荷のため、ドイツ潜水艦の魚雷を受けた後、続いて大爆発を起こし、船は沈みます。
アメリカ政府は、この二度目の爆発の真相を隠し、船の燃料である石炭の粉炭による爆発とごまかし、上記のようなストーリーを作り上げました。
著者のバーガミニは、揚子江でおきたパナイ号の沈没が、同じような政治的手段として利用されたと分析し、1915年におきたこの 「ルシタニア号事件」 との類似性を指摘しています。
私はさらに、この二つの事件の類似性ばかりでなく、これから生じる、真珠湾攻撃とも、あるいは、最近2001年の9.11テロのそれぞれの役目とも、いずれも酷似していることに注目します。
確かに、世界をリードする民主主義国家であるアメリカが、やっぱり戦争はいやだと参戦を渋る国民を奮起させるために、国民が民主的にそうした方向に向かう結果となる、何らかの契機や働きかけが必要でしょう。それを、自然な出来事に期待するのか、それとも、それにふさわしい出来事を意図的に起こすのか、その違いは大差ないとするどころか、後者が頻繁に使われているようであることが、どうやら、政治の世界の常識的奥義のようです。
当時、民主主義国とは到底言えない日本が、そうしたアメリカの “宿命” にまで理解がおよんでいなかったのは当然かもしれません。しかし、そうした限界の範囲内であったとしても、何を目的として、そこまでもの非情な手段をも用いて戦争拡大に突き進んで行く必要があったのか。
今回の翻訳の範囲内では充分に説明されていませんが、松井岩根は、孫文の 「大アジア主義」 の構想 (孫文は,、「中国なくして日本なし、日本なくして中国なし」
と提唱した) に共鳴し、彼亡き後も、その弟子、蒋介石を援け、また、中国各地の軍閥首領とも、実際に出かけていって掛け合い、その実現のための基盤作りをしていました。(そうした実績があったからこそ、昭和天皇は、退役中の彼を呼び出し、勅令で彼を中支那方面軍司令官に任命したのでしょう。)
これは私の勝手な想像ですが、松井岩根と孫文が友誼とともに描いた日中協力の構想が、もし実を結んでいたとするならば、今日のアジアの姿、ひいては世界の姿はどうなっていたのであろうかと、オーバーヒートしそうな空想を廻らしてしまいます。
言い換えると、そうした 「協力」 の “ふり” をした、あるいは、その実現に心魂をなげうつ人々を “利用” すらした、 《奇怪な意思》 がそこに働いていたと見るしかありません。
そうした視界から見ると、日本と中国との間には、その 《意思》 の結果による、無残かつ悲惨なボタンの掛け違いが発生してしまっており、他方、それをはめ直す可能性が確かに存在していると思えます。もちろん、《ルートX》 の解明とも合わせて。
言うまでもなく、私は、現在の日本と中国をひとつの国にしてしまえといった “まぼろし” を描いているのではありません。すでに、ヨーロッパ共同体をひとつのモデルとした
「アジア共同体」 の構想も提示されている今日、そうした実際的で成熟した近隣関係を念頭に置きつつ、他方、日本国内で生じている逆方向の “まぼろし”
に強い懸念を感じ、かっての 「日中協力の構想」 に、むしろ、いっそうの現実味を見出しています。
なお、今回から、翻訳に「巻末脚注」を加えました。この脚注は、主に記述情報の出所を表したもので、それに関連し、「参考文献」も、あわせて加えてあります。この二つの資料部分は、著者バーガミニの稀有な主張の根拠となっているもので、ないがしろにはできない部分です。読み手にとって(訳読者にとっても)煩雑な箇所ですが、その重要性から、忠実に訳出しました。また、こうした脚注から、英訳される前の、もとの日本語表現が確認された部分もあります。
また、これらの資料部分は、今後、「訳読」 の進行とともに、それに対応する部分が追加されてゆきます。
こうした一連の加筆により、前回までに訳出した部分にも相当な修正が加えてあります。そこで、お時間のおありの方は、再度、お目を通されるようお薦めいたします。いかに著者が資料に忠実であるかが確認できるかと思います。(ただ、いくつかの箇所で、著者の脚注が過疎なところが発見できます。これについては、また改めて議論したいと思います。)
(松崎 元、2006年8月15日)
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