“共存”社会ではなく“相互影響”社会に

2001年の9・11テロ後、とげとげしく、狂気沙汰とも映る風潮が全世界をおおっている中で、異文化とどのように接するのかという古くて新しい課題に、オーストラリアならではの見解を表したコラム記事がありました。オーストラリアの国是であり、また、とかく日本人が無頓着になりがちな「多文化主義 (Multiculturalism)」について、その理解のためにも有益と思われますので、翻訳して、以下に掲載いたします。



           "We need interaction, not just coexistence"
        by Ghassan Hage, The Australian Financial Review, 22 July 2005.

【著者の Ghassan Hage (ガッサン・ハージ) は、シドニー大学人類学部準教授。Against Paranoid Nationalism、White Nation (邦訳『ホワイト・ネイション − ネオ・ナショナリズム批判』、2003年、平凡社)など著書多数。1976年、20歳の時、レバノンより移民。当翻訳は松崎。訳注、小見出し、強調、写真は訳者による。】

今こそ、「多文化主義」をいっそう進める時

ロンドンの自爆テロが、英国の「多文化地区」に住む自国民による行為であったことが報道されてから、多文化主義を批判する人々が、再びその論調を先鋭化させている。確かに、英国人は、他の文化を受け入れてきたにしては、不用意でありすぎたところがある。

言わば当然だが、多文化主義をいわゆる「ゲットー (1)」の再来へと変質させる、それなりの理由はある。ロンドンのテロの犯人が、英国社会に背をむけた孤立したものであった(妻や母親すらも彼らの計画に気付いていなかった)ことを軽視するのもそのひとつである。また、文化というものが相互に影響しあう関係のなかで育まれてきたという歴史があるにもかかわらず、民族差別政策や異文化への強制同化政策が用いられてきたということを忘れてしまうのも、そのひとつである。その結果、そうした差別や同化による苦痛から逃れ、独自の文化を実践する場所として、ゲットーが生まれてきたのである。
【訳注】 (1) 本来の意味はユダヤ人居住区。今日では、都市の一角の特定人種・民族の居住地区。

かくして、多文化主義が批判にさらされ、同化が公然と主張されるようになっている。だがそれは、あるべきではない条件をつくりだす、後ろ向きの議論である。ことに、ネオリベラルな論理というものは、この種の自己中心的主張に恰好である。文明の衝突という考えが提唱された時、大半の人が、それは飛躍した見解と考えたものだ。しかし、いまや、十字軍とイスラム世界との衝突というこうした考えを主張するアメリカ人により、それを飛躍と考える人は少なくなってきている。

私たちはすでに、米英軍がイラクに侵略する前、サダム・フセインがアルカイダとはなんの関係もなかったことを知っている。しかし、新保守派(ネオコン)は、自信ありげに、イラクが反テロ戦争における中心地であるかのごとく論陣をはり、そればかりか、それを繰り返し実行に移そうとしている。権力さえ得れば、理屈はなんとでもつくものである。それゆえに、私たちは、多文化主義が破壊的であるというネオコン理論を唾棄するばかりでなく、それに反論する必要がある。

多文化主義は、どこでもあまなく見られるものではない。それの見られるのはいわば争いの場においてであり、勝者には、多文化主義を、自分達の思いのままにすることができる。つまり、ゲットーを作り出したりテロを助長する後ろ向きの政策とすることも可能だし、あるいは、社会を構成するさまざまな文化があるからこそ多文化主義をかかげるという、理念をもった社会とすることも可能である。

私は、そういう今こそ、多文化主義の考えを見直すことよりも、いっそうの熱意をもって、それをさらに追求することが必要な時であると思う。我々オーストラリア人は、こうした論争でことに重要な役割を負っている。というのは、オーストラリアの多文化主義は、世界的に言って、もっとも入り組み、進歩したものであるからである。

多文化主義契約

我々オーストラリア人は、「多文化主義契約」という言葉こそ用いてはいないが、歴史的に、そうした契約に相当するものをつくり上げてきた。我々のその多文化主義契約は複合的なもので、国と国民との間の合意関係に基づいている。

この契約上の義務を現実面で執行するにあたっては、両関係者は、容易でない課題をかかえることとなる。私は、多文化主義に問題ありと論ずる人たちの最前線に立ってきているのだが、先住者と新参者間の関係に関する限り、この考えが最良のものと思う。

それはまず第一に、オーストラリアの多文化主義契約は、文化的な約束事である。その約束に立ち、国は国民に、その文化的同一性の存在を認め、準国民的、あるいは超国民的な同一性をもつことを許す。つまり、あなたがインド人あるいはアイルランド人であったとすると、もしあなたがそれを望むなら、準国民としてのインド系オーストラリア人の共同体、あるいは、アイルランド系オーストラリア人の共同体に属すことを認める。

また、もしあなたがそれを望むならば、あなたが、世界に分散したインド系、あるいは、アイルランド系超国民的ダイアスポラ (2) の一部であることを認める。しかし、あなたはその代わりに、オーストラリアへの献身と愛着を示さなければならない。これが、文化的契約の骨子である。
【訳注】 (2) 母国に住まない世界に四散した民族。典型例は、ユダヤ人や華僑など。

先に述べたように、こうした合意は、公的あるいは制度的に制定されているものではないが、献身の代わりに承認を与えるという考えは、オーストラリアの多文化主義の根幹に置かれてきたのもである。

      多文化社会の一例
(オーストラリアの地方自治体が発行した幼児の安全についてのパンフレット。上から、ベトナム語、アラビア語、中国語、英語、韓国語と五ヶ国語で印刷されている)
第二に、オーストラリアの多文化主義に独自性を与えてきたものとして、移民の文化的少数派としての地位は、時として、社会的かつ経済的な弱者化に結びつくという考えの承認がある。

これは、国が、文化的承認を与えるばかりでなく、社会的、政治的、経済的弱者化から人々を救い出す特定の文化的諸制度をもつということでもある。つまり、社会的、経済的、文化的諸政策の結合である。

ということは、国は、平等性の確保という点で、文化的障壁をなくすよう、社会経済的な介入をおこなう。そして、そうすることにより、その代わりに、国は、社会的、文化的、政治的な参加を求めるのである。

すなわち、まず最初の次元として、「国はあなたに文化的承認を与えてあなたの献身を求め」、次の次元で、「国はあなたに社会的、文化的、経済的加入を提供し、あなたにオーストラリア社会への参加を求める」のである。

第三に、そして今日ではおそらくもっとも重要なこととして、多文化主義契約には、準国民的「民族」、もしくは独自の文化的宗教的制度を備えた共同体の存在が、国よって認められる、との概念を含んでいることがあげられる。

この承認は、その見返りとして、国が、こうした準国民的共同体を維持、統治する権利を、共有の国家制度の内部にもつことを前提とする。

これは、文化の承認という第一の次元(すなわち、国と、特定の準あるいは超国民的に特異とされる個人との間の契約)とは異なるものである。

こうして、特異な移民少数文化と承認されることにもとづき、参加しようと思えば誰もが参加できる準国民的共同体の形成を合法化し、かつオーストラリア国土内でそうした共同体間の相互関係を統治する権限を、オーストラリア国民は国に与える。これが、オーストラリア多文化主義のもつ意味である。

ただ、付け加えておかねばならないことがある。それは、たとえばあなたがクロアチアン出身だった場合、クロアチアン共同体に属さなくてはならないということを意味しない。移民してきた人々には、自分がその出身の共同体の一部とは感じない人がたくさんいる。国はそうした人に、出身共同体に属するよう強制はせず、また、だれもそれを強制すべきではない。

このようにして、出身共同体の一部と感じる人々がいることを国は認め、それがゆえに、一方で、準国民共同体の形成を認め、他方で、そうした準国民共同体間の相互影響作用を統治するのである。

相互影響作用とは

ここで言う、《相互影響作用》という概念は、《共存》という概念とは対極をなすものである。オーストラリアの多文化主義は、つねに、この文化的相互影響作用の考えとともに発達してきた。だが、今日、こうした相互影響作用の促進が充分ではなくなってきている。

つまり、今日、文化的相互影響作用という言葉に対抗する、文化的共存という言葉を耳にすることが世界的に多くなっている。

オーストラリアにとって、これは後退を意味する。共存とは、ある文化が他の文化と併置してあることである。文化Aがここに、文化Bがそちらに存在し、文化Aの人々は文化Bの人々を尊重し、また逆に、BはAを尊重する。彼らは互いに尊重はしあうが、必ずしも、互いに影響を与え合うことをしない。

共存が意味することは、こういうことだ。「私は、あなたが好むいかなる髭剃りクリームでも使う権利があなたにあることを尊重する。しかし、私はその匂いをかがされたくはない。」

この他文化を「尊重する」という考えや、自分達にも学ぶべき「シェークスピア」があるというアイデアは、米国の大学における多文化主義の議論にたびたび登場する。すなわち、ヨーロッパ中心主義に対する反発としてよく見られる。

共存思想にもとずく尊重には、極めて限界がある。我々は他文化へ尊重を表す。だが、その後には何が生ずるのか。何もない。文化はただの平行線と化し、隣同士にありながら、互いに交わったりはしない。そうした状態の他文化の尊重とは、他文化の人々と相互影響作用を持たないがゆえに、なにもわずらう必要もなく、安易なことである。

相互影響作用をもつ多文化主義は別次元のものである。もし、他者と共存関係にある時、尊重や承認はたやすいことである。だが、相互影響はつねに難儀な作業をともなう。

私たちが、異なった文化をもつ人々と相互影響作用をもとうとすると、たとえば、相手を理解しようとすること、相手に自分達を解ってもらおうとすること、相手の行動を解釈すること、そして、自分達の行動を誤解されないようにすること等々、こうしたことで疲労困憊するはずだ。

その結果、誤解も生じようが、理解も増す。そして重要なことは、親密さが増すということだ。尊重しようが卑下しようが、抽象的でなくなることだ。そして相手が、自分が好んだり嫌ったりするところをもった、複雑な人間になってくることだ。

私たちがもっとも大切だと思う人とは誰なのか。それは我々の家族なのか、それとも我々が常日ごろから相互影響しあっている人たちなのか。私たちは、そのいずれをもこよなく愛し、そして、いずれをも、他のだれよりも厄介に思う。さらには、相手からそう告げられても、びっくりすらもしない。というのは、そうされても、我々は、いずれをも、愛し、尊重することを止めはしないからだ。

これが、親密な相互影響関係ということが意味することである。尊重という言葉をつかう人々は、親密な相互関係を経験したことがない。また、親密な相互関係を本当に経験している人々は、尊重という言葉を使わない。

もし、私の隣人がアラブ人かベトナム人で、彼らと親しくなり始めていたなら、そのうち、彼らは私にとって頭痛の種となるかもしれない。ある日は「尊重」し、別の日には嫌っている。これが相互影響の普通の場面でおこることだ。尊重という言葉は、むしろ、人々をそうした入り組んだリアリティーに招き入れることより、人々をはねのける盾として働く。

私は、他の文化を強く好むことも強く嫌うことも共通なことだ、と常々より学生に教えてきた。いずれも、対象としている文化を持つ人々とは、充分には交わっていない。

ならば、「モスレム文化を尊重しよう」といった常套文句が意味することは何であるのか。それは私にとっては、一種の相互影響無き関係への導入と映る。また、たとえそうでないとしても、それは少なくとも、相互影響関係への遠慮である。つまり、あたかも永遠に見知らぬ人と定められた人と接するように、私は「モスレムを尊重し、丁寧に接する」ということだ。

私は、いわゆる「政治的正しさ (3)」というものは、大いに、こうした共存の多文化主義による産物であると思う。相互影響の多文化主義は、尊重という決まり文句で表現するには、あまりに生々しく、かつ、奥深いものだ。
これこそ、相互影響の多文化主義が、オーストラリアの多文化主義の真髄として、持ち続けられなければならない理由なのである。
【訳注】 (3) 政治理念としては正しいが現実政策上では正しくないとの含意をもつ用語。当サイトの「文化・歴史」メニューの「オーストラリアってこんな国ですよ」の中で、「当たり前な社会」(小見出し「危機にある旧左派知性」の第一パラグラフ)を参照。

テロリズムとのたたかい方

世界はスピードをあげて、相互影響の多文化主義に対抗し、共存の多文化主義に変質しようとしている。我々オーストラリア人も、幾年にもわたって積み上げてきた血のかよった多文化主義を軽んじ、「他文化の尊重」といった常套句に大勢を譲ろうとしている。

こうした変化の主な要因は、「反テロ戦争」の開始以来、向戦社会を作り始めたことだ。向戦社会は、必ずしも戦時社会ではない。それは、恒常的な防衛の社会だ。その市民は、他人を「敵か味方か」発想で扱う兵士となるよう仕向けられる。そして、反テロリズム戦争、文化戦争、歴史観戦争といった戦争の思考法が私たちの生活を満たしはじめている。

すべての社会は、よい生活を楽しみ、そしてそれを守るよう組み立てられている。だが、我々がこのよい生活を防衛しようとする構えとなった時、往々にして、そのよさに反する行動をとってしまいがちである。つまり、私たちは、民主主義を守ろうとして、非民主主義的な行動をとってしまう。自らのよさを守るために、時に盲目になってしまうというのは、日々ありふれた事柄でもある。

よき社会をつくる要素とは、こうした行動をバランスさせるにはどうすればよいかを知ることである。だからこそ、テロ事件がおこった時、私たちは、テロとの闘いと同時に、私たちの生活を維持することも望んだのである。つまり、私たちは、自分達の民主主義を守るために、専制主義者は不必要なのだ。全面的な防衛体制に入り込むのは容易なことだと知っているがゆえに、私たちはそう自身に確信させようとしている。

問題は、誰もが同じ程度に、こうしたことを憂慮しないことだ。そして向戦社会の多くの人が防衛の衝動にかられ、楽しみの衝動を飲み込んでしまうことだ。人々は、精神的にも社会的にも防衛の発想に捕らわれてしまう。つまり、法によるルールを守ろうとして、法によるルールを放棄してしまう。

男性的強さと女性的強さ

ここできわめて大事な視点は、向戦社会は、心理的に言って、男性的強さを作りだすことだ。言い換えれば、男性的強さと女性的強さの違いは、こうした議論にきわめて興味深い観点を提供する。

校庭の遊び場にいる5-6歳の子供を想像してみよう。その子が転んで怪我をしたとする。その子は、ことにその学校に不慣れな場合、あまり泣いたりせず、強い子であろうとするだろう。ところが、下校間際で、お母さんが迎えにきている時だったら、大泣きが始まるにちがいない。

ここで持ち上がる議論とはこうだ。強い子供とは、どういう時に現れるのだろうか。

それは、その子が一人でいて、「強い子はここで泣いたりして弱いところを見せたりしない。怪我をしていることは誰にも知られたくない」と胸の内で考えた時だろうか。

それとも、親の面前で安全が保証されており、「もう心配ないんだから、弱い子でもいい。泣いてみよう」と考えた時だろうか。

この違いが何なのか、明らかにする必要があろう。つまり、人間の相互影響作用とは、女性的強さを必要とするのである。

すなわち、我々が他者と相互影響作用をもつ時には、基本的な安全の感覚をもつ必要があり、そして、誰かに自分を表す過程によって生じる不安を脅かされない必要がある。

相互影響の場面では、我々は胸中でこう言っている。「おいでなさい。歓迎ですよ。私はあなたと仲良くなりたいのです。ただ共存しているだけではないですよ。あなたの長所も短所も、すべてと交流したいのです。」

そうして、我々は、喜怒哀楽、好き嫌い、尊重や見下しを経験する。文化的社会的相互影響作用とは、このように、手の込んだ作業なのだ。そしてそれには、女性的強さを必要とする。

だが他方、社会が防衛的に組み上がっている場合、その市民を防衛的に振舞うようにしてしまう。そうしてこう言う。「やつらは、お前らをやっつけようと必死だ」。男性的強さは、こうした状況ではたやすく優勢となる。そして市民は自己に閉じこもり、違う文化を持つ人たちとの豊んだ相互影響を断ってしまう。

こうした場面での選択肢は、他者への尊重をもって共存するか、さもなくば、他者を嫌い、相互影響も終わらせてしまうかだ。こうした状況は、今日、モスリム文化に対して、山ほどの尊重と嫌悪、そして極めて乏しい相互影響をもって、世界中でおこっている事柄であるように、私は思う。

そのほかの共同体もモスリム文化に自らを開放することを許さないが、モスリム文化も自らの内に閉じこもっている。こうした過程をへて、我々は、オーストラリアの多文化主義の不可欠な要素である、その豊かな相互影響の多文化主義の金鉱脈を失いつつある。

我々は、彼らを恐れるまさにその過程をもって、ゲットーを再来させようとしている。

私たちの社会を支配しはじめている交戦衝動には、異議をしめす必要がある。疑いなく深刻な脅威をもたらすテロリズムの時代にあっては、確かに、交戦衝動は出動されてしかるべきである。しかし、我々の交戦衝動が息つきはじめた状態から、この交戦衝動が社会の大勢をしめる状況まで、それはたやすく大化けする。

そうであるがゆえに、私は、その交戦衝動を保持する重要性と正当性を認識しつつ、同時に、そうした交戦衝動の大勢化に抗うことが、世界のどこにおいても、良識ある人々にとっての苦難な仕事となっているように思う。

問われるべきことは、「社会の防衛」に奔走させられる人々が自由奔放な君臨者におどらされず、亜文化的逃避地やゲットー社会を、私たちに押し付けさせないことである。

(2005.7.30)
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