オーストラリア風 遊び心
オーストラリアは若い国です。連邦国家としての発足が1901年、植民地としてのスタートでも、百年少々それよりさかのぼるだけです。
ですから、オーストラリアの文化に歴史的深さを求めようとしても、むしろそれは「無い物ねだり」で、大抵は期待外れに終わらざるをえません。ただし地質学的には、オーストラリアはもっとも古い大陸のひとつです。
でもその反面、若いからこそ可能であるものがあります。いうなればそれは、白紙の地図同様の国土に、この二世紀余りの短い期間で、今日の近代的国家へと成長してきた結果です。つまり、長い歴史によってつちかわれた自生、自熟の文化ではなく、外から移植された多要素をミックスして形成されてきたごちゃ混ぜカルチャー=多元文化としての特色です。
こうしたモザイク模様状の社会では、人々の互いの理解にも限界があります。その結果、混乱を避けるルール作りは発達しますが、「あうんの呼吸」とか「和」などという、均一社会で見られるような慣習はなじみません。
こうしたオーストラリアを日本と比較して特徴付ければ、日本を「配慮」あるいは「気配り」の文化とすると、オーストラリアは「無関心」あるいは「放任」の文化と言えそうです。
オーストラリアに定住することになり、こうした社会慣習的「真空状態」にさらされるその体験は、日本人にとっては、それが対照的であるがだけに、まことに新鮮かつ刺激的なはずです。
そういうドライで粘性の低い空気、これが日本人を快活にさせないわけがありません。ことに、社会や集団への帰属意識の強い日本人が、いざその習性をふっきろうとする場合、オーストラリアのこの無頓着さは、その「転換」をおおいに後押ししてくれます。
そうしたサラサラした社会的雰囲気と、若々しくあけっぴろげな国民性、強いスポーツ志向とふんだんなその機会、そして、広大すぎるほどの大自然を加えれば、遊びの種に事欠くことはまずありえません。そしてその遊びの性格も、大胆でスケールも大きなものとなります。
【写真はニュー・サウス・ウェールズ州、ハンターバレー近郊で】
仕事でも、上司をファーストネームで呼べるオーストラリアのお国柄。そうした地位や身分にこだわらない文化が、仕事でも趣味で遊びでも、納得するまでとことん追求する姿勢を生み出しています。
「スポーツ ナショナリズム」の記事にも書きましたが、オーストラリアのスポーツの強さも、そうした自発、闊達な精神のたまもののように思えます。
伸びのびと、かたちにとらわれない・・・、それがオーストラリアの遊び心です。
(2004.3.26)
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