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 老いへの一歩》シリーズ


第2回   入力体から出力体へ      


 本シリーズ第1回では、「変調」のきざしについて述べたのですが、そうした「変調」はこんな風にもやってきていました。それは、「寿司修行中」のことでした。
 もちろん、この60の手習いは、きっと、壁の厚さゆえに早々に敗退せざるを得ない、そういう事態を覚悟して始めたことでした。それが、ともあれそれが5年も続いたのは、むしろ、以外と壁は “薄かった” 結果でもありました。
 ただ、そういう一面はありつつ、その他方でひしひしと感じさせられていた現実が、それでも存在した、いかんともし難いやはり “ぶ厚い” 壁でした。それというのは、読み取る、聞き取る、そういう、 “入力” 能力の衰えでした。
 例えば、店のオーダーは、ウェイトレスが携帯するオーダー機でインプットされ、キッチンのプリンターで印刷されて入ってくるのですが、そのプリンターの字が小さいのと、アルファベットで印字されて単語が識別しにくいこともあって、ひと目だけではなかなか完璧に読み取れないのです。だのに、それを、若い同僚たちは、ぱっとひと目でなんなくと読んでゆきます。
 あるいは、店が最多忙となりますと、もう、その印刷されたオーダーを読みにゆく時間もなく、それを読み上げる声のみを頼りに、耳でオーダーを聞き、手は手で料理をし、足ではキッチンを動き回って材料をそろえるといった、文字通りの全身のフル能力を求められることとなります。その時、やはり、耳で聞き取る能力が衰えてきていることを痛感させられるのです。つまり、ひとつことに集中していると、他がおろそかとなり、その両方をこなしてゆくことが難儀になっているのです。当然に、そうした結果、オーダーの間違えが生じたり、落としが出たり、という羽目となります。
 ただしです、そうではあるのですが、実際の日々シーンでは、次第に気心が通じ合うようになった同僚やウェイトレスたちが、私の間違いの傾向をつかんでくれるようになって、いろいろとカバーしてくれるようになったのは意外でしたし、有難いことでした。そうした結果、トータルの仕事はまずはうまく運べていたのでした。
 つまり、人間とは誰もが間違いは起こすもので、そうしたつまずきを互いに補い合って、かえってチームワークが増すというものです。むろん、歳の功はあって、別の次元のカバーはそれとなく提供していたのではありましたが。要は、一人、年齢の離れた者がいるために、ある種の思い遣りの空気が自然々々にかもし出され、人間関係を丸くさせていた効果は確かにありました。
 ともあれ、ことを入力という一面に限った場合、私にとってのその能力は明らかに低下してきており、それを認めずにいることは、副次的効果はあったといえ、まことにも非現実的であったわけです。

 そういう次第で、目や、耳や、おそらく他の感覚も含め、外界からものごとを感じ取るという能力は確かに減退しているのはまぎれもない現実であったことです。それに、こうした衰えは、自然なこととは言え、マイナスなことには違いありません。それだけに、それを避けたり遅らせたいのはやまやまです。そうですが、いずれは、その現実に沿わねばならないのは必至なのです。さて、そこでなのでした。
 すなわち、人生、還暦も過ぎれば、入力面はかくさびしい限りでも、その反面、それでは出力の方はどうなのか、という着想が生まれます。つまり、それまでの年齢に至れば、すでに、そうとうのことは入力済みのはずであり、その入力データの厚み、つまり経験を通じて、そうとうな蓄積はあってしかりであるはずです。したがって、焦点を入力から出力に移せば、むしろ、細るどころか、そうとう豊かな何かはあるに違いありません。つまり、入力の減退は、むしろ、出力の側へのフォーカスの移転をを示唆しているのではないか、とすら解釈できます。そういう、あらたな取り組み様をせよと命じられている、そういう局面なのかも知れません。
 それこそ、ビジネスライクに言えば、そういういわゆる経験の蓄積は、まさしく資源であって、それを無駄に放置する手はなく、それは知恵の宝庫でもある、などともされます。
 とは言え、そういう受け止めもありうるかも知れませんが、常識論としては、そうはジタバタしないのが年齢相応というものといったご託宣を皮切りに、そもそもそんな蓄積なぞ、おのれにあるのかといった自嘲や、仮にそれがあったとしても、それは年齢の別称ほどのものといった謙遜もあるでしょう。それに、内的には、これまた覚つかなくなりはじめた記憶をもとに、その蓄積の引き出しが幻ではないかといった不安、そしてはたして、そんな働き自体がいかなる意味を持つことなのかといった疑いすら湧き上がってきます。
 ともあれ、多々悶々と考えあぐね、戸惑わされる領域ではあるのですが、何かの余地は潜んでいるに違いないと鼻を利かせ、ひとり期待をつなぎたいとしているわけです。
 
 さてそこで、私は、ここにいう入力ステージから出力ステージへのフォーカスの移行にあたって、以下のようなキータームを設定し、こうした不安への攻めと、期待の実現への手がかりにしたいと思っています。

 第一は、(何らかの形の)退職者という、社会生産上の 「残余世代」 として経済概念上は現役生産人口からは除外されるとしても、いまや悠々自適な退職生活は “高嶺の花” でもあり、多くのご同輩には、現役でもなく、退職でもない、何らかの中間的、あるいは “生煮え” 的リタイア生活は避けられないものとなっています。
 それに、私は、これまでにも述べてきたように、働き続けるという、 「生活者」 としての “しがらみ” と同時にそういう誰しもの “共有要素” に、社会の基盤を見出してきました。そういう大事な基盤が、このようにして 《なだらかに延長》 されることに、未知なる余地の一端があるように思われます。
 というのは、 「高値の花」 たる退職生活は、制度上の規定によって不自然に唐突に開始されるのが常です。しかし、それとは対照的に、その 《なだらかな延長》 は、生の社会との連続性を自然に保つという意味で、単にやむを得ないがゆえの強制的選択ではない、プラスの側面を発揮するものとも思われます。
 私は、自分の現役時代の放浪性がゆえに、いわゆる将来への経済的蓄積には無頓着で、その代わりに、いわゆる 「老後」 というものは、自分で組み立ててゆくものといった覚悟をせざるをえませんでした。むろん、そうして背負ったリスクに緊張はさせられてきましたが、かえって、それがゆえの自活心は養われてきたようです。
 さらに、現今のように、うまくゆくはずであった国の諸制度にさまざまな欠陥が露呈されはじめている状況の中で、働き続けることに、新たな “出番” を提供してもいます。
 こうして偶然性も含め、以上のような意味で、私は、この 《残余世代の労働維持》 の実益を積極的に見出し、 「生活者」 の経験と知恵を老若世代間で共有することに、意義を感じています。

 第二に、これは、そういう呼ばれ方の好き嫌いはともあれ、 “老いゆく世代” の避けられない終末との関連です。
 仮にこれを 《どのみち主義》 と呼ぶとすると、どのみち、その最期は避けられないのですから、それが失敗しようと成功しようと、あまり違いはないでしょう。それに、どのみち前線からは退いているのであり、かりにその試みが失敗に終わろうと、その影響は比較的軽微かつ短期です。加えて、どのみち、その年齢になると、人生も人それぞれに多様化し、平均像もさほど意味をなさず、各々に自分流であることへの覚悟と親しみはすでに深いはずです。つまり、さほど他人の視線を気にすることもなく、ひとり静かに、自分だけの世界の開拓に腰を据えうるものと思われます。
 また、戦後すぐ、歌人川田順がうたった、 「墓場に近き老いらくの、恋は恐るる何ものもなし」 のように、その終末性がゆえに、かえって思いきりがつく、あるいは、一種の勇気をふるい起こすという効果も考えられます。
 人はおおむね、その人生行路で、あるひとつの職業道を全うしてくるのが常だと思いますが、先天的才能に恵まれた人でない限り、どんな人にも、そうした道の背後にし残してきた、選ばれなかった第二の道とか選択というものがあったことと思います。そうしたアンタッチの自分の秘境に、あたかも、思い切れずに終わった若かりし恋を再現させるごとく、取組み始めることも可能かと思います。そして、それまでの人生の片肺飛行に、もう一つのエンジンを発動させてみるのです。
 たとえ 「高値の花」 を得たとしても、どのみちそれは、老いてもなおかつ、消費者として商品購入に発破をかけ続ける、商業主義の範囲ほどのものです。しかし、最期のその時へと向かう時間を満たすものは、お買いものの楽しさがもたらしてくれるものではないでしょう。そういう、後のない、まさに限られた大事な時間であるからこそ、自分の精魂に触れうる機会を持ちたいというものです。
 些事で恐縮ですが、上記の還暦後の 「寿司修行」 によってえられた食のスキルは、むろん半人前程度でしかありませんが、個人生活の毎日を豊かにする程度には、充分に役立つものであることを実感しています。とかく、現役時代に着けたスキルは、社会の要求に耐えうる、細分化された歯車的なものであっただけに、そのスキル自体が自分の老後の生活に直接に役立つものであることは残念ながらまずまれです。そういう意味でも、自分の生活と等身大の技量を身に着けることの効果とその味わいは、また格別なものがあります。それこそ、生活の質です。さらにそういう技量は、毎日の時間を実用的に満たしてくれるばかりでなく、無駄な出費を省く経済効果も言わずもがな、何よりも、暖かな人間関係を築く糧となり、その場を演出する見事な道具となってくれます。売っている商品を買うことで、こうした暖かさや演出が得られるかどうか、それは大いに疑問です。
 さらに、以下は取って付けた聞きかじりですが、まず、生物体として、人が、環境からさまざまのものを取り入れ、またその環境に、いろいろなものを――最後には自分の身体そのものを――返してゆという交換は、それはごくごく自然な、大自然の摂理であるでしょう。
 また、これは大いなる飛躍ですが、近年の宇宙科学の発展は、人類がそれですべてと思い込んできた宇宙を成す物質が、実は、全宇宙の構成のわずか4パーセントを占めるものでしかなく、残りの96パーセントは、それが何であるのかすら、見当さえつかないもので満たされているといいます。96パーセントといえば、それがほとんどということです。ということは、自分の生身を形成する諸物質も、あるいは、還ってゆくはずのその宇宙も、どのみちそんな圧倒的な謎の世界の話であり、いまさらその細部に拘泥してみても、どれほどの意味があろうかというものです。
 つまりは、上に述べたように、人間、誕生から退職まで、自らもまたその生産物も、商品を成すことに全力を傾けてきましたが、いわば、そうした4パーセント中のそのまた細部は、極めて特異なこととすらうつり、むしろ、残余部分にこそ、全体への連なりを意味している何かがあるのではないか、と予感されます。

 第三に、前回に述べたように、この 「シリーズ」 もその一部を成すのですが、私はこれまでに、自分でそう名付ける 「両生学」 の開発を試みてきています。
 私事で恐縮ですが、私のその行路は、時に自分でもあきれるほどに職を変え、専門を変え、そして国境も越えた、文字通りの雑多な体験のごちゃまぜでした。そこには、上述の一つの職業道の貫徹はなく、あったとしても、意識的な雑学の逍遥にすぎませんでした。
 そうした雑体験を、両眼視を初期のヒントに、それを、日豪の二種異質な社会の体験へと拡大し、さらには、東洋と西洋といった対比や、身体と精神といった二元論、あるいは、その融合といったものでくくってきたのが、このこの 「両生学」 でした。
 いうなれば、そういう 《雑学系》 の枠組みです。
 そうしたあれやこれやの聞きかじりの累積のなかで、たとえば、複雑系といった学問体系にも出会いました。そこでよく象徴的に採り上げられる表現、 「北京で蝶々が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が吹く」 があります。そんな発想を借りて言えば、私のほんのわずかな思いつきも、そうした雑多な絡み合いのなかで、何か、ひょんなものを生み出すことがあるのかも知れません。
 むろんこれは、単なる独りよがりに過ぎないのですが、上記の 「どのみち主義」 の脈絡で言えば、どのみちの96パーセントの謎の中なのですから、これくらいの独善も、蝶の羽ばたきほどのものでしょう。
 それに何はともあれ、そうした自画自賛であろうとも、残余の人生に、それなりの興奮や動機を与えてくれるとするのなら、これに優る老いへの良薬はないでしょう。

 第四に、これは老人医療での実用上の話ですが、老人性うつ病の治療法に、「回想法」と呼ばれるものがあります。これは、治療者が患者に質問をすることで、患者に自分の過去を思いださせ、それを語らせるという方法ですが、そのポイントは、もう死ぬのを待つばかりと沈み込んでいる患者に、若い時代にはつらつと活躍していた時代を思いださせ、自分にもそういう時があったと生の意味を喚起させ、再度、自分の人生の価値を思い起こさせるところにあるようです。
 実は、自分の母親がそうした状態に陥っている時、ある偶然も手伝って、母親にそうした治療をしてもらった機会がありました。そしてその結果、驚かされたことに、母親が元気を回復したばかりでなく、自分たち子供もそれまでに聞いたこともなかった、両親の結婚に至るエピソードまでもを知ることとなって、両親たちの生き様に改めて感動させられ、両親への愛慕の情を深めさせられた記憶があります。
 
 最後に、読者もお気付きのごとく、こうして私がこのシリーズを書いていること自体、まさしくその出力行為そのものであり、その効用に期待を込めたその実行行為にほかなりません。

 こうしたいくつかの角度から、入力体から出力体へと移行しててゆくことの意義は、結局は、人の道を、出入り両面にわたって成し遂げ、それをトータルなものとして完成させてゆくという、生物行為の本来の原則にのっとった行為なのではないかと思うのです。。

 (2013年1月7日)
 
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