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<連載> ダブル・フィクションとしての天皇 (第59回)
「ならずもの国家」 と 「TPP」
2012年を迎え、この 「天皇の陰謀」 の訳読も、新たな章、第16章へと入りました。
新年早々のストーリーながら、その記述は、ますます心重たいものへとなってゆきます。
そのタイトルも 「追放国家」 、つまり、世界の “鼻つまみ者” 、今日の国際用語で言えば、 「ならずもの国家」 です。ただ、そういう認識は、著者ディビット・バーガミニのものであって、むろん、当時の日本人にそんな意識はないどころか、正しいのは自分たち日本人の方だ、と燃え上がろうとしていたわけです。
この訳読連載を 「ダブル・フィクション」 と題名付けているように、私のこの一連の訳読の試みは、日本人にとって、天皇とは、二重のフィクション、つまり、二つの陰謀の代名詞であり、それからの脱出が必要とみているわけです。
それは、幾度も触れてきているように、アジア・太平洋戦争 (昔は 「15年戦争」 と呼んだりもした1931年から1945年の戦争) 時代の天皇が当時の日本人にとってフィクションであったことが第一のそれです。その第二は、そうして戦後となって、今日までも続く日本の現代天皇制に伴うフィクションです。つまり、アメリカの従属国と化してゆプロセスに、その第一のフィクションが手玉に取られて、さらなる大フィクションが描かれ、それが今も働いているというものです
(本連載の第一回参照)。
この訳読の原本は、1971年に出版されたもので、深い日本びいきのアメリカ人、バーガミニの手になる、戦争中の日本の実像を克明に描き出す労作 (彼の付けた細かい脚注――例えば脚注
(6) ――にご注目を) です。
私たちは、そういうこの著作を、40年以上も経過した今において読んでいるのであり、当然、今日の時代の枠組みから見る視点も視野に入ってきます。
たとえば、二重のフィクションのうち、第二のフィクションをめぐる今日的な視点として、いわゆる 「TPP」 をめぐる論争があります。そこにおいて、この
「ダブル・フィクション説」 の有効性に思案をめぐらせています。
すなわち、今日の迷走を深める国内政治への幻滅や勢いを失った経済力への不安も手伝って、ノスタルジックな先祖帰り的風潮が見られるなかで、まず、第一のフィクションの解明がもたらす、アジアの近隣諸国との日本の関係の見定めがあります。そして、それに足場をすえて、米国が強く日本に働きかけてきている
「TPP問題」 を見ると、どうしてそれほどに日本人がそれに脅迫されるのか、その仕組みが見えるようです。そしてそれが、 「米国とのTPPか、それとも、日中韓FTAか」
という、択一の問題であるかに化して日本に及んできる理由も。
そこでは私は、 「日中韓FTA」 を第一のフィクションに、「米国とのTPP」 を第二のフィクションに、それぞれ対応させて見ようとしています。
すなわち、私たちは再度、いずれかのフィクションに回帰させられてしまうか、それとも、その二重の束縛から自らを解き放ち、その上に立った次元を追及してゆけるのか、そうした岐路にあることが類推されます。
あるいは、それを心理学の議論で言えば、そういう二つの 「強迫観念」 という自縛から、どう脱出してゆくのか、ということになりましょうか。
ではその第16章 (その1) にご案内いたします。
(2012年1月7日)
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