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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第16回)

田舎武士の末裔

 私の訳読は、しだいに、日本人なら誰でも馴染んできた、日本の歴史物語の核心に入ってきています。
 そうして、これまでに、習慣的に、あるいは、そう教えられて、何らかのイメージや解釈の出来上がった自分の国の歴史を、違った視点から再体験あるいは異体験するという、ちょっと刺激的な機会を提供してくれています。
 むろん、そこには、西洋人特有の見方があり、それはそれなりに留意すべきものもあるのですが、いずれにせよ、異なった視角を通じた 「両眼視野」 あるいは 「両生空間体験」 は、私の方法の根幹でもあります。

 ところで、前回の 「私共和国」 の 「遷都1300年というプロジェクト」 で、大陸の歴史を 「剛」 のそれとし、それに対する日本の歴史が 「柔」 のそれであるという話をしました。そして、その 「柔さ」 を形成してきた決定的な要素は、日本には世襲を積極的に進めてきた文化があり、外敵による殲滅もされずに、その世襲が綿々と、有史以来でも、二千年にわたって継続されていたことです。
 この血縁が 「綿々と継続」 されるということについてですが、それは、先祖を30代も遡れば、つまり、親の代で2人、祖父の代で4人と、2の階乗を30回つづけてゆくと、その数は21億を超えます。それをさらに40回つづけると、2兆1990億となります。つまり、私の祖先は40代前で、それだけの数に達するということです。これは私や貴方がこの世に産み落とされている限り、まったく誤りのない事実、少なくとも解釈、であります。
 ここで、一代を25年と仮定すると、40代ということは1000年ということとなり、私の祖先は、10世紀ごろの段階で、2兆人を超えることとなるわけです。これまで、この地球に何人の人間が生まれてきたのか、その累計は分りませんが、おそらく、2000年もあれば十分に、そうしたレベルの数字に達するだろうと思われます。
 この数字的事実は、日本人の誰もが、その祖先をずうっと遡れば、ある二人の男女に到達するというばかりでなく、人類全体も、紀元前までにも遡れば、数字的には優に大きな数に達し、それと同じような、ある一組の男女に到達することを意味します。
 むろん、実際の歴史の中では、それこそ外敵の侵略で、皆殺しとなった民族も数多くあるでしょう。そうして断絶した血族もあるでしょうが、それも、その祖先に代々遡ったどこかで、別に分岐した血族とつながっているはずで、結局は、その男女のカップルに行き着くということとなります。
 それが、 「アダムとイブ」 であれ、 「イザナギとイザナミ」 であれ、また、最近の考古学上の発見から言われている、アフリカの最初の類人猿の一組のオスとメスであれ、呼び方はいろいろあろうと、人類全体はそういう関係で結ばれていることになります。それこそ、 「億世一系の人統」 です。
 むろん、こんな単純な事実より、歴史上で繰り返された殺し合いや争いの数々の方が、はるかに生々しい事実をもたらしているのですが、そのリアリティーの背後では、そうした生物上の 「世襲」 が静かに綿々と存在してきたわけです。そういう意味では、昔、街のあちこちでよく見た、笹川良一の 「世界は一家、人類みな兄弟」 といったスローガンも、あながち、捨てたものではなくなってきます。
 私も、戸籍上で祖先をたどれば、関東平野の真只中の草深い田舎武士に行き着きます。その先をたどる史料はないのですが、ひょっとすると、前回、バーガミニが書いているように、高貴な家系の、蝦夷狩りに出された、二男、三男の末裔中のそのまた末裔かも知れません。

 では、今回の訳読へとご案内いたしましょう。。
 

 (2010年1月29日)

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