オーストラリアっていい国ですよ(その2)
 新年おめでとうございます。
 日本は異例な寒さのなかで新年を迎えられているようですが、オーストラリアは、各地、ことに東南各州は、40度前後の熱波が予想されるのなかで、ブッシュファイアーを警戒した全面焚き火禁止令が出されている中での新年です。

 ここのところ、オーストラリアを訪れる日本人旅行者数は頭打ちで、数年前までの盛況は去ったかの感があります。また、先にも書きましたように、オーストラリアも年々変化しており、かっての「古き良き」オーストラリアも、文字通りの過去ものとなりつつある側面もあります。

 年頭にあたり、こうした曲がり角にある両国事情をふり返りながら、日本とオーストラリアの両国の人々にとって、互いに互いのいいところをあらためて考えてみたいと、本記事を書き始めているところです(もちろん、ここは日本語サイトでありますので、日本向けとなりますが。) すなわち、ほんサイトの売りであります「両生体験」にからんで演歌風にいえば、「二重祖国のすすめ」の2006年版、メッセージです。
 
 クイーンズランド州への根強い人気に代表されるように、日本人にとってオーストラリアは、その開放的で健康度満々の「ビーチ文化」への憧れの地ともたとえられます。それに、気軽にゴルフも楽しめるわけですから、日本のおじさんたちの目には、パラダイスにすら映ります。

 そうした事情はオージーたちでも同じで、その結果、そうした「パラダイス」への人口流入が進み、道路、電力、上下水道などといった、インフラ整備が追いつかないという問題も生じています。

 それでも、オージーならば、長年にわたって税金を納めてきた訳ですから、そうした環境の、いわば「利用権」もあるといえるのでしょうが、外国から突然にやってきて、もちろんそれなりの使用料は払うとしても、そうした環境を地元のオージー達と同じように楽しんでもらってよいのかどうか、という議論がおこり、昨年7月からの、事実上の「ビザ代金」の大幅値上げとも言うべき、旧「退職ビザ」の廃止と「投資者退職ビザ」の新導入となりました。州政府債への投資が条件のひとつとなっているのは、そうした事情があるためです。

 こうして、たしかに日本人の目には、オーストラリアは「御高くとまっている」かに見え、他方、オーストラリア側にしてみても、それでもお客さんには事欠かないとの読みがあるようです。

 そうした意味で、こうした極上のお客となりうる方々はともかくとして、それ以外の「平均的」日本人たちには、オーストラリアでの「両生経験」は、(1)比較的若い頃からの長期的計画にたった永住ビザ獲得による移住か、(2)観光ビザによる、季節的なリピーター訪問か、というふたつの方法が、基本的な選択肢となるでしょう。

 また、後者の場合、時間的な制約もあるわけですから、オーストラリア滞在には、何らかの特定の関心をもってのぞみことが肝心で、総花的で分散したものとならないよう、趣味とかスポーツを通じたコア活動をつうじ、オーストラリアらしさとの集中した接触が、成功の秘訣となるでしょう。

 時々、オージーってあなどれないなと思うことのひとつに、そのスポーツ好きのレベルがあります。たとえば、バーベキューパーティーなどで、初対面のオージーと意気投合し、互いの打ち込んでいるスポーツが期せずして同じであったとしましょう。そこで、いつか一緒にやろうなどとと約束して、いざお手合わせとなった時、相手のそうとうな腕前にシッポをまかされる、などという経験に、往々にして遭遇することとなります。以前にも書きましたように、「スポーツ ナショナリズム」が成り立つゆえんのひとつです。
 
 それに、こうした傾向は、スポーツのみに限られるわけではありません。いい意味で遊び好きなオージーのこと、その趣味の面でもの懲りようは、これもただの素人レベルではないようです。ふとたずねた知人のガレージが、ちょっとした町工場のようになっていて、それがその“趣味”の作業所だったりします。宅地が広く、そうした空間が得やすい事情もあるからでしょう。

 機会にも施設にも恵まれているオーストラリアで、スポーツと趣味は、言葉のハンディキャップを緩和する上でも、不可欠の演出装置となってくれるでしょう。

 もうひとつあなどれないなと思わされることに、一部の秀でた人々は言うまでもなく、それ以外の平均的オージーであったとしても、その「市民度」といいましょうか、政治意識も含めた生活意識といいましょうか、そこに、一筋縄ではゆかない、結構てごわいオージー根性がかいま見られることがあります。

 日本人は、仕事を離れた社交的な場所や時間でも、そうした話題を避ける傾向が強くありますが、オーストラリアでは、職場からいったん足を踏み出せば、そこはそうした配慮は不要のレベルグランド(対等関係)で、それこそ、ファーストネームで呼び合い、話題もさまざまかつ自由闊達となるのが通常です。

 ちなみに、そうした反映か、オーストラリアの政治家たちは、その質という面で、日本の政治家に比較して、はるかに厳しい環境におかれており、一段高い仕事をしいられているように思えます。

 こうした分野では、ただ、やや言葉の力が求められますが、この面でも、ある特定分野への関心は、その会話力の向上の助けとなり、共通話題を作りやすくなります。

 最近の世情として、従来のオーストラリアらしさに、変化の兆しがあるのは確かですが、その変化が変化するのもオーストラリアですし、長年の伝統がそれほど簡単に薄らいでゆくとも思えません。また、変化しているのは、日本も同じです。

 ともあれ、いろいろな意味で日本とは対照的なオージーの生活。ぐっと接近し、じっくり観測し、時に勇気をふるって踏み込んでみるのも、日本人にはおおいにためになることと思います。もちろん、オーストラリアの正真正銘に雄大な大自然が、みなさんを「だまって」大歓迎してくれることは、言うまでもありません。

 (2005.12.31、松崎記)

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