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 第三期・両生学講座 第1回


新たな「二元論」



 前回をもって、 『相互邂逅』 を終わらせることができました。小説としては初歩的なスタイルの作品でしたが、ともあれ、完結することができてほっとしています。
 こうして、第二期12回の当講座で述べた 「私式タイムマシーン」 に身をまかせたタイムトラベルを終え、現在へと戻ってきました。
 この作品と取り組んでいた期間は、実感上、かなり長かったように思われたのですが、連載を始めたのが昨年7月ですから、それはわずか1年2ヶ月でしかなかったこととなります。言ってみれば、60年の道のりを14ヶ月で済ました早回しであったわけです。とはいえ、タイムトラベルをすることは、実に有意義かつ不思議な体験です。スルメじゃありませんが、人生、一度味わっただけで終わらせるのはもったいなく、二度でも、三度でも、タイムマシーンに乗って噛み直してみるのも、味わい深いものがあります。あるいは、さらに発展させて言えば、それは、想像力を駆使して、選べなかった自分を、再び、生き直す作業、と言えるかも知れません。
 この完結により、人生 「一周目」 の見直しを済ませ、今、心理的にも思考的にも、あらたな出発点に立ち戻った気持ちがしています。
 そして同時に、この区切りを反映させて、この両生学講座も 「第三期」 に進めたいと思います。というのは、ここに、大きく二つの柱を持つ、思想的な到達点があるからです。それを、ちょっと遊び心も含ませて、二つの元(はじめ)ということで、 「二元論」 と呼ぶことにしましょう。

 そこで、その第一の 「元」 とは、タイムトラベルにより見えてきた自分の 「ディアスポラ」 性であり、理論的には、自分を鋳型作る近代経済社会の働きです。
  『相互邂逅』 では、それを 「中産階級家族」 が持つ 「移動性」 と、それが生みだす地理的、社会的、経済(職業)的 「根なし」 性と書きました。私は、こうして根を断たれた土着性の欠如――言い換えれば、生存の抽象化――は、近代的人間の特徴をなしている要素と思います。また、この抽象性がゆえに――相互関係でもありますが――、人は、たとえば企業といった、近代的組織に効果的に再編成されえたわけです。もちろん、教育はこの再編成を方向づけ、促進させる重要な推進剤でありました。
 カタツムリ速度ですすめている 『相互邂逅』 の英訳版では、そのタイトルを 「I am a Multitude」 として、今日の世界をおおう流動大衆=マルチチュードの一人が自分である、との意をあらわしました。これは、自分に作用しているグローバルな経済構造的分析を骨組とした考え方ですので、英語圏の人々にも理解しやすいのではないかと考えたからです。
 第二の 「元」 というのは、これは、自分でも全く新たに体験し始めている要素であり、ある意味で、これまでの自分の物の見方をくつがえすような視点です。
 この視点を決定的にしてくれたのは、最近読んだ一冊の本です。むろん、これまでにも、おぼろげには浮かび、また、はっきりとらえられないままに置き去りにしてきたいくつかの思いはあったのですが、それらをこの本がはっきりと再認識させてくれ、相互に結び付けてくれました。
 この本とは、松岡正剛の 『17歳のための、世界と日本の見方』 (春秋社)で、その帯に 「大人は読んではいけません」 とあるように、若者向けに語られたものです。ただし、それは表面上のことで――むしろその帯はそう大人を “挑発” しており――、その内容は、若者でも解りやすい表現ながら、なかなか深いものがあります。ことに、世界と日本の歴史の流れの意味をさとるという点において、これほどに、ことの要所をまとめてくれている著作に、少なくとも私の読書経験の限りでは、出会ったことはありません。
 そのはっきりさせてくれた結論から先に言えば、 「なんだ、自分のやってきたことは、極めて日本的なことだったんだ」 という発見です。
 たとえば、私は、これまでの二十年以上を英語圏の世界に生活しながらも、このところ、年を追うごとに、日本語への関わりを深めています。もちろんそれは、いわゆる 「言葉の壁」 を契機とするもので、それを 「語境」 といいう造語にもしてきました。しかし、それが、そうしたとりあえずのとらえ方を越えたものであることは、 『相互邂逅 3−6』 にも書いた通りです。
 それに加えて、オーストラリアという外道の地にありながら、寿司修行という、日本の典型的伝統文化のひとつにかかわってきていることがあります。
 またそれ以外にも、文章にはしていませんが、 「移動」 という私の人生の方法が、 「旅」 という意味では、たとえば、西行から松尾芭蕉へといった 「過客」 の流れ、あるいは、お遍路というもっと大衆化した生活伝統として、確かな根が日本には生き続けています。
 これは、今回の読書で知ったことですが、 「もののあはれ」 という場合の 「あはれ」 という日本の文人の知的感性が、武士の場合には――その 「は」 の発音を力強く破裂音に変え――、 「あっぱれ」 という言葉へと変形して、その究極の使命感と達成感をあらわしているという価値意識あるいは美意識があることです。私が 『相互邂逅 3−5』 にも書いた 「覚悟めいた意識」 という場合も、そうした 「価値・美意識」 に通じる何かをしたためていたことは否みません。
 あるいは、 「あはれ」 を地で生きた場合の俗世的な 「さびしさ」 を、利休は、その茶の湯の世界を通して、 「さび」 へと磨きあげました。また、簡素を徹底した―― 一見、非礼とも見られるに違いない――その茶室への来客に、 「詫び」 る気持ちを含めつつ、それを矜持へと転化させた 「わび」 の精神は、権力体制を完成させた武士階級の価値観への秘められ批判であり、かつその研ぎ清まされた精神性に武士階級を媚び入らせもしながら、自ら、切腹する事態にすら至らせたわけです。
 ここに自分の体験を引き合いに出すのは、むろん、極めてはばかれることなのですが、自分としても、こうして質素への道を幾らかでも選べてこれたとは、選択という面において、こうした日本の伝統と同種の傾きではなかったのかと、内心、力付けられるものを見出しています。
 そしてひるがえっては、松岡正剛が、日本的であることの流れを 「西行―世阿弥―利休―芭蕉」 と集約するその伝統の、そのなにがしかでも、自分で踏襲できていたのではないか、と考えたりもしています。

 片や、近代の商品経済の発展が作り出してきた中産階級の一員として、自分が流民=ディアスポラ=マルチチュードとしてここにあるという認識と、他方、日本に根付いた文化の歴史のその真髄を、その片鱗たりともくみとって来れていたのかもしれない――いぶかしさと背中合わせでもあるのですが――という発見の間で、今、私は、自分をめぐるかけ離れた二元構造に目を見張らされています。
 それは、随分遠くまでやってきてしまったと、それほどまでにも根を失った漂流体でしかないという自分の寂寥感を一方に、そして、この寂しさが 「さび」 に通じ、漂流体である自分も、そしてむしろそうであるが故に、その伝統の真っただ中に位置しえているのかも知れないという、言うなれば 「ふるさと」 の新次元での再発見を他方に、二元に分かれたことさらな戸惑いにさらされています。
 そこでですが、室生犀星のいうように、 「ふるさとは、遠きにありて思うもの」 であるようですが、しかし、犀星が続ける 「そして悲しくうたうもの」 ではなく、むしろ、 「そしてようやく見えるもの」 であるのかも知れません。
 そしてさらには、そのように日本的であることを焦点に、より深い次元で、日本語圏、英語圏を超える、潜んだ普遍性が見通せるのかも知れません。

 (2009年9月15日)

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