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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第38回)


続・「すさまじさ」 の始まり


 まず、前回の訳読を読み直してみて、改めて、昭和の開始とともに日本が取り掛かろうとしていたことの重大さに、正直、おののかされます。
 もし、バーガミニがここに立証していることが事実とすれば――むろん彼の著作はそれだけの重みをもって迫ってくるのですが――、日本の対米戦が、よく言われる、ABCD包囲網に対するやむない防衛戦であったどころか、もともと、対米戦も覚悟の上であったばかりか、それは世界相手の戦争を企てていた巨大構想の内のひとつの部分戦争ほどに過ぎなかったことです。そして、そのメガ・ビジョンを国の方針として決定したのが、昭和2年の夏に行われた 「東方会議」 でありました。
 そして、その 「東方会議」 で最終的に採択された田中計画とは、そうした世界相手の巨大挑戦の第一段階として、そのための国力拡大の基地としての 「満蒙」 の獲得でした。
 そうして、その巨大挑戦のほんの第一歩で実行された “作戦”、 あるいは、生じた最初の “つまずき” が、張作霖の暗殺でありました。
 ともあれ、そのとば口からこうである時代が昭和であったわけで、しかも、まだまだ、これはほんの手始めに過ぎないことであったことは、これからの 「本番」 が示してくれるはずです。
 その日本の方向を決めた会議から19年後に、あたかも大過の後の平和の象徴のようにして私が生まれ、それから65年が経過し、今、2011年の新年を、84年前のそうした重たい時代の始まりに思いをはせながら、迎えています。

さて、以下は、前回の、 「昭和」 という時代の始まりが 「すさまじさ」 の始まりだったという話の続きです。
 そういう、司馬遼太郎も扱いかねた、日本がまさに入って行こうとしていたこの時代について、これは私の読書経験という精神の旅の上での回顧なのですが、私は、その時代に書かれた幾つかの書き物から、現代に生きる自分への一連のヒント、つまりある類同性を見出した体験をしました。
 ついでながら、その昭和初期と現代とに、なんらかの共通項が発見できるとするのであれば、その後にやってきた時代――戦争と敗北の時代――が与える、現代の未来についてへもの類同性も、そこに見いだせる可能性があります。
 
 その回顧から、まず、 『昭和文学の可能性』 という一冊の岩波新書を取り上げることができます。
 この本は、文芸評論家の平野謙によるものですが、手みじかに要約すれば、昭和初期の知性――明治から大正への流れの中で近代的自我に目覚めた――が、軍国化する社会によってもみしだかれる様が文学作品の読み比べから描かれたものです。それを、私の精神史上の位置づけに置き換えて言えば、昭和初期当時の個人に対する社会的プレッシャーと、まだ若い頃でしたが、現代の自分への社会的プレッシャーを対比させ、社会体制としての違いはあれ、同類と感受できるものを見出していたわけでした。
 もう少し説明しますと、昭和初期、近代的自我に目覚めた結果の自己が遭遇したのは、「自我の社会化」と呼ばれた、社会科学的な視点から己の生き方を探ろうとする視点で、いわば、人生の左傾化です。昭和初期、そうした左傾化した知識人たちは社会主義思想を信奉し、権威主義化する国家と激突して、検挙、投獄、拷問の結果、片や獄死を選び(あるいは強いられ)、片や転向を選んで生き延びるといった、壮絶な体験を余儀なくさせられた時代でした。
 むろん、私が生きてきた現代に、そうした直截な権威主義社会はもはや存在していませんでしたが、私にとっては、それは強要の度合いの違いの問題にすぎず、むしろ、緩慢化され、一見自由意思が尊重されているかの見せかけの形で、精神的悲惨さと貧困さはかえって強化されているとすら感じられたものでした。
 つまり、そうした巧妙化された社会の背後で共に存在するものに、同類、同質のものを類推していたわけでした。
 (『昭和文学の可能性』 については、 「相互邂逅 17」 を参照)>

 次に挙げられるのが、島崎藤村の 『夜明け前』 です。
 御承知のように、この藤村最後の長編小説は、幕末から維新期の木曽馬籠を舞台とした小説ですが、それがいつ書かれたものかについては、私は漠然と明治末くらいかなとも考えていました。ですが、そうではなく、それが 『中央公論』 に連載され始めたのが昭和4年(1929年)で、完結したのが昭和10年(1935年)です。
 この小説としての物語は、主人公半蔵が明治19年(1886年)に狂死するところで終わっています。この藤村の父をモデルとした小説は、そういう意味では、藤村が40年ほど昔を回顧して書いたものです。藤村が生涯最後の仕事として、自分の父親の 「狂死」 をテーマとし、しかも、その題名を 『夜明け前』 とする、暗闇の暗示です。
 回顧という手法が選ばれ、あるいは、回顧という手法が可能性を開く、自分なり自らに関わる人間の事実を検証する作業の価値がそこに見出せます。まさに、 「歴史ごころ」 です。
 (『夜明け前』 については、 「両生学講座 第13回(両生歴史学) 「夜明け前」から「千年能」へ」、 「両生学講座 第14回(両生歴史学) 歴史ごころ 参照)

 では、その 「歴史ごころ」 に従って、昭和の初期にご案内いたしましょう。

 
 (2010年12月26日)


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