Author Archives:

リタイアメント・オーストラリア

「知価社会」時代のプロレタリアート

今月のおすすめコンテント

これは2008年の世界同時不況の際に書いたエッセーですが、現在のコロナがもたらし始めている不況と同じような「時代の変わり目」の雰囲気を背景にしているものです。当時、故堺屋太一〔官僚出身評論家〕が、不況後に来る社会を「知価社会」と呼んで物的消費に傾かない主知的満足社会の到来を予告しました。それは現在で言われている「ニューノーマル(新常態)」に相当する甘美な標語でした。当時私は、その予告標語に対して、「プロレタリアート」つまり並みの労働者は、真に受けない方がいいのではないかと身構えて考えたわけでした。結局、堺屋太一の予告は外れて、グローバル・サプライ・チェーンに支えられたいっそう大規模な消費システムが構築されました。それはむしろ、私がそのエッセーに書いた恐れの到来でした。ではそのエッセー「『知価社会』時代のプロレタリアート」にご案内いたします。

両生空間
No.300

六月の愉しみ

《多様多彩》――「花との交信」(No.12)

【撮影者 山本 哲朗】

名前:花菖蒲

撮影場所:新宿御苑

コメント: Tokyo入梅   活動自粛要請も全面的に解除、都知事選の公示もあり、街に賑わいが戻って来たが….。

希望的楽観と漠とした不安が入り交じる気分で花を求め、野に向かう。

 

本シリーズでは、コロナ・パンデミックについて、いくつかの設定を敷いてそれを考えてきた。しかし、それでもまだ残されている“極め付け”の設定がある。それは、コロナ感染が正真正銘な《自然現象》――これまでの設定に含めた人為要素を排した純粋な自然現象――として起こっているという設定である。そしてそのために、これまでとは異なったアプローチの枠組みをもってのぞむ。つまり、自然の仕組み――ことにエコロジー体系――は、人類が登場するはるか以前から存在しており、その摂理にそって進化もしてきているはずである。その自然の延々たる変遷上でいえば、そうした人間の作為なぞ、最後の些細な瞬間に生じている微々たる要素にすぎない。だがコロナをその壮大な変遷から見た自然現象とする場合、それに応じた新展望をもたらす可能性がある。今おこっているコロナ騒動のように、世界が揺るがされる度ごとに登場するまたしてもの新標語「ニューノーマル(新常態)」に踊らされないためにも、この設定の効果が期待されよう。 詳細記事

私共和国
No.237

「自虐趣味」がねらう効果

越境体験=QL;コンタムライフ実践編(その11)

QL 1Year+167Day(2020年6月9日〈火〉)

10キロはじり、1時間25分31秒。出だしというか、往路はメタメタ。標準より4分遅れ。帰路は挽回して、1分半の追加。そうなのだが、やはり、完走できること自体が重要。後ろ向きの姿勢にはなりたくないものだ。 詳細記事

メッセージは承認制です。公開されるまでしばらくお待ちください。