今回の居酒屋談義は、いつもとは大きく環境を変えて、中央アジアの国キルギスのビシュケク市にあるゲストハウスでの光景である。

ビシュケクの街を飾る山々
そこが日本人オーナーのせいなのか、投宿者に日本人が多い。それにその手頃な料金から、そうした投宿者たちのほとんどが、バックパッカー略した、「バッパ」旅行者たちである。
そこに滞在の二日目の夜、宿の中庭ある中央アジア風ガゼボに、投宿中の日本人たちが誰言うとなく集まって、地元のビールで喉をうるおしながらの雑談が始まった。
こうしたバッパ旅行者たちの間での旅先での会話は、何はともかく、体験してきた情報の交換が主となる。ことに、その経由地や目的地が情報の限られたチャレンジングな地であればあるほど、市販のガイドブック等には頼れない最新の情報源として、そうしたライブなやり取りは欠かせない。
コストを抑えたいのはもちろん、いらぬ苦労を避け、また面倒なトラブルに巻き込まれないためにも、そんな情報交換の場は、おのずから出来上がってゆくファーストトラックである。もちろん、インータネットによる情報は印刷情報を上回る足の速い情報源に違いないのだが、それでもライブ情報であるこうした体験談には鮮度をゆずる。
私がお供しているTは、これまでの諸体験に加え、その1カ月半の旅に先立つ数か月、あらゆるネット情報を検索して、誰にも引けを取らないだろう、綿密な情報の持ち主となっていた。そんな事情で彼女は、こうした情報交換の場ではなかなか頼もしい情報通となっていた。
そこにちょうど、私たちの行程の逆を通ってきた、仕事を辞めて一人旅をしているという50代の元金融会社社員Mさんは、さすがにその体形はゆるみ二十代の現役バッパ旅行者に交じれば異形である。しかし、これまでの現役生活に終止符を打ち、家族の後押しもあってだろう、そうして第二の人生へのドアを開こうとしている。近年に見られ始めた新バッパ旅行参加者と呼んでいいと思う。
典型的な若者バッパのSくんは、まだ20歳ながら起業もしていて、小規模ながら自分のビジネスを営んでいるという。高校を卒業して、一応大学には進んだものの、それ以上は時間の無駄とさとって、以降、大学には通わず、ワーホリ旅行や起業の道を選んだようだ。その年にしては、たしかに自分の歩む道に自身のポリシーを持っている。
他方、有名私立大学4年のK君は、単位をすべて取り終わり、いわゆる卒業旅行の最中だという。一見、バッパ旅行風ではあるのだが、その内実は、まもなく日本にもどり、落ち着く就職先も決まっているからなのだろう、この旅への執着が希薄である。雑談中もスマホを離さずそれに頻繁に目を移し、周りの遣り取りには上の空な様子を見せる。
もう一人の参加者Nさんは、大手製造会社の海外駐在員としての休暇中、この中部アジアの旅に出かけてきたという。彼の体験や情報は、さすがに個人レベルでは得られないものなのだが、逆にそうであるだけに、自己責任ながら好き勝手に飛び回るバッパ旅行者の参考にはなりにくい。
一通りの情報交換が済んだころ、次第に話題はそれぞれの好みの話に移る。
そこで私はひとつの質問を出して、一同の反応を聞いてみた。
「最近の日本発のニュースでは、今時の若者は海外旅行に出かけなくなったと報じてますが、ほんとうにそうなんですか。」
K君は、「僕もそうであるように、そんなことはないとおもいますよ。まわりにも、たくさん海外に出かけていますよ」と言う。
Mさんは、さすが金融出身者で数字に厳密である。「そういう報道は、政府発表の出国者数統計を真に受けたもので、たしかに経年上の減少はしている。でもそれで減少傾向と結論するのは、若者の人口も減っていることを考慮していない。つまり、ある年齢層の総数における海外旅行者の割合として見れば、決して減っているわけではないですよ。」
次に私は、かねてから思ってきた疑問を投げかけてみた。
「今のインバウンド旅行者の増加を証拠とするように、諸外国での日本人気が高まっているとの報道一色なのですが、これって、日本がそれほど魅力的な国だってことなんですかね。どうも自画自賛な感じが否定できない。それに単に円安効果もあるだろうし。」
「それはですね、報道が悪いんですよ。日本の落ち目なニュースばかりでは読者をつかめず、受けのいい自慢話ばかりを取り上げててるんですよ」とMさん。
「確かにヒーロー大谷のニュースは日本を沸かせている。しかし、どう見ても、現実無視の過大自己顕示に傾き過ぎ」と私。
「メディアの自分勝手な暴走は無責任すぎる」とMさん。
若い世代たちは、そうした全体状況は語れないのだろう、その反応は明瞭ではなかった。ただSくん、自分のワーホリ体験からか、「根本、どこにも、良さや悪さはありますよ」。
こうして異国での夜は更けていったのだが、そうしたバッパ旅行とは、人によるバリエーションはありながら、まともな情報を求め、自分の感性でそれを解釈しようとする、いまや最先端の旅方式となっているようだ。かつて言われた、金のない若者たちの貧乏旅行などではない。そして、 フェイクなニュースや言論が横行する今日にあって、「一見は百聞にしかず」を身をもって実行し、「急がば回る」新たな生き方の、ひとつの兆しなのかもしれない。