この「越界-両生学」において、私が《宗教》という言葉を用いて扱いたい事柄は、「宗教」との言葉で連想されるような抹香漂う分野というより、むしろ、「科学」という明示的な分野におけるこころみのつもりです。ただ、科学者でもない私のなす立場であり、その科学性について、心もとなさが伴うのは自認の上です。しかし、ある意味で、そうした素人性、いうなれば平板性には、それなりの意義もあるかと自負し、この独りよがりな議論を進めてゆきたいと思います。 詳細記事

以下に述べる視点は、おそらく、ことに若い読者からは、「老人の保守的見解」と断じられるもののひとつでしょう。それはそれでもっともなのですが、しかし、それを自認しつつもその一方、この年齢になってみなければ得られない視点であるのも確かなのです。私も二十代の頃は、十も歳が離れれば、もうその人を、人とさえも見えないようなところがありました。

そういう次第で、本稿はことに、「タナトス・セックス」という「メタ・セックス」な境地から見えるいくつかの光景を、前二回にわたる本論に付け加えて「補記」するものです。 詳細記事

 

昨年三月、「タナトス・セックス」とのタイトルで、「老いへの一歩」と題するシリーズ記事のひとつを書きました。

本稿はその続編ですが、そこで定義したこの「タナトス・セックス」とは、俗にいう「セックス」から「エロス」を抜いたような、一見、“抜け殻”とも解されかねない、以下のようなものでした。

・・・身体的に生殖能力を終わらせたか、あるいはそれに近い男女の、それでもある性的関係を、生や誕生と結びつくものではなく、逆に、最後にはほんものの 「死」 に至る過程を準備するところのものという意味で、 《タナトス・セックス》 と呼びたいと思います。

 むろん、このような定義が、果たして今日の現実の人間生活のリアリティーをどれほどに代弁したものかどうか、私はそれを実証する立場にはありません。というよりむしろ、人生の二周目に入ってはや八年、それもなんとか健康を維持でき、さほどの“老境”をさまよっているわけでもない自分として、そうした個的体験が見いだしている実感をこう呼んで、本「越界-両生学」の一角をなす、いかにもデリケートな——ある意味で未知未踏の——分野への一提起をこころみてみたいとするものです。 詳細記事

ここのところ私は、世界が本気で、これまでとは次元を異にする、とんでもない「何か」に変わってきているなとの感を強めています。

何やら怪物めいたもののようにも見えるその「何か」が何か、もやもやとは想念できるものの、明確にはつかみきれないでいました。

それが先日、通勤途上の電車の中で、『週刊金曜日』——日本より取り寄せて購読しています——の8月22日1004号掲載の記事、廣瀬純著「自由と想像のためのレッスン:アベノミクスと叛乱(1)」を読んで、そのもやもやの雲が一気に晴れる思いをえました。 詳細記事

前号で、「新たな10年紀」が始まる予感がする、と述べました。   

そうした予感の導きにしたがって、ここに、新たな10年紀の扉を開けてみたいと考えています。

そしてその第一歩として、これまでに段階を重ねてきた「両生学」をさらに生まれ変わらせ、新たな次元に船出させてゆこうと構想しています。

題して「越界-両生学」。

そして、この「越界」とは、いよいよ私も、現世からの旅立ちを逆算的に意識せざるをえない年齢に入ってきており、そういう私の想像の照らし出す視界内にその境界が垣間見し始めているからです。

そこで今回を第一回として、そうしたシリーズのあらまし図を広げてゆきたいと思います。

いうなれば、黄泉へと広がる海域へ“越界”する航海ビジョンです。

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今回、前立腺ガンからのひとまずの回復を背負いながら日本に滞在していて、たどり着いたある思いがあります。

それは、人が誰かと伴侶関係をつくってゆくとき、その人へのプレゼントとして何があるだろうと考えると、ことに次世代生産期を終えた「人生二周目」にあっては、それは、地味ではあってもなかなか至難な、健康を維持し続けること、あるいは、その人の“荷物”とならないようにつとめることという、しごく当たり前な思いでありました。

つまりは、「ガンにも認知症にもならない」二周目期を、どうにかしてでも送ってゆけないか、という希望でありました。

そしてそれは、巡りめぐって究極は、自分にとっても、なににも代えられぬギフトになってくれることでもあります。

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「ガンは自分で治せる」、これがいま、私の抱いている実感です。

今年3月18日、生検の結果から前立腺ガンを告知された時、いよいよ来る時がきたかと、その遭遇に重い覚悟を突き付けられていました。

それを思い出すと、私は今、実に爽快で幸福な気持ちです。そして、このあたかも不可能を可能にしたとも言えるようなことが、決して奇跡でも偶然でもなく、ただ、誰にでもなしえる平凡な真実であると、心底より実感しています。

むろん、その「完治」が診断されたわけではなく、それよりも、ガンとはそもそも、完治という完璧な落着のあり得ない類の病気でもあることです。その意味では、ガンの部位を切り取って完治とするのは幻です。

ともあれ、こうした回復の達成がどのような紆余曲折をへて実現できたのか、その足取りについては、別掲の「 」で述べてきました。そこでこの稿では、そうした体験から得たもう少し踏み込んだ見地を、その感慨もふくめて、述べてみたいと思います。 詳細記事

医学に臨床という分野があります。それは、医学という応用生物学の体系を、実際の病気や傷を負った患者に適用する実用分野のことです。言ってみれば病院《現場》での実務の分野です。

同様な臨床分野を科学全般について見るならば、それは「臨床」とは呼ばれず、「技術」と呼ばれます。医学の裏付けのない臨床がないように、科学の裏付けのない技術はありません。そして、そうした一体となった関係をもって、科学技術などとひとくくりに称されたりもします。そういう技術が私たちの生活《現場》向けに実用化されたものが、今日の市場をにぎわす様々な商品群です。

芸術についても、上の二領域ほど明瞭に区別されるものではないにせよ、音楽、美学、文学と呼ばれるものが教育カリキュラムに採用されているように、その学問的・理論的分野は存在し、その「臨床」分野といえば、コンサートとか美術館とか書店とかがあります。そして、印刷とかオーディオ技術を駆使してさまざまな商品に生まれ変わって、私たちの毎日の生活《現場》を彩ってくれています。

それぞれ以上のように見なせるのであるならば、私たちの人生というそれらすべてを含んだ《現場》にも、それを「臨床」と見る視点はありえるはずであり、さらに、それが「臨床」と見なせるのなら、そういう実用をもたらす元となる、たとえば《人生学》と呼んでもよいような学問体系があってもしかりなはずです。 詳細記事

今日、世界をながめてみて、いずれを見ても、狭苦しい我利々々根性が蔓延し、不必要ないざこざをあえて招いているような光景ばかりに行き着きます。たしかに、アメリカという最強の覇権国が衰退途上にあって、世界ににらみを利かしてきた重石の戦線離脱という国際政治上の情勢変化はあります。しかし、最後で二度目の世界大戦の惨劇の終結から80年余りが経過し、それに至った経緯と教訓が、もはや忘れ去られてしまったかのような、あまりにも浅はかな、新たながら無益な国際的紛争と駆引きの時代に入ってきています。他の機会にも書いたように、私という戦後初の世代は、むろん直接の戦争体験はないものの、子供時代、その硝煙の臭いの消え去らぬ社会の雰囲気をかぎながら育ち、また、その戦争実体験者の文芸作品等を通じ、その体験をあたかも近親者らの体験――何も語らぬ父親もその生還者だった――であるかのように切迫したものとして受止めながら成人となってきました。そういうこの世代にとって、戦争という政治手段は、それこそ憲法第9条が宣言しているように、国際紛争の解決手段として、決してそれを採用してはならない禁断の手であると、心底からそう受け止めるものがありました。その思いは、無数ともいうべき命であがなった、それがゆえに後世にひきつがれるべき“逆数的社会遺産”です。そうした意味とその認識が、じりじりと浸食、忘却され、なし崩しに削り取られている日々が続いています。この「新学問」が、なんとかそうした進行を食い止める一助になれればと、そうした切なる思いを込めるものがあります。【続きを読む

前回、私たち誰もに共有な生存要件をもった個体を、「量子」や「素粒子」と並ぶ同列な一単位とみなし、《ヒューマン子》と名付けました。

むろんこの《ヒューマン子》という概念はきわめて抽象的なもので、物理学が対象とするような、特定の物的実体を対象とするものではありません。

私はしかし、それがそうした漠然とした概念でいいと考えています。むしろ、そうした相互浸透性をもったホーリスティック(全体的)な概念だからこそ、その可能性を持つものだと期待できます。

というのは、5章で述べたように、主観と客観あるいは科学と宗教といった、それまでの二元論的な物理学の枠組みが揺らぎ、また思想的には、西洋のそれと東洋のそれとの融合が静かに必要視されるといった、既成の学問的、思想的枠組や境界が問い直されてきたこの一世紀ほどの《時空認識》の変化に注目するわけです。言い換えれば、そうした旧来の学問的なり思想的なりの伝習を破って自在に羽ばたく、むしろ、そうした発想こそが必要とされていると思うからです。【続きを読む

 まずは、以下の5月14日付け日経記事をお読みください。

 

トヨタ、「OR」のワナをどう避ける  

   

  編集委員 梶原  誠

2014/5/14 7:00

日本経済新聞 電子版(有料会員限定記事)

 
 世界中の経営者はうらやむだろう。トヨタ自動車が成長に向けた投資を理由に収益が横ばいになると公表。それでも翌日の株式市場が株高で応じた一件だ。
 今月8日、トヨタが示した2015年3月期の営業利益の予想は2兆3000億円。過去最高だった前期の水準を維持するにとどまる。
 

詳細記事

 

まず初めに、ちょっとおさらいをしておきます。

前々回の「村上春樹をめぐるマイクロとマクロ」で、こういう話を述べました。

 

そしてさらには、その両親の命にかかわる私と同様な課程、そしてそのまた両親の命のそれといった具合に過去へとさかのぼってゆけば、一瞬たりとて途切れることのなかった、命の連鎖の途方もない長さの世界へとつながってゆくはずです。/そうであるなら、仏教の輪廻思想のように、前世において、私の命が他の何かの命であったとの発想や、さらには、星や宇宙の誕生ともつらなっているとの考えも、さほど突飛なものではなさそうです。/ただ、今回のこの議論では、そこまでの発展には触れません。ここでは話を、もっと限定した範囲にとどめます。

 

また、前回の「東と西という座標軸」では、「自然との結びつき度」を縦軸に、「地理的移動度」を横軸にした座標で、その第二象限が「東洋世界」、第四象限が「西洋世界」とみなせることを指摘しました。そして、「A」とマークしたその第一象限は、東洋でも西洋でもある両義的世界で、さらにその上に立体的に、「“神”的奥行き」の軸を立ててみると、その世界は、今度は、キリスト教的絶対世界観と仏教的輪廻世界観を融合した、さらなる両義的世界が想像されると述べました。

そしてその世界を前回、《未知多次元世界》と名付け、その詳しい議論を今回へとあずけたわけでした。

さて、こうしたおさらいをした上で、さて、いよいよ今回では、前々回でのそうした限定を取り払い、「移動」や「抽象」を際限なく駆使して、この《未知多次元世界》を存分に想像してみようというものです。

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1月17日から26日まで、ニュージーランド(NZ)へ“トランピング”(山歩き)に行ってきました。

NZと言えば、オージーにとってはもう一つの州みたいな親しさがあり、しかもその地形が対称的に異なっていて、特にアウトドアー派にとっては魅力の隣国です(ラグビーファンには宿敵ですが)。

そういうNZの南島の北端に、エイベル・タスマンという名称の小さな国立公園があります。今回の私たちの目的地は、その国立公園内の海岸沿いのルートで、その50数キロを、4泊5日というややゆっくりとしたペースで踏破してきました(別掲記事参照)。

その「トランピング」中に出会った人たちの多くは、地球のはるか反対側からの来訪者たちで、英国、ドイツ、オランダ、フランスあるいはイスラエルなどからのバックパッカーたちでした。むろん、当地は夏休み中で、地元キウイの家族連れにもいろいろと出会いました。

さてそうしたひと時の中で、私は、二つの《対照性》を見つけていました。 詳細記事

前回までの3回の村上春樹の世界への「移動」で、私は、三歳差という微妙な世代ギャップを通じて、彼の世代と私の世代を分ける原因に、《マイクロ・コスモス》と《マクロ・コスモス》という環境設定上の違いがあることを指摘しました。

季節の変化が通り過ぎるように、《コスモス》上の違いが、私と彼をめぐる二つの世代あたりを変わり目に通過し、そうしてどうやら、私たちをめぐる気候上のバロメーターが、《マクロ=巨視》から《マイクロ=微視》へと変化したらしいというものです。 詳細記事

前回、「《スキゾフレニックなステレオ視野》について、それでもやはり『動を3,不動を7』に配分するこちら側から見ているのが私です。つまり、ここには、この此岸と彼岸を分けるギャップがあるはずなのですが、一体それは何ものなのでしょうか」と、今回への方向付けを予告しました。

そこで今回、この設問への回答を試みるわけですが、実は私には、こうして村上春樹の世界を体験していながら、逃げ水現象のようにつかみきれない、常に気になっていることがあります。

それは、彼の作品に幾度も登場する、音楽やその演奏家の具体的名称を挙げての描写です。しかもそれがけっこう頻繁であるだけでなく、単なる比喩や説明的な表現とするだけでは終わらない、何ごとかを漂わせていることです。 詳細記事