以前に述べたことではありますが、私にとっての「訳読」とは、その書物の「本読」を前に、それが期待にそう本であるかどうかを判断する、一種の準備作業のことです。
それが日本語で書かれた本の場合、事前にさっと内容に目を通すことでおおむねそうした判断ができるのがほとんどです。しかし、それが外国語で書かれた未邦訳本の場合、そうした「さっと見」ができず、ともあれまず内容をいったん通読可能な日本語にし、それをもって判断しなければならない、おそろしく手間ひま要する下ごしらえが避けられません。 詳細記事
今号の目次
逆宣伝に乗せられないために
必読の いわゆる“陰謀論”書
訳読コメント(その16)超人間主義構想
〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その18)原爆はなぜ日本だけに落されたか
“米独の結託” が示唆するもの
「日本エソテリック論」その3「二重の構え」の二者の間で
提示されるさらなるリアリティー
訳読コメント(その15)ETはすでに居る
〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その17)貴方の中にひそむ異星人痕跡
日本のローカルさの役立て法
「日本エソテリック論」その2深掘りアメリカ人による視野
エソテリック三部作に表現されている世界
訳読コメント(その14)新たな首領の出現
〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その15)人喰い異星人
〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その16)あり得るか「日本エソテリック論」
2 レべルでの検討
イントロダクションとして人類のカミングアウト
「私たちって宇宙人との混血だった」
訳読コメント(その13)《日平均訪問者数》 1月は975人へ再減少
古い記事からの読者離れか
隠された人類の起源
〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その13)三つの選択
〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その14)反響二件 : 橋梁屋さんとダム屋さんより
前号掲載「溜池との巡り合い」記事に
「給料」と「戦争」
すんなり受け取らされてしまうもの
訳読コメント(その12)真実の封印
〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その12)「頭のフェミニン化」
ひとつの時代の終焉を目撃しつつ
今年の抱負に代えて巡り合った二つの古代溜池
1200年を越えて残る土木遺産ナノサイズの生体ロボット
新たな“寄生虫”の疑い
訳読コメント(その11)モルゲロン・ナノボット
〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その11)以前に述べたことではありますが、私にとっての「訳読」とは、その書物の「本読」を前に、それが期待にそう本であるかどうかを判断する、一種の準備作業のことです。
それが日本語で書かれた本の場合、事前にさっと内容に目を通すことでおおむねそうした判断ができるのがほとんどです。しかし、それが外国語で書かれた未邦訳本の場合、そうした「さっと見」ができず、ともあれまず内容をいったん通読可能な日本語にし、それをもって判断しなければならない、おそろしく手間ひま要する下ごしらえが避けられません。 詳細記事
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「もし人々がどんな食べ物を食べ、どんな薬を飲むかを政府に決めさせたら、彼らの体はやがて専制政治の下で生きる魂と同じくらい気の毒な状態になるだろう。」――トーマス・ジェファーソン(1778年)
このことに気づいている人はほとんどいないが、人類はまったくユニークな新しい種になろうとしている。このHuman 2.0は、Homo Evolutisと名づけられた。バイオテクノミー会長兼CEOであるフアン・エンリケスが2009年のTEDで語ったところによると、この新種のユニークさは、「種の進化を直接、意図的にコントロールすること」だという。彼はそれを「究極の再起動」と呼び、DNA操作と治療、組織生成、ロボット工学の融合がこの偉大な飛躍を可能にしていると述べた。だが、はっきり言って、トランスヒューマニズム〔超人間主義〕は、作り出された人類の進化の終末点である。 詳細記事
エソテリック論という西洋由来の考察手法を、「日本エソテリック論」として日本へ拡大適用しようとするにあたり、それを機械的に行うとの試みには慎重にならざるをえない、一つのチェックポイントがあります。それは、世界を巻き込んだその大戦の終結に向けて、原爆が日本に対してのみ使用されたという事実です。
その「原爆がなぜ日本だけに」とのデリケートな問いは、これまでに幾度かは耳にしたことがあります。そしてその問いに応えた「米兵死者の最小化」との米軍首脳による公的見解には、日本人が黄色人種であるとの、どこか当然視を言外に含んだかの、人種的偏見の動機の気配が漂っている話でした。 詳細記事
「ETはすでに居る」とのタイトルの今回の訳読は、この地球はすでに、ETたちが必要とする食品を飼育する“牧場”となっており、まさに私たちは、ETの“家畜”にされているとの話です。 詳細記事
地球上の生命の発生をめぐって、その宇宙起源説(パンスペルミア説)が、宇宙探査機「はやぶさ」の二回のサンプルリターンの成功も貢献して、しだいに現実味を帯びつつあります。そこで同説を敷延して宇宙を生命の母体と考えれば、宇宙の遥かどこかに生息しているだろう別の生命や人種も存在しているはずで、その意味では、人類の“親類”が宇宙のどこかで繁栄している可能性があります。そうした地球人と宇宙の誰かとの“親類”関係をめぐって、「エソテリック論」が開拓する独自分野の筆頭に挙げられるのが、人類文明の起こりへのこの親類関係そしてそれの拡大した “星” 際関係的探索、すなわち、〈宇宙からの影響や介入〉という観点です。
私はこの「エソテリック三部作」を、ひとつの角度、すなわち〈知的アメリカ人による自国観〉と見て、訳読の趣旨のひとつとしています。というのは、私にとって、アメリカとは、戦後生まれの私の成長の背後に設定されていた隠れたバックボーンであり、ポジにもネガにも、私の世界観の形成の一つの所定条件となってきました。そういうアメリカには旅行で訪問したことはありますが、住んだ体験はなく、その理解の土台は一般的報道の域を越えるものではありません。そういう米国で、ことに親しいアメリカ人の友人もいませんが、この三部作の著者のブラッド・オルセンとは、その旅行の際、彼の在住するサンフランシスコで一度お会いしています。
この三部作なり『天皇の陰謀』なり、私が米国人による著書を、けっこう慎重に読んできているのも(いずれも「両生図書館」に蔵書)、そうした私のなかに刷り込まれた部分の出所を検証したいからでもあります。 詳細記事
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「党は、完全に自らのために権力を求める。他人の善意には関心がなく、ただ権力にのみ関心がある。富や贅沢や長寿や幸福ではなく、ただ力、純粋な力だけである。そして純粋な力とは何かは、いずれわかることだろう。私たちは、自分たちが何をしているかを知っているという点で、過去のすべての寡頭政治と異なっている。他のすべての、私たちのような人々でさえ、臆病者であり、偽善者である。ドイツのナチスやロシアの共産主義者は、その方法において我々に非常に近かったが、彼らは自分たちの動機を認識するまでの勇気はなかった。彼らは、自分たちが不本意ながら政権を奪取したのだと思い込んでいた。そして、その先には、人間が自由で平等である楽園があると信じていた。だが私たちはそのような人間ではない。私たちは、誰も権力を放棄するつもりで権力を握ることなぞないことを知っている。人は革命を守るために独裁を確立するのではなく、独裁を確立するために革命をするのだ。」――ジョージ・オーウェル、1984年
本サイトでは、すでに8年間にわたって、「エソテリック・シリーズ」三部作を訳読してきました。そしてそれは、別掲記事の案内のように、その訳読作業は今なお続いています。そこでなのですが、この「エソテリック」という、〈定着した通説をくつがえし深奥な探究を行う〉という中心テーマ――翻訳書名上では「東西融合〈涅槃〉思想」と意訳――について、本稿では、その対象を日本に絞ることで、二つのレベルからのさらなる探究を試みます。というのは、その米国人著者による西洋由来の視点をグローバルつまり東洋にまで適用した場合、どこまで妥当性を持っているのか。そしてそれをことに日本に適用することで、西洋視野と日本視野の両方を相互に照射し合って考察し、その有効性を吟味――今回はそのイントロダクションに――しようとするものです。
一つの仮説を立てて考えてみます―――。この世は、丸々が真実による世界と、その全部が嘘っぱちからなる世界という、二極をもったスペクトラム世界であると仮定します。すると、実際の世界とは、その二極の中間に存在する、真実と嘘がそれぞれの濃淡をもって混じり合ったグラデーション状のものとなります。そこでですが、その実際世界のグラデーションも、昔は曲がりなりにも結構な真実味を含んだグラデーションだったと、今年77になる私なぞには思えます。しかし、それが最近では、グラデーションなどとは生ぬるい話で、もう嘘で塗り固めた世界が大手を振ってのし歩き、真実味などはとうに吹っ飛ばされ、やりたい放題を先にやったもの勝の「なんでもあり」式の、かつての無法時代の再来とも見えてくるほどです。かくして、今や私たちは、嘘に騙されない猜疑心は言わずもがな、暴力に巻き込まれないよう物心共に扉すら開けないと言った、もはや真実自体が、フィクション上でしかありえない架空物にさえせざるを得ない時代へと変貌してきています。 詳細記事
1月の一日平均訪問者数(下グラフでの赤線)は975人となり、昨年10月以来3カ月ぶりで千人を割りりました。下グラフのように、どうやら平均的動向は、1100人をはさんで、ゆっくりとした下降状態のようです。
前号に掲載した私の日本訪問談「巡り合った二つの古代溜池」に、それを読んだ二人のリタイア途上の土木屋さんから、以下のような反響をいただきました。一人は、吊り橋という橋架けの、もう一人はダムという大きな溜池造りの、それぞれの専門分野に携わってきた人たちで、その専門視点の今なお健在さが伺えます。
今回の訳読の冒頭に、いくつかの「詳細記事
があげられています。そのひとつが、「自分の給料が何に拠っているかが解っていない人に、なにごとかを解らせるのは難しい」です。現在、世界にはもう始まってしまった戦争があり、平和主義であろうとするためでも、どちらの側に立つかの選択を強いられます。戦争って起こってしまった時で誰かの勝利で、それが「何に拠っているか」は、「給料」と同じく、誰もが鵜呑みにさせられてしまっています。新年にあたっての抱負めいたものに、「頭のフェミニン化」、もしくはちょっと今風に、「オツムのカミングアウト」をしたいと思っています。今日の世界や社会のもうどこもかしこも、世も末ほどもの混迷の顛末を目の当たりにするにつけて、それほどまでの人類の劣化の主因を探れば、それは、「男」が長年にわたって君臨してきた仕組みに帰すだろうと思うからです。そして、もはや私の「男」は、その自分たるものの「カミングアウト」という、平衡感覚のとぎすましの必要に迫られていると考える次第です。
昨年11月の日本滞在の際、ことに訪れたい目的地がありました。それは、香川県にある満濃池で、1200年前の飛鳥時代、弘法大師空海によって修築されたものです。加えてその道すがら、友人の助言もあって、それにさかのぼる200年前の西暦616年頃に築造された大阪府の狭山池もたずねることとなりました。こうして、古代日本の農業灌漑用溜池のうち、前者が最大規模の、後者が最古のものであるという二大名所を実際に訪れ、それがきわめて意義深い土木史遺産であることのみならず、自分が生涯曲がりなりにも携わってきた専門分野が、畢竟(ひっきょう)何であったのかを再認識することとなりました。【English版】
満濃池(まんのう町ウエブサイトより)
私たちは通常、なんとか健康を保っていて、病気のことなど考えたくもありません。そうであった病気が、しかも今や、聞いたこともないような病気が、次々と出現してきているとするなら、これは一層、忌まわしいことに違いありません。そしてそれが、自分の身の上にだったら。
今回の訳読の章のタイトルは「モルゲロン・ナノボット」。これが新しい病気の名前であるとするなら、さあ、いったい、どうすればよいのでしょう。その目にも見えないサイズのロボットが、自分に住み着いているとしたら、、、、