新旧「君たちはどう生きるか」を体験して

話の居酒屋

第十話

今回の居酒屋談は、ほとんど僕のひとりごとなのだが、これは、タイミングの遅れた、第五話「秋の日本へ」や第六話「きれい好き日本」の続編でもある。

実は先日、なんとも鬱っぽい気分にとらわれ、その午後、悶々としているよりも行動と急に思い立ち、クリスマスの買い物客でにぎわう市内へ出かけた。そして、紀伊国屋書店シドニー支店で、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)を購入した。というのは、この10月の日本滞在の際、出発前から予定に入れていた、宮崎駿監督の同名アニメ映画を鑑賞したのだが、その事前の期待が、あえなく空を切らされてしまっていたからだ。

それ以来、ある種の後味の悪さを引きずってきており、それを解くには、ともあれその古典書をひも解いてみる必要があった。

そこでさっそくその夜、自分の不機嫌飛ばしもかねて、この戦前のベストセラーを速読した。

同書は、このマ社版だけで「65万部突破」と、その帯にアピールされている。より安い岩波版も入れれば、おそらく、百万部を大きく越えているだろう。

戦前のリベラル知識人による少年向けの古き啓蒙書が、今日、これだけ売れるというのは、同アニメの影響なしではありえない異常事だ。

僕は宮崎駿については、1980年代末に「となりのトトロ」を義弟の子供に手を引かれるようにして初めて観て以来注目し、ことに彼との同世代的な共通視点をその作品から発見してきていた。

その彼がその題名を借用しているような戦前期の名著に関しては、僕も学生時代、吉野の本ではないが、たとえば、戦前の同列なリベラル学者、河合栄治郎の『学生に与う』シリーズを熟読していた。それは1960年代前半の当時でさえもう希少となっていて、神田の古本屋街を歩き回って一冊一冊発掘して買い求めるしかなかった。

そうした戦前の進歩思想への、いわば入門書とも言えるのが、この「‥どう生きるか」だ。そしてこの同名アニメ作品の中でも、中学生の宮崎とおぼしき主人公の少年が、同書を手にし、涙する場面が描かれている。

宮崎は、自分のアニメ制作人生のいわば集大成として、これを制作した模様だ。それがこの「‥どう生きるか」という、他作品とはきわだって違う、平板すぎるほどにも生真面目なタイトルである。だから、誰にも理解しやすいのかと暗に期待して、先に東京日本橋のシネマコンプレックスに足を運んだ。だがその結果は、上記のごとく、強い消化不良に見舞われる後味の悪さとなっていた。

正直なところを吐露すれば、この作品は、よく言って「未完成」、悪く言うなら「失敗作」とでも評したくなる曲球だ。

そこなのだが、宮崎自身も自作品の試写会で、「私自身、訳が分からない」と語って招待客の苦笑をさそっているのを、最近になって知った。どうやら、鑑賞者を煙に巻くのは、その制作自体のはなからの想定であるようだ。

ともあれ、この宮崎の最新で最後かも知れぬ作品が、そのタイトルのように、この古典書に原点があると解釈すると、何やら、その一種謎めいたファンタジーを積み上げたかのストーリー展開の背後にひそむ、この作品の思想的成り立ちが見えてくる感がしないでもない。

だが、宮崎にとってその古典名著のインパクトは、アニメ内に描かれているように、思想的というより思慕的で、青年期ではなく少年期の体験にもとづいているものだ。

だとすると、僕の見出す彼との共通視点というのは、子供時代の思い出上のパラレルなものを越えないだろうし、おそらく、僕が勝手に共通する影響と牽強付会する戦前思想家の苦いジレンマとは、さほど関連したものではないのかもしれない。

ともあれ、そのタイトルが同じだからと言って、この古典書をひもといてこの集大成作品の「訳の分からな」さを解読しようとしても、その努力は空振りに終わるか、できても、一部のテーマへの手掛かりに過ぎないだろう。

と言うのも、未完成で不親切な作品であると評するのは的外れとしても、消化不良を強いるその盛だくさんな展開が示唆するテーマの複雑さは、宮崎自身が「どう生きてきた」のかに加え、生きてきたその時代を、この作品をもってそうだと描いているに他ならないからだろう。

売れれば売れるほど曲球を投げたくなるという醍醐味こそ、凡人たちには解せない、大物創作者の抱ける極地なのであろう。

いずれにせよ、彼の作品からえられた僕の新鮮で子供っぽい感動は、「トトロ」に始まり、「トトロ」あたりで終わっている。

 

 


【まとめ読み】

第一話 料理は身を助ける

第二話 「うら、おもてなし」

第三話 上の口と下の口

第四話 「粒子」と「波雄」

第五話 秋の日本へ

第六話 きれい好き日本

第七話 道路と鉄道って、別々でいいの?

第八話 過去と今時の性事情

第九話 人にある男女の調和

第十一話 えっ、「発達障害」? 俺だって

第十二話 「年寄りの冷や水」しようぜ

 

 

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