新たなフォーカス分野の設置

「平和地政学 Geo-humanitics」 (その1)

私の「四分の三プロジェクト」に関し、新たなフォーカスを定めておく必要が出てきています。というのは、これまでの計画によると、現実面を焦点とするこのプロジェトから、そろそろ、兄弟サイト『フィラース Philearth』の「理論人間生命学」へと移ってもいいころだろうとの判断でした。ところが、「AUKUS」〔2021/09/18付「日々両生」参照〕に代表されるように、世界情勢や社会の何とも不気味な動きを目の当たりにして、いずれその移動はするにしても、その前に、自分なりの見解を確かにしておく場の設置が必要と感じるようになってきました。 詳細記事

報道によると、フェイスブック(FB)は「メタ(∞Meta)」と社名を変更し、ユニバースならぬ「メタバース」とうたって、仮想空間のビジネスを展開するらしい。

そのFBと先陣争いする積りはないが、私の「META-MANGA」や「越界-両生学」の構想など、すでに「仮想」世界は新手の着眼ではなくなっている。それをあえて社名まで変えてまで打って出るのは、コロナ状況も作用して浸透した仮想空間が、「メタ」次元でいっそうのビジネス機会ありとの判断なのだろう。

一方、この「越界-両生学」の延長上に私の「四分の三プロジェクト」があり、これは、この《メタ》への着想を、人生の究極――老齢的のみならず本源的――の意味の探索において活用しようというもの。 詳細記事

「実験台」という定石

自分の意志による「点灯」

「四分の三プロジェクト」をめぐって

今回、本稿で述べたいことは、「実験台としての生」という、私にとって「定石」とも言える、究極の立ち還り点です。

というのは、前回前々回と「架橋としての情報」と題した連続記事を足掛かりに、残り「四分の一」に臨むにあたって、見定めた境地を考えてきました。

そして、誰もがそうであるように、自分の意識は自分自身のものであると信じて疑わない自明の事実らしきものが、実は、なかなか怪しいものだったとの思いに端を発した末の、「意識」たるものへの、ある種の疑いです。

その怪しさを言い換えれば、時に「自己責任」などとレッテルを張られ、あらぬ因縁の侵入を許してしまう、その誰もの信じ込みが故のそうした見透かされやすさです。権力側にしてみれば、それは、いくらでも揺さぶれる、旨い汁の搾り処です。 詳細記事

本サイトに、「相互邂逅」と題した、私の言わば「半自伝」があります。

それは、私が十代半ば以来書き残してきた数十冊のノートを、還暦をきっかけに再読した体験にまつわる、自人生の振り返りの記録です。つまり、十数年前、私はその「半自伝」風の回想記を書きながら、その古きノートに全精魂を傾けて表わされている40年ほども昔の自分――もしその再読がなかったら、そのかつての自分は、おそらく記憶の中の遠いかなたに消えかかっていたでしょう――と、その本人がそのまま、今ここにそう息づいているかのように、まさにリアルに再会していたのでした。

こうして、一人の若き人格の生きざまをそう目の当たりにして、あたかも、時代を隔てた二人の自分同士が「邂逅」するかの、ありえないながら実際に起こった、感慨深い体験をそう書き留めていたのでした。

その「相互邂逅」が、最近、どちらかの読者によって、丹念に読まれているかのデータに接し、あらためて、その一連の記事を、再度、読み直す契機となりました。 詳細記事

8月の75歳の誕生日を契機に、自前の「四分の三プロジェクト」を携えて、私は、残る「四分の一」に臨み始めたところです。そしてこの来たる「四分の一」は、言うまでもなく、これまでの「四分の三」の集大成であり、自分としては、なんとか終局点らしきものへとまとめたいところです。

ところがその一方、今の地球上に見られる光景とは、熾烈化をとげる気象異変であり、コロナパンデミックであり、さらには、東アジアを主舞台とした対中冷戦状況――英米が豪を巻き込んで進める原潜増強構想(AUKUS)――の不気味な動き出しです。そういういかにもデストピアな地球が、私のこの総仕上げの舞台となることが避けられない。なんとも容易でないこの先が予見されます。

そこでもしそのデストピアが避けられないのであるならば、なおさら、その対極である「ユートピア地球」を構想したく、加えて、だからこそそれは、時代の要請にかなったものとなりうるに違いないと考えます。

有力な二重の架橋関係

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こんなことを感じるのは私だけならよいのですが、とくに先に発表された「四分の三プロジェクト」に関し、その計画の実行の末に到達する世界とは、なにやら生命の息吹きや潤いとは対極の――あえて申せば“男発想的”な――、いかにも抽象的でドライな境地であるような気がしてなりません。

というのは、私も、国境がもたらす制約を脱して、広く世界に羽ばたきたいといった願望はありますし、すこしは実行もしてきている積りです。そうなのですが、だからと言って、旅先に骨を埋めるまで、永遠の旅を続けることはとても耐えられないだろうとの確信もあるからです。 詳細記事

架橋としての情報

「感動」の新たな源泉

「四分の三プロジェクト」をめぐって

私は、もとが土木系の出身のためか、境界があって分断されているところがあると、そこに橋を架けたらといった発想をする習性があります。

写真は熊本県の宇土半島と天草を結ぶ天門橋。1960年代半ば、学生だった私は、当時世界最長のこの連続トラス橋の架橋工事を、三角ノ瀬戸を渡るフェリーから感動気味に見上げていた。それから50年後の2015年時のこの写真では、同橋に平行して二本目の橋の工事が始まっているのがうかがえる。この新橋は2018年に天城橋として竣工した。(画像;YouTube, Satokichi)

そういう発想に従って注目することが、「情報」という、いまや世界を動かす最先端の代物です。

そこでは、その「情報」は何といってもIT分野の用語として理解されています。そうなのですが、近年、新たに注目を集めてきている遺伝子やDNAなどの分野が、これもその語を冠して情報生物学、さらにはバイオインフォマティクスなどと呼ばれています。

どう見ても同種には見えないこの二種の分野について、それらが「情報」という語で架橋しうるとするならば、それはなにがゆえなのでしょうか。

そこで今回は、その「情報」について、生物学の分野から迫ってみます。

ことに目下、世界を震撼させているコロナウイルスについて、それが病原菌という微生物ではなく、情報体、つまり、そう人間に悪さをして動き回る「情報信号」であるということに関わって、いまや、それに無頓着でいると、とんでもない見落としをしそうでもあるからです。 詳細記事

前回や前々回では、一見、“けなし見解”とも見られかねない私見を述べさせていただきました。それもこれも、アバター氏の最近の「四分の三プロジェクト」開始宣言に接し、いよいよ、氏が独自構築の世界に踏み出して行かれるのかと、その出立を、期待と感嘆をまじえて受け止めているがゆえのはなむけの積りです(異論をお持ちの方は、私に構わずご自論の投稿を)。

正直言ってこれまで、量子理論を取り上げるアバター氏のとみに科学専門的な着眼点が、なんとも私の理解のおよばぬ最大の難関でありました。しかもそれを、「牽強付会」と称して自己流のアレンジを施し、独特な味付けに工夫されています。

そうした難物が、先の「四分の三プロジェクト」計画について、『フィラース Philearth』における記事と絡めて説明されているのに接し、ある納得へのヒントを得た気がしています。

それを氏にならって私流に牽強付会して言い換えれば、「男原理への風穴」です。 詳細記事

気象用語に、「瞬間最大風速」と「最大風速」という専門語があります。よく、台風予報のなかで用いられるのですが、たとえば、「台風△〇号の最大風速は40メートル/秒、瞬間最大風速は60メートル/秒」というものです。そしてその数値の定義は、最大風速は10分間ごとの平均風速のうちの最大のもの。瞬間最大風速は3秒間の風速の最大のものです。ですから、台風による風の最大の破壊力はこの瞬間値によって発生するわけで、それに耐える建物でなければ、たとえ瞬間の風であろうと、その一瞬に吹っ飛んでしまうということとなります。

なぜ、こんな専門語を持ち出すのかと言いますと、貴サイトの各記事は、起伏ある日々の中で、そのまれにしかやってこない、上の用語でいう「瞬間最大風速」にあたる瞬時の高エネルギーを使った見解とうかがえ、時に、実に明晰かつ切れの良い論述が拝見されます。おそらく、それらが書かれた時は、いくつかの条件が揃ったその瞬時の切り口をもって仕上げられた見解であるのでしょう。 詳細記事

前回、その副タイトルに「・老若共闘 ・バーチャルと非局地性は同義語 ・情報とは何か」をかかげ、その三本柱について説明しました。今回は、その三番目の柱「情報とは何か」について、いっそう踏み込んで考察します。

というのは、これまで、二本目の柱「バーチャルと非局地性は同義語」については、量子理論にからめて、いくつかの機会で議論してきたのですが、この「情報とは何か」については、さほどの機会を設けてはきませんでした。

そこでその議論に入りたいのですが、それには、二つの重要なアプローチがあります。ひとつは、その定義についてのもので、他は、実は私たち意識そのものが、身体というインフラに支えられた、その情報のもたらす産物であるという認識機能との関係です。 詳細記事